聖山神子、追い詰められる
文字数 1,799文字
進学校は、もうちょっと人間関係がドライだと思っていたんだ、わたしは。
中学時代は、ねちねちした陰口やハブり、派閥などにうんざりしていた。
もともと一人が好きだったので、できるだけグループに関わらないようにしていたら、いつの間にか教室のはみ出し者になっていた。
そのままだと普通にいじめられっ子になっていたところだけど、幸か不幸か、わたしは成績上位者だった。頭が良い、というだけで、なんとなく手出しできなかったみたいで、クラスの勝気な女子グループもヤンキーな男子たちも、いじめになるほどのことはしてこなかった。
(なにしろ、わたしに頼めば宿題見せてもらえるんだもんなあ)
「聖山さん、数学の宿題見せてよー、おねがーい」
「聖山さん、次のテスト、教科書のどこから出ると思うー」
そりゃ心の中では聖山、陰気根暗オンナと嘲笑い、影ではなにを言っているやらだけど、みんな一応は表面では「さん」づけで呼んでくれたし、隣の席になったからと言って「えんがちょ」するわけでもなかった。
その点、駄目川君は哀れだったな!
運動音痴だし成績も最下位だったし、最悪なことにコミュ障だった。
(コミュ障、この厄介なモノ)
成績が良いけれどコミュ障。寡黙で知的。
運動ができるけれどお話が苦手。むしろ硬派でカッコイイ。
なんとかごまかしが利くんだ、なにかが特化していれば、コミュ障なんて。
そうそう、容姿が良ければある程度コミュ障でも「まみちゃんはそういう子だもんねー、こっちから話しかけてあげたらいいじゃん」と、逆に持ち上げられてしまう。
だけど、そのどれもが皆無で、なおかつコミュ障だったらば。
そりゃ悲劇だ。
悪いことに三年間、わたしは駄目川君と一緒のクラスだった。
駄目川君は入学した時からいじめられっ子だったけれど、学年があがるにつれて、もっと悲惨ないじめられっ子になった。
中学三年のB組では、駄目川君の机はひとりだけ隅っこに追いやられ、酷い時は廊下に出されていた。
駄目川君はそれでも毎日学校に来て、一言も発しないまま、一日俯いて過ごした。そして下校時間、帰り道で必ず不良たちにからまれて、殴られたり、お金をとられたりしていた。
(なんで学校に来ているんだろう)
誰もがそう思ったのに違いない、駄目川君。
わたしもそう思っていた。
いっそ、学校から逃げれば良いのに。エスケープすれば良いのに。
なのに駄目川君はただの一度も休まずに学校に来た。
卒業時の駄目川君は、髪の毛がボウボウに乱れ、汚れた学ランを着て、うつろな目をして、廃人みたいだった。
(どうして彼は)
思えば駄目川君は、荒れた中学時代の象徴みたいなもんだ。
彼と言うスケープゴートがあったから、もしかしたらわたしは辛うじていじめられずに済んでいたのかもしれない。
しかしそれでも、駄目川君がクラスにいると思ったら、毎日心がずうんと重くなった。
ああ、またいじめられている駄目川君を目の当たりにしなくてはならない、見えないふりをしていなくてはならない――いじめは、いじめに関わらずに無視している生徒にとっても辛いものなのかもしれない、いや、そんなことを堂々と言い放ったら、実際にいじめられて苦しんでいる人から「何様だ」と言われるに違いないけれど。
そう。
その駄目川君の事を、このところ、なぜか繰り返し思い出しているのだった。
県で有数の進学校に入学し、輝かしい学生生活に身を置いているはずのわたしなのに。
(陰湿なのは、変わらない……)
中学時代とは雰囲気が変わった。確かに違う。なにしろ皆頭が良いひとばかり。
なかにはお金持ちのうちのコもいたし、全体的にハイソな空気だ。
勉強と部活に打ち込む充実した高校生活。そこには、溌剌とした青春があるはずだったのだけど。
「ねえ……くすくす」
「あの眼鏡……くす」
「だっさ……」
中学時代は鶏の頭だったわたしの成績も、高校では見事に牛のおケツになった。
そうなると、コミュ障をごまかす盾はなにもなくなってしまったわけで。
クラスの中心の女子たちから目を付けられるようになったのはいつからだろう。
一学期も終わるころには、わたしは完全に、クラスの笑いものにされていたのだった。
中学時代は、ねちねちした陰口やハブり、派閥などにうんざりしていた。
もともと一人が好きだったので、できるだけグループに関わらないようにしていたら、いつの間にか教室のはみ出し者になっていた。
そのままだと普通にいじめられっ子になっていたところだけど、幸か不幸か、わたしは成績上位者だった。頭が良い、というだけで、なんとなく手出しできなかったみたいで、クラスの勝気な女子グループもヤンキーな男子たちも、いじめになるほどのことはしてこなかった。
(なにしろ、わたしに頼めば宿題見せてもらえるんだもんなあ)
「聖山さん、数学の宿題見せてよー、おねがーい」
「聖山さん、次のテスト、教科書のどこから出ると思うー」
そりゃ心の中では聖山、陰気根暗オンナと嘲笑い、影ではなにを言っているやらだけど、みんな一応は表面では「さん」づけで呼んでくれたし、隣の席になったからと言って「えんがちょ」するわけでもなかった。
その点、駄目川君は哀れだったな!
運動音痴だし成績も最下位だったし、最悪なことにコミュ障だった。
(コミュ障、この厄介なモノ)
成績が良いけれどコミュ障。寡黙で知的。
運動ができるけれどお話が苦手。むしろ硬派でカッコイイ。
なんとかごまかしが利くんだ、なにかが特化していれば、コミュ障なんて。
そうそう、容姿が良ければある程度コミュ障でも「まみちゃんはそういう子だもんねー、こっちから話しかけてあげたらいいじゃん」と、逆に持ち上げられてしまう。
だけど、そのどれもが皆無で、なおかつコミュ障だったらば。
そりゃ悲劇だ。
悪いことに三年間、わたしは駄目川君と一緒のクラスだった。
駄目川君は入学した時からいじめられっ子だったけれど、学年があがるにつれて、もっと悲惨ないじめられっ子になった。
中学三年のB組では、駄目川君の机はひとりだけ隅っこに追いやられ、酷い時は廊下に出されていた。
駄目川君はそれでも毎日学校に来て、一言も発しないまま、一日俯いて過ごした。そして下校時間、帰り道で必ず不良たちにからまれて、殴られたり、お金をとられたりしていた。
(なんで学校に来ているんだろう)
誰もがそう思ったのに違いない、駄目川君。
わたしもそう思っていた。
いっそ、学校から逃げれば良いのに。エスケープすれば良いのに。
なのに駄目川君はただの一度も休まずに学校に来た。
卒業時の駄目川君は、髪の毛がボウボウに乱れ、汚れた学ランを着て、うつろな目をして、廃人みたいだった。
(どうして彼は)
思えば駄目川君は、荒れた中学時代の象徴みたいなもんだ。
彼と言うスケープゴートがあったから、もしかしたらわたしは辛うじていじめられずに済んでいたのかもしれない。
しかしそれでも、駄目川君がクラスにいると思ったら、毎日心がずうんと重くなった。
ああ、またいじめられている駄目川君を目の当たりにしなくてはならない、見えないふりをしていなくてはならない――いじめは、いじめに関わらずに無視している生徒にとっても辛いものなのかもしれない、いや、そんなことを堂々と言い放ったら、実際にいじめられて苦しんでいる人から「何様だ」と言われるに違いないけれど。
そう。
その駄目川君の事を、このところ、なぜか繰り返し思い出しているのだった。
県で有数の進学校に入学し、輝かしい学生生活に身を置いているはずのわたしなのに。
(陰湿なのは、変わらない……)
中学時代とは雰囲気が変わった。確かに違う。なにしろ皆頭が良いひとばかり。
なかにはお金持ちのうちのコもいたし、全体的にハイソな空気だ。
勉強と部活に打ち込む充実した高校生活。そこには、溌剌とした青春があるはずだったのだけど。
「ねえ……くすくす」
「あの眼鏡……くす」
「だっさ……」
中学時代は鶏の頭だったわたしの成績も、高校では見事に牛のおケツになった。
そうなると、コミュ障をごまかす盾はなにもなくなってしまったわけで。
クラスの中心の女子たちから目を付けられるようになったのはいつからだろう。
一学期も終わるころには、わたしは完全に、クラスの笑いものにされていたのだった。