幸いなり

文字数 7,272文字

「心の貧しい人々は、幸いなり、天国は彼らのものである。
悲しむ人々は、幸いなり、彼らは慰められる。
柔和な人々は、幸いなり、彼らは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いなり、彼らは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いなり、彼らは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いなり、彼らは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いなり、彼らは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いなり、天国は彼らのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いだ。
大いに喜べ。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害された」
(マタイ福音書)

**

 灼熱の夏は鮮やかで、季節が変わった今でもあの夏の余韻が残るようである。
 わたしの成績は相変わらずだった。勉強の意欲がないのは、恐らく、この高校のレベルが自分のできる限界を超えていたからだと思う。
 今までのようにガリガリと勉強をしても、クラスメイト達が涼しい顔で楽々クリアして行くラインには、とうてい届かなかった。
 もはや、これはガリ勉でどうにかなる範疇を越えていて、才能や、もともとの能力などが関係しているとしか考えられない。

 努力さえすれば、学年トップを取れるというのは嘘である。
 否、もしかしたら、可能なのかもしれないが、今の、ママへの不信感や、クラスメイトらへの怯えが下地になっているわたしは、コンディションが悪すぎた。
 しなくては、勉強しなくては。
 焦るほどに現実は息苦しく、余計に暗くなってきた。
 毎回のテストの結果があまりにも酷いので、ママに見せることすら怠るようになっていた。

 最も、すぐにバレて、余計にママの地獄の炎のような怒りを煽ることになるのだけど。

 「家庭教師の先生をつけるわ」
 と、ママは言い出し、実際にその段取りをつけてしまった。
 毎週二回、数学と英語の家庭教師の先生が来るが、気持ちが落ちすぎていて勉強に集中できない状態のわたしには、なんの足しにもならない。
 家庭教師もわたしのやる気のなさを良いことに、ママが作って出してくれる食事をもりもり食べて帰ってゆくだけになってしまっていた。

 どこに逃げても逃げきれない閉塞感は、ますますわたしを腐らせた。
 ママが必死になればなるほど、わたしは勉強や、ママが理想とする将来像から目を逸らしたくなる。
 いつの間にかわたしは、ママに反抗的な目つきや言葉遣いをするようになっており、秋が深まる頃には、日常的にママの平手が飛んでくるまでに状況は悪化した。

 「あんたの中学の同級生の××さんねっ、高校に行かなかったけれど、そのぶん、一生懸命スーパーでお仕事して本当に偉いわ」
 ある休日、だらだらと朝寝して起きて来たわたしに対し、まさに今から仕事に行こうとしていたママが、こんなことを投げつけて来た。
 「神子ちゃん、あんた、進学なんかする資格なかったのよ。あんたは××さん以下ね。××さんのこと、中学の時は見下げてたんでしょうけれどっ」

 パパは朝からゴルフに行って家にはいない。
 最近パパは、よく家を空けるようになった。家にいる時にママとわたしがバトルを始めたら、無言で新聞に顔をうずめ、聞かないふりをしている。
 パパにとっても、この家の状況は好ましくないのだろうなと思う。

 (ママ、いい加減にしないと、家庭崩壊するよ)
 腹の中でわたしは悪態をつく。
 いいや、もう既に崩壊しているのだこの家は。ここは地獄だ、呪われた家だ。はやくバラバラになって、壊れてしまえば、いっそ小気味よい。
 ああでも、そんなことになったら、家を崩壊させた犯人はわたしということになるんだろうな。
 ママがヒステリックに叫んでいるのを眺める時、わたしはよくそんなことを思っては、一人でもの悲しくなるのだ。

 しかし、その時のママの、「××さん」についての発言は、わたしの心を最高に傷つけたのだった。
 それは、今までママの価値観に従って、面白みのない優等生道を突っ走ってきたわたしの在り方そのものを否定することである。
 ママは、言ってはならないことを言ったのだった。
 わたしは人格を否定され、人生を否定された。一生懸命やってきたと、これでも思っていた。その今までのことが、すべて、くしゃくしゃに丸められて放り捨てられたのだ。

 「わたしのことが憎いなら、殺せばいいのに」
 と、出かけようとするママの背中に投げつけると、蒼白な顔で振り向かれた。
 のけぞる暇もなく、せともののお皿が飛んできて足元で砕けた。ぱりいん。心が引き裂かれるような音が響き渡る。わたしは石のようになって、粉々に壊れた、使い慣れたお皿を見ていた。

 「どこの親が、子どもを殺すために育てるのよっ」
 ママはつかつかと歩いてきてスリッパでお皿の破片を踏んだ。そして、突っ立っているわたしの胸倉をつかみ、ぱんぱんぱあんと、三回ほど連続して、頬をぶった。

 地獄の鬼みたいに真っ赤な目をしてママは出ていき、やがてぶうんと車が発進する気配がした。
 しいんと胸が冷たくなるような沈黙が残り、わたしは家に取り残されたのだった。

 「もう嫌だ」
 ひとりでに言葉が飛び出した。
 
 そうだ、もう嫌だ。
 どうしてこうなってしまったんだろう。
 わたしが歩いてきたのはママが決めたレール。ここまでは親の責任、と言って、ママが途中まで作ってくれたレール。
 わたしはそのレールの最果てまで歩いてきてしまっていて、この先は自分の力で歩いてゆかねばならない。けれど、残念ながらわたしにはその力はなくて、与えられた道の行き詰まりで途方に暮れるしかないのだった。
 
 誰のせいなのだろう。
 どうしてこんなに苦しいんだろう。
 クラスの誰も、こんな酷い目にあっていないのに。みんな楽しそうに青春を送っているのに。高校生活を楽しんでいるのに。

 溜まらなくなって、わたしは家を飛び出していた。

**

 とにかくどこかに行きたくて、駅に行って電車に乗った。
 なんとなく見覚えのある駅で降りて歩いているうちに、ああここは、ザビエル先生の教会がある町だと気が付いた。
 
 道の並木は軒並み色づいていて、空はどんよりと重苦しく垂れこめている。
 
 さ迷うようにわたしは歩き続け、そして、教会の建物にたどり着いたのだった。
 到着してみてようやく思ったのだが、今になってザビエル先生を訪ねて、一体どうなるというのだろう。
 ちょっと近くまで来たから寄ってみちゃった、というような仲ではないし、なによりザビエル先生はそんな軽口をきけるような相手ではない。

 ほんのあと数歩行けば礼拝堂への扉があるというアスファルトの上で、わたしは立ち止まったきり動けなかった。
 教会の掲示板には、あの時と同じように達筆でしたためられた掲示物が貼られてある。
 今日も教会はしいんと静かだ。きっと、礼拝堂の中もがらんとしているのに違いない。

 はらはらと紅葉が落ちて来た時、一瞬それが、天使の羽根に見えた。
 
 ここに来ても意味はない、帰ろう。
 回れ右しようとした時、いきなり声をかけられて、わたしは飛び上がった。

 「聖山……さんですよね」
 すぐ背後に、品のよさそうなおばさんが立っていて、心配そうにわたしを眺めていたのだ。
 そのひとが、駄目川君のママであることに気づいた瞬間、わたしは崩壊した。ノックアウトだった。
 現実の重たさに、とうの昔に耐えきれなくなっていた心が弾けて、その場でわたしは泣き崩れた。
 そうしてもらえる義理は何一つないのに、さしのべられ、支えてくれる優しい手に縋りつきながら、ごめんなさい、ごめんなさいとわたしは謝り続けた。
 
 わあわあと泣きわめくわたしを、道行く人はどんな目で見ただろう。
 どれくらい時間がたったのか、やがてわたしの涙が下火になったのを見計らい、おばさんは、目を冷やした方がいいから中に入りましょうと言った。
 言われてみれば、泣きはらしたまぶたはぼってりと重たく熱くなっており、今わたしは、相当すごい顔をしているのに違いなかった。

 おばさんに支えられて、ついにわたしはザビエル先生の教会の扉をくぐることができたのであった。

**

 ごめんなさい。
 
 わたしは誰に向って謝っているのだろう。
 駄目川君だろうか。
 中学時代、みんなから虐められてスケープゴート役になって、今はもうこの世のひとではなくなった、彼への謝罪だろうか。

 違うような気がした。
 
 わたしは駄目川君へのいじめに直接かかわったことは無く、もちろんただ眺めていただけという罪は重たいはずだけど、駄目川君の苦しみや悲しみを考えて心から反省して謝罪しているというわけでは、決してなかった。
 
 あるいは、大事な息子をひどい目に遭わせられた、駄目川君のママへの謝罪か。
 それも、少し違う気がした。

 だけど、自然に出てくる言葉は「ごめんなさい」。
 
 礼拝堂に入り、祭壇の手前のベンチに座りながら、わたしはまだ小さく「ごめんなさい」と呟き続けていた。
 
 ごめんなさい。生まれて来てしまって、今もまだ図々しく、わたしみたいなやつが生き続けていて、本当にごめんなさい。死ねばいいのにわたしなんか。わたしがのうのうと生きているからママは苦しいんだ。
 だらだら泣き続けるわたしの背中を、駄目川君のママが静かにさすってくれている。

**

 「息子は、楽しかったと言っていました」
 ふいに、おばさんは言った。

 事故死だったんです。交通事故。
 おばさんは淡々と語る。わたしと目を合わせずに、横顔で静かに話していた。

 楽しかった、学校に行ってみんなの中に居る時が楽しかった。
 だから、どんなに体が辛くても、心の状態が辛い時でも、学校に行った。
 
 「あの子はね、病気だったんです。本当は、もっと別の学校に通わせるべきだったのかもしれない。けれど、その踏ん切りがつかなかったんですね、わたしも主人も」
 
 ハンデを持った駄目川君が、ハンデを持たないひとたちと同じ学校で過ごした。しかも、自分がハンデ持ちであることを公開しなかった。
 「あの子の病気を、わたしも主人も、なかなか認められなかった。そのうち馴染んでくれるだろうという期待が、どこかにあったんですよね」
 おばさんは、懺悔するように言った。両手がお祈りの形に組まれていた。

 ぼとぼとと涙が垂れて、ほっぺたが腫れて痛かった。
 
 楽しかった、学校に行きたいから行った。
 駄目川君の姿が目に浮かぶ。
 
 わたしは涙に曇った目をあげて、祭壇の金の十字架を見た。
 わたしはクリスチャンではないし、十字架に救いを求めたわけではなかったのだけれども。

 その時、十字架の後ろのステンドグラスから光が差し込んで、なにかが全身をくるんでくれたような気がした。
 優しい手が頭をなでてくれて、いいんだよ、と言ってくれたような気が。

 教室のスケープゴート、駄目川君。
 わたしにとって、彼はなんだったんだろう。彼の存在がいなかったら、わたしは多分、中学時代、虐められていた。勉強ができるだけで、他にはなにもできない。コミュニケーションが下手で、クラスから浮いていたのだから、普通ならとっくに虐められていたはずなのに、そうならなかった。
 それはやはり、駄目川君がいたから、その苦しい役割を避けることができていたのに違いなかった。

 物凄く手前勝手で、そんなことを救いだと言うのは人道的にあり得ないことだと判っていた。
 駄目川君に感謝するというのも、絶対に違うと判っていた。

 けれど、どういうわけか、わたしには、今はもう命を失って、天国にいる駄目川君が、手の届かないほど神々しい存在に思えた。

 
 「駄目川、キンモー」
 「うっわ、くっせーくっせー、ダメカーワー」
 「ダメカーワー」
 「学校来るなダメカーワー」

 俯いて座っている駄目川君の姿に、火刑台に乗せられるジャンヌちゃんの姿が重なった時、わたしは悟ったのだった。
 

**

 「時々、ここに来て顔を見せてください。息子と同じクラスだった人を見ると、心が慰められる気がするから」
 おばさんはそう言うと、用事があるからと言って、そっと帰っていった。
 
 ぽつんと残されたわたしは、ぼんやりとベンチに座りながら、ステンドグラスと十字架を見上げていた。

 泣きはらした目は痛いし、なんだかすごく疲れていた。
 どれくらい時間が経ったのだろう。そろそろ夕方だろうし、流石に帰らないとまずい。
 だけどお尻が重たくてぐずぐずしていたら、キイと音がして祭壇の陰にある扉が開いた。牧師さんの恰好をしたザビエル先生が、淡々とした顔でわたしを見て、なぜか頷いた。

 「どうした」
 と、まるで変わっていない調子で聞いてくる。
 久々に見たザビエル先生は、数学を教えてくれていた時の先生と、なんら様子が変わらなかった。

 先生は静かに歩いてきて、祭壇の前に立つと、お祈りをした。
 やがて振り向くと、茶でも飲んで行けと言い、手招きした。

 
 あの夏の日、お茶を飲んだ部屋で、わたしとザビエル先生は向かい合って座っていた。
 湯気を立てる紅茶を前に、泣き終えたばかりのわたしは妙にすうすうする気管を持て余して黙り込んでいた。
 先生はお茶を啜ってふうと息をついている。牧師さんのお仕事は分からないけれど、お疲れのご様子だった。

 「ここを継がねばならなかったから、急遽、教師を辞めた。聖山は数学が少しは好きになったか」
 と、聞かれるので、答えようがなく口をもごもごさせていた。その様子を見てがっかりするでもなく、「まあ頑張れ」と、先生は言った。

 うっすらと、単調な歌が聞こえてくる。
 別の部屋でCDが流れているのだろう。何語の歌だろうか。
 「グレゴリアン聖歌という」
 と、先生は言った。

 遙か昔から、その教えに縋って、神様を信じて、戦ったり悲しんだり喜んだりしてきた人々がいる。
 山ほどの命が散ってきたのだと思う。その中には、非業の死、どうして神様はこんな仕打ちをするのだろうと思わせられるような人生もあっただろう。

 そうだ、ジャンヌちゃんのように。
 
 グレゴリアン聖歌はほの暗く、同時になにか、温もりがあった。
 紅茶を一口飲んでから、「夜に流れて来たら怖い」と、正直な感想を述べておく。先生は微かに笑ったようだった。

 
 「そろそろ帰れ」
 と、先生は言い、わたしは立ち上がった。
 先生に続いて部屋を出ようとした瞬間、わたしはそこに立つ、小さいあどけない、女の子の姿を見たのだった。
 黒髪の、素朴な目をした、小さいジャンヌちゃん。
 裸足でドン・レミーを走り回った、元気の良い女の子。

 だけどその姿は一瞬で消えてしまった。
 わたしは21世紀の日本という、つまらない現実の中で、うまくいかない青春にあえぐ、一人の女の子に過ぎない。
 
 「先生あのさ」
 わたしは言った。
 「神様はわけがわかんないけれど、神様の元に行ってしまった命はみんな尊いね」

 雲間からあふれてきて地上を照らす日差しの中に、神様に召し上げられた命たちの微笑みが溶け込んでいるとして。
 わたしたちは皆、自分たちの力以外のものに支えられたり、頭を撫でられたり、抱きしめて温められたりして、苦しい道でも歩いて行けているのかもしれない。
 だから、風景を見て心がほぐれることがあるのかもしれない――さっき、駄目川君のママと話している時から、わたしはそんなことを考えていたのだった。

 「生かされているのかな」
 と、わたしは言うと、扉を開きかけていた先生は振り向き、ちょっと笑ったのだった。


 「心の貧しい人々は、幸いなり、天国は彼らのものである」
 どこかで聞いたことがあるような言葉を言った。
 マタイ福音書の言葉だ、覚えて置け、と、数式を説明するような口調で言うと、先生は扉を開いた。

 「また遊びに来ます」
 と、わたしは言った。
 
 ステンドグラスから差し込む光は暗くて穏やかで、温かだった。
 その静かな色合いに照らされた十字架は斜めの影を作り、礼拝堂に闇が漂い始めている。

 夕闇か。

 「いつでも来なさい。気が向いたら数学の教科書持参で」
 と、先生は言った。

**

 現実の問題はちっとも解決していないし、その見込みも今の所はない。
 わたしは相変わらず、重苦しい閉塞感の中を歩き続けなくてはならないだろう。
 この暗いトンネルをいつか潜り抜ける日が来るのだろうか、それも分からないまま。

 けれど、どういうわけだろう、少しだけ気持ちが楽になっていた。
 まるで、重たい荷物を手放して、教会の中に預けてしまったかのように、建物の外に出たわたしは、身軽になっていたのだった。

 垂れこめた雲は黄色く染められて、夕焼けの兆候が見えてくる。
 駅の方から、電車が走り抜けてゆく忙し気な音が聞こえる。

 紅葉の並木が長く影を引く中を、わたしは歩いてゆく。
 あの家に。
 わたしの生活に帰るために。

 
 
 神様、願わくはもっとわかりやすく、もっとこちらの身になって下さい。
 いつかは神様の考えが分かる日が来るのだろうか。
 
 ふわっと夕焼けの雲から何かが舞い降りてきて、肩にとまった。
 小さい白い羽根。つまみあげるとわたしは、それをふうっと宙に向けて放ったのである。

[ジャンヌちゃんとわたし・了]
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