第8話 ミズ (イ)

文字数 1,233文字

今日は風の音が怖い。
板の隙間から甲高い音を立てて、ぴいぴいと吹き込んでくる。
耳を塞ぎたくても、僕はその頃身体の形が決まっていなかった。
誰にも会う事はないし、ずっと1人だ。
もう言葉も忘れそうになる。

僕はまだ、カミなんだろうか?

僕は、いつになったら消えるんだろう。

早く、早く、消えてしまいたい……

消えて……


「 あれ?あれ?おーい、おーい 」


声?声がする。でも、誰を呼んでいるのかわからない。

「おーい!ねえねえ、もういないの?どっか行っちゃった?
どこ行ったのかなあ、ハレニギノのカミたち。
誰かー、知りませんかー!」

僕は、久しぶりに聞くその名前に、形の無いはずの顔の目を開いた。

「この辺、カミがいっぱいいて楽しかったのに、だあれもいなくなってる。
しばらく来なかったら置いてきぼりだあ。」

「 う、う、お、お、 」

「あれ?!誰かいるんだ!良かった!覚えてるかな、僕はユラギカゼだよ!」

「 ま、ま、て、 」

「うん、待ってる。」

声を出すと、口が出来た。
顔を押さえたい気持ちが、手を作る。
顔という概念が、顔を作った。
両手を水面に向けて大きく掲げる。
僕はその日、彼の声でようやく形を取り戻した。

ユラギカゼは、板の隙間から中に入り込むと、水面まで降りてきてくれた。
彼の風が心地良く波紋を作り、僕はようやく彼の前に顔を出した。
ユラギカゼは薄暗闇の中でもわかるほど、ハジマリノキミが可愛いと言っていた姿で、僕にニッコリと笑いかけた。

「や、あ、ひ、さし、ぶり、だ、ね。」

「ずいぶん変わっちゃったね。
ハジマリノキミの川は何か無くなっちゃってるよ?ここにいるの?」

「……い、ない、んだ。どこ、か、に、げて、いる、と、いい、けど。」

ユラギカゼは、子供らしく明るく話しかけてくる。
温かな感情が、僕の胸によみがえってくる。
なぜか僕は、それでもその明るさで、まぶしいほどに救われていた。

「移動しないの?こんな暗いとこにいたら、消えちゃわないの?」

「そうだ、ね。ここ、に、は、大事な、物が、あるんだ、よ。」

「ふうん……ねえ、僕には何にも出来ないけど、何か出来ることはあるかい?」

僕は、彼に出来る何かを探して、しばらく彼を見つめた。
ユラギカゼはフワフワ舞って、優しい顔で僕に首を傾げる。

僕は水に少し沈んで、ハジマリノキミが眠るイシを見つめる。

ああ、ハジマリノキミ、
ねえ、ハジマリノキミ、

僕は、何をお願いすればいいと思う?

“ そうだな、僕は喋れないから、僕の代わりをお願いしようよ。
ね?また来て貰えばいいと思うよ? ”

僕はゆっくりと石に手を当て、ぎこちなく微笑んで、そうだね、と返した。

「ユラギ、カゼ、僕の、お願いを、聞いて、くれる、かい?」

「いいよ!僕に出来ることならなんでも!」

「どうか、また、来て、話しを、して、くれる、かい?」

ユラギカゼは、キョトンとして、ニッコリ微笑む。

「 僕で良ければ喜んで! 」

なんてきれいで、暖かな風だろう。
ああ、僕は、ようやく一つ、自分のかたちを取り戻せそうな、そんな気がした。
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