妖狐と耀子(四)

文字数 1,447文字

 日差しは明るく、初冬だと云うのに、雪国装備では、少し汗ばむくらいに気温も上がって来ていた。

 車は一旦市街地に入ってから、交差点を右に曲がった。すると、ビルとビルの間に、青い空を背景に白い雪を戴いた雄大な山影が目に映る。恐らく、中央の峰が未確認生物の噂のある目的の場所に違いないだろう……。

 フィールド調査は、この(あと)、車で問題の山の駐車場まで登り、日暮れまで待ってからホテルへと向かうだけだ。その後は、ホテルの食事を楽しみ、温泉に浸かって一泊すれば、今回の予定は一通り完遂する。
 形式上、報告の作成は必要だが、耀子先輩以外の全員が参加しているのだ。誰が報告書を書くのかは分からないが、内容を確認する者などは誰もいない。仮に白紙であっても決して気付かれはしないだろう。

 車は赤信号に捕まることもなく、快調に大通りを真っ直ぐに進んで行く。
 そして、市街地のはずれに来た時、ピンクのダウンジャケットに白いズボンとブーツのような長靴の、僕と同じか、もう少し若い位の女の子が、手を振りながら僕らの車の進行する車道に突然飛び出してきた。

 車はあわやと云う所で停止し、事故だけは免れる……。

 急ブレーキを踏んで、間一髪、車を制止させた加藤部長が、一息を吐いたてから、少女に文句を言おうと窓から首を出す。しかし少女は車道に居らず、何事も無かった様にガードレール越しに、左側の歩道から笑って僕らの車を眺めていた。
 唖然とする加藤部長の代わりに、助手席の是枝先輩が窓から顔を出し、少女に大声で抗議する。
「おい君、危ないじゃないか!」
「え? 何が?」
「今、そこから飛び出しただろう?」
「何言ってるの? ばっかじゃない。こっちはガードレールで隔てられているのよ。それに、直ぐそこに横断歩道があるのに、こんなところで飛び出す訳ないじゃん」
 少女は怒ると云うより、揶揄って面白がっている様に見えた。それにしても、涼し気な目をした、色の白い細面の美しい少女だ。

「でも今、確かに君が……」
「夢でも見てたんじゃない? そんなことだから、耀子ちゃんに全然相手されないのよ」

 実のところ、僕は、彼女にあまり興味を持っていなかった。だが、耀子先輩の名を聞いては僕も黙ってはいられない。僕は後部座席の窓を開けて、少女に質問する。
「君は誰なんだ? どうして……」
「私は、白瀬沼藺(しらせぬい)。みんな略してシラヌイって呼ぶわ」
「シラヌイ? シラヌイだって? 少し、君に話がある。今降りるから……」
 ドアを開け車から降りようとした僕を、中田先輩と柳さんが服を掴んで引き留める。
「ちょっと橿原君、こんなとこでナンパなんて止めてよね」
「中田先輩、離してください。僕はこの娘に聞きたいことがあるんです!」
 少女はそんな僕たちのことを、馬鹿にした様に笑っている。
「本当、おっかしいんじゃないの?」
 そう言うと、少女は小走りに車の進行方向とは逆、市街地の方へと去ってしまった。

 僕は皆に尋ねた。
「要先輩の知り合いでしょうか? なんか、先輩のことを話してましたよね……」
 だが、他のメンバーは誰も耀子先輩の名前など聞いてないと言う。特に是枝先輩からは『要恐怖症』だと言われるし、中田先輩からは、僕がナンパを誤魔化す為、出鱈目を言っているとまで言われてしまった。

 仕方なく座り直した僕に、残りの四人が延々とクレームを上げ続けている。しかし、僕の耳には何も届いてなどいない。
 僕は胸ポケットから覗いている、何時入ったのか分からない小さなメモ用紙を、ずっと眺めていたのだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

要耀子


某医療系大学看護学部三回生。ミステリー愛好会に所属する謎多き女性。

橿原幸四郎


某医療系大学医学部の新入生。

橿原敏子


橿原幸四郎の叔母。以前、奈良県で巫女の仕事をしていた霊感の強い女性。

加藤亨


某医療系大学医学部三回生。ミステリー愛好会部長。

中田美枝


某医療系大学薬学部三回生。ミステリー愛好会副部長。

是枝啓介


某医療系大学医学部三回生。ミステリー愛好会の会員。

柳美海


某医療系大学医学部二回生。ミステリー愛好会の会員。

白瀬沼藺


要耀子の高校時代の友人。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み