妖狐と耀子(五)

文字数 1,296文字

 僕たちは、目的の山の中腹にある駐車場に車を止め、それで、一応その山に登ったこととし、夕暮れまでそこで待って、早々に下山することにした。
 雪男は夜の目撃例の方が多いのだが、最早、雪男の事などはどうでも良く、僕を除き(みんな)の頭の中は、ホテルの豪華な食事と強酸性の美人の湯のことしかなかった。

 勿論、僕だって、その未確認生物のことなど、心の片隅にも在りはしない。
 僕の意識は胸ポケットのメモに注がれており、僕が考えていたのは、皆に気付かれず、どうやって、その小さな紙きれを読むかと云うことだけだった……。

 そして、そのタイミングは、駐車場に到着した直後に訪れた。

 車が駐車し、皆が外気を吸おうと車外に出た瞬間、僕はそれをさっと取り出して一読したのである。
 それは、誰かのメールアドレスだった。それも、その中にシラヌイと読める部分がある。恐らくこれは、白瀬沼藺のメールアドレスに違いない。
「これで連絡を取れってことか……」 
 僕はそう呟くと、早速そのメールアドレスに空メールを送信した。

 返信は直ぐに届いた。
「あなたの叔母さんに頼まれました。あなたを守ってくれって。何か理由をつけて、全員直ぐに下山してください。シラヌイ」

 しかし、それはもう叶わぬことだった。僕が車外を見てみると、いつの間にか、晴天の夕暮れが真っ暗な吹雪へと変わっていた。それより何より、その暗がりの中に三メートルはあろうかと云う白い大男が突然現れて、ミステリー愛好会のメンバーを含めた、多くの観光客を蹴散らしているのだ。
 僕は思わすドアを開け、彼らに戻るように声を上げようとした。しかし、それは車内に冷たい風と雪を引き込むだけの結果に終わった。彼らは戻って来ない。もう大男以外は誰も動いてはいない。そして大男は最後の人間、即ち僕を見つけ、この車へと近づいて来ている……。

 そう。こうなることは分かっていたのだ。
 耀子先輩が危機を感じた以上、何も起こらない訳がない……。にも関わらず、僕はこの旅行に参加したのだ。だから……。
「仕方がない……」
 僕は覚悟し、ギュッと眼を瞑った。

 僕は覚悟したが、その瞬間はいくら待っても訪れなかった。
 雪男はこっちに来ない。
 何故、来ないのだろうか……?

 僕はユックリと閉じていた眼を開く。そこには、雪男の前で彼を説得する一人の女性の姿があった。
 僕は彼女を知っている。そして……、
 それは僕の一番会いたかった人物だった。

「あなたの気持ちも分かるわ。でも、これ以上暴れると、あなたはこの世界では生きていけなくなる……。どうか分かって。今なら見逃してあげられるわ」
 眼も鼻もない雪ダルマの様な大男は、耀子先輩の説得を無視して彼女を殴りつけた。耀子先輩は、雪原と化した駐車場に転がる様にして倒される。

 僕が耀子先輩を助けようと、車外へ一歩足を出した瞬間だった。僕を突き飛ばし、奥に押し込めた者がいる。
 先程の少女、白瀬沼藺だ。
 そして彼女は、そのまま、後部座席の僕の隣へ来て強引に座ってしまう。

「耀子ちゃんの邪魔をしないで! 今あなたが出ていったら、耀子ちゃんが闘えなくなっちゃう!!」
「妖狐シラヌイ!?」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

要耀子


某医療系大学看護学部三回生。ミステリー愛好会に所属する謎多き女性。

橿原幸四郎


某医療系大学医学部の新入生。

橿原敏子


橿原幸四郎の叔母。以前、奈良県で巫女の仕事をしていた霊感の強い女性。

加藤亨


某医療系大学医学部三回生。ミステリー愛好会部長。

中田美枝


某医療系大学薬学部三回生。ミステリー愛好会副部長。

是枝啓介


某医療系大学医学部三回生。ミステリー愛好会の会員。

柳美海


某医療系大学医学部二回生。ミステリー愛好会の会員。

白瀬沼藺


要耀子の高校時代の友人。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み