Op.1-24 – SNS and Music

文字数 2,758文字

「うー……ん」

 2月26日 (日) 午前8時半過ぎ。広瀬明里はカーテンの隙間から差し込まれる弱々しく柔らかい日差しが明里の横顔を照らす。リビングからは既に起きている両親の話し声とテレビの音が微かに聞こえてくる。
 明里は煩わしそうな表情を浮かべながらぼんやりとした太陽の光とは反対方向に寝返りをうち、枕元に置いてあるuPhoneを手に取る。

 ホームボタンを押すと充電中のマークとその隣に『100%』と表示され、充電が完了したことを告げている。明里は満足そうな表情を浮かべてコネクタから充電ケーブルを抜き、uPhoneを自由な状態にする。

 明里はこの瞬間にある種の快感を覚える。まず明里は携帯の充電が100%になっていないと気が済まない(たち)である。
 勿論、充電し過ぎることで内蔵バッテリーの寿命が短くなり、劣化が早くなるという話は知っている。しかし、常に100%の状態であればそのパフォーマンスは常にフルで長時間発揮される。そのことに安心感を覚えるのだ。

 そして大きな理由が充電ケーブルから携帯を独立させる瞬間の解放感。充電状態だと繋がれたuPhoneはケーブルの長さまでしかその場を動くことができない。今日の場合だと明里が眠りについた午前2時からの6時間半。この時間、uPhoneは動きを制限される。(uPhoneが勝手に動き出すわけではないが)

 その長時間の制限を解放される瞬間、それがまるで譜面から解き放たれて水を得た魚のように凄まじい即興を披露するジャズマンのようで気持ちが昂ぶるのだ。

 以前、光ならこの感覚を分かってくれるだろうと思って話してみたところ、「何それ、なんかキモい」と一蹴されてしまった。色々と変わっている彼女にだけは言われたくなかったという思いと恥ずかしさとで何も言い返せずにただ苦笑いするしかなかった記憶が鮮明に残る。

 このuPhoneの充電がフルでないと気が済まない性分は関係しているのかは分からないが、明里は常に自分のコンディションに気を遣い、なるべく100%の状態でいられるように心がけている。
 特に何かイベントがある場合にはそれに照準を合わせる。その"イベント"とはベースの発表会や学校での代表挨拶といった大きなものから、友人の家に遊びに行くといった些細なことまで幅広い。

 今日の夕方頃から約束している光との練習も例外ではない。

 携帯の画面をスワイプして福岡県の気候アプリをタップし、今日の気温を確認する。天気は快晴で最低気温が3℃に最高気温11℃。最も寒い時期である1月ほどではなくとも寒いものは寒い。

「(後で指動かしとかんと……)」

 明里はそう考えながら適当にSNSを眺める。写真や動画を投稿したり、見たりして楽しむMinstagramを開いてクラスメイトや有名ミュージシャンの投稿を確認する。

「あっ」

 ハリー・ウォルトンが自撮りでベースのエクササイズ風景を投稿している。つい1時間ほど前にポストされたばかりのその動画には既に「いいね」件数が2000を超えており、彼の人気ぶりを如実に表している。
 
 明里は4回ほどその動画を見た後に「いいね」を押して「保存」する。明里はハリーを始めとしてお気に入りのベーシストごとにフォルダ分けし、暇な時にそれらを眺めてよく耳コピして遊んでいる。
 基本的に彼らは長くても1分程度の短い動画を投稿しており、手軽にコピーできるので明里は楽しんでいる。中には譜面を添付してくれているミュージシャンもおり、まだまだ譜読みの不得意な明里は少しずつ改善するように努めている。

 こうして昨今のミュージシャンはSNSを使って多くの投稿をしてくれるために明里のように楽器に取り組んでいる若者は手軽に彼らの演奏を現在進行形で追うことができる。
 それによってミュージシャンは多くのファンを獲得し、逆にファンは多くの情報を仕入れることができるようになった。勿論、今や星の数ほどの"楽器弾き"がSNSを利用しており、ライバルの数は途方もない数なのであるが。

 かく言う明里も日常写真に加えて練習動画を時々投稿しているが、予想以上の反応があってフォロワー数は2000を超える。女子高生というステータスがあるからと自虐的な思いもあるものの、自分の練習動画に反応を貰えるとやはり嬉しい。

 光にもSNSの利用を勧めて始めさせたものの彼女にはやる気がなく、高校入学時に一緒に撮った記念写真を初投稿として以来、1度も更新していない。
 それでも明里がタグを付けて光との写真やピアノを演奏している様子を上げれば、それなりの反応があって全く稼働する気配のない光のMinstagramのフォロワー数は400人。(因みに光は通知を切ってほとんどアクセスしないため、明里以外のクラスメイトにもほぼフォローを返していない。瀧野もその例外ではない)
 
 400人の内訳は外国人が多く、明里に対しては応援のコメントが殆どである一方、光には称賛のコメントが大多数を占める。
 また、光の師である世界的作曲家・瀧野花も時々、光と一緒に撮った写真やレッスンの様子を投稿しているのも大きいのだろう。著名なアーティストが光をフォローしている。

「(やっぱり光のピアノ、皆んな凄いと思うんや)」

 自分の耳、感覚に間違いがないことが証明されているようで明里は内心嬉しい気持ちと光との1対1の演奏に対する緊張と恐怖も入り混じる。
 
 明里がベースで支え、それに身を委ねて自由に即興する光の姿。これを何度も何度も夢見てきた。合わせた後、光はいつも「楽しかったー」と無邪気に笑うが、彼女は心から満足していないと明里は確信している。何故なら、光が1人でピアノを弾いている時や瀧野があげている動画の方が明らかに生き生きとした演奏をしているからだ。

––––もっと光を引き出したい

 そう思って練習に励むが進歩しているのか自信が持てない。それでもやり続けるしかない。そう思って明里は日々遅くまで起きて一心不乱にベースをかき鳴らすのだ。

 起きてから布団の中で20分ほど携帯をいじった明里は起き上がって伸びをする。明里が着ている上下アイボリーカラーのパジャマは、もこもこした毛布のようなシープボア生地で、寒い時期には体温由来の暖かさを保持するためにぐっすりと眠ることができる。

「あ、あと少しで"ツーピース"始まるやん」

 日曜9時から始まる大人気山賊アニメ『ツーピース』を観るのは広瀬家の日課。部屋のドアを開けてリビングのテーブルに着いてコーヒーを飲む父・宏太(こうた)と母・祐美に「おはよう」と挨拶して欠伸をしながら洗面所に行って洗顔を始めた。

 こうして明里の日曜日がゆっくりと開始されたのである。


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