Op.1-38 – One More View (2nd movement)

文字数 1,815文字

 私も和真も基本的には光を怒鳴りつけることはしない。これは初めての子育てて叱り方がよく分かっていないという面もあったが、それ以上に私たち夫婦の中で娘と正面から向き合い、対話しようと決めていたからだ。
 
 私たち大人が怒鳴りつければ子どもは簡単に言うことを聞くだろう。しかしそれは一時の解決にしかならず、例えば光はその時、何がいけなかったのかを正しく理解できていないかもしれない。
 
 そうしたことを避けようという方針を光が産まれた時から話し合っていてなるべくそうなるように接してきた。

 この時も光の様子から自分がいけないことをしたのだという自覚はある様子だったし、私自身、光の悲しみと怒りが痛いほど理解できてどうすれば良いか分からなくなってしまっていた。

「光、まず言うことは?」

 俯いていた光は私の言葉を聞いてすぐに私や広瀬家の3人に向かって消え入りそうな、か細い声で「ごめんなさい」と素直に謝った。

 その光の素直さが私により責任を感じさせる。普段から十分に光の心をケアしてあげられていなかったことは私の落ち度だ。
 まだ幼いからと和真のしていることの尊さと難しさを理解させることを横着してしまった。

––––光ならしっかりと話を受け止めてくれるはず

 その自信はあったがどう伝えれば良いのか私には難しかったのだ。下手すれば和真と光の間に亀裂が生じてしまうかもしれない。その責任が私を押し潰してしまった。
 
 結果、この時のような大事件を引き起こしてしまった。

 光の言葉を聞いて祐美ちゃんも宏太さんも「大丈夫だよ」と優しく答え、明里ちゃんは「私が光見つけた!」と得意気に言っていた。

 私も光も「ありがとう」と明里ちゃんに礼を言い、明里ちゃんは光の隣に移動して何やら慰めの言葉をかけていた。

 明里ちゃんには本当に助けられている。彼女は光のことを小さい頃から面倒を見てくれていて、同い年とは思えないほどにお姉さんしている。光にとっても心を許せる相手ということもあって彼女に甘えているのが高校生になった今でも見て取れる。

 2人の話の合間に私は光に声をかけた。

「光、即興だけでもやらない? お母さん聴きたいな」

 光は少し黙り込み、うるうるさせた大きな目を私に向けながら答えた。

「でもお父さんいないもん」

 そう、結局のところ和真は戻ってこれていない。それはそうだ。患者の状態が大したことではなかったとしても、その後のケアなどもあるだろうし帰ってくるのに時間を要することくらいは素人の私でも分かる。

「ビデオ撮ってお父さんに観てもらお?」
「毎年撮って見せてるもん……」

 光の一言に私は沈黙する。

 そう結局のところ毎年ビデオを撮って和真に観てもらい、その度に直接観に来て欲しいと伝えていた。
 それがこの時に叶う予定だったのだが実現しなかったことで光のモチベーションが一気に下がってしまった。

 仕方がない。先生には後で謝っておこう。私がそう諦めかけた時、明里ちゃんが光に話しかけた。

「光、私のためにピアノ弾いてよ」

 光は「え?」と聞き返し、明里ちゃんはもう1度同じ言葉を送った。

「私の即興弾いてよ」

 光は少し考えた後に「聴きたい?」と尋ね、明里ちゃんは「聴きたい!」と元気に返した。

「しょうがないな〜」

 光と明里ちゃんは何度かこの問答を繰り返した後に光は少し元気を取り戻して弾く気力を取り戻した。

 いつの間にか光が上位になっていたのがおかしかったのか、私たち大人は笑い、恐らく意味は分かっていないであろう光と明里ちゃんの2人も笑った。

 すると光は顔を下げ、両手は拳を握って膝の上に置いて演奏前のルーティーンに入った。

 どうして今!?

 私の疑問を他所に光はそのままこの姿勢を続けて集中力を高め、1度冷めきってしまった気持ちを一から作り直しているようだった。

 その後光は静かに立ち上がり、そのまま一直線に会場の入口へと向かい、そこに立っていたスタッフから「まだ終わっていないので」といった言葉を無視、私たちは代わりに頭を下げながら「関係者です」と言いながら中へと入っていった。

「はい、3人とも素敵な演奏ありがとうございました! 皆さんもう1度大きな拍手を……」

 丁度、即興演奏が終わり、折本先生が締めようとしていた最中だったようで光の登場を見て先生は話しかけた。

「あら光ちゃん……」
「弾く」

 光はそれだけ言ってステージに上がり、真っ直ぐにピアノへと向かっていった。
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