Op.1-39 – Empathy (2nd movement)
文字数 2,208文字
プログラム上、光ちゃんの後に残る生徒は5人。既に次の子が弾き始め、その生徒は自作曲を選んでおり、これから作るのに苦労したセクションへと突入するところだった。
毎年4月に開催され、『折本恭子スプリング・コンサート』と称されるこの発表会では私とそれぞれの生徒とのレッスンで培ってきた力や学んだことを発揮する場として交流センターや市民会館を借りて開く。
私は基本的にその生徒が演奏したいという曲を弾かせている。ある程度実績を積んだ講師であればこのように受け持っている生徒による発表会を開くことは可能だ。
同僚の講師 (福岡県のみならずハヤマ音楽教室全体で) とそうした発表会に関してよく情報交換をするのだが、他の講師たちはそれぞれの生徒たちに演奏させる楽曲は講師たちがある程度選んでいるらしい。
これには先生たちが生徒1人1人のレベルに合った曲を選び、ミスというものをなるべくなくすことで全体としてレベルの高い発表会にしようという思惑があるようだった。
生徒たちによる発表会とはいえ、その出来は自身の評判に関わる。
そして発表会の評判が良ければ生徒が集まる、という魂胆でそれに講師たちのプライドも相まって完成度を高めることに特化し始める者たちが多いように感じられ、ベテランの講師になればなるほどこうした傾向にあるようだ。
正直、私は辟易している。そもそもの目的が失われているからだ。
私たち指導者の真に求めるものは地位や名声ではない。1人1人の生徒の個性を伸ばし、彼ら、彼女らに音楽の楽しさを伝え、それを身を以て感じてもらうことだ。
それがいつの間にか自分たちの見栄のための発表会となってしまっている。長くこの指導生活を続けていると優秀な生徒たちが多く現れ、それが自分たちの評判・名声を高める。
これらは決して自分の力だけで得られるものではなく、生徒が懸命に取り組むことで周囲が評価し始める。それをいつしか自分の手柄だと勘違いし、傲慢になってしまうのだ。
私はレッスン生たちが演奏したいと思う曲を発表させるようにしている。その曲が例えその子にまだ見合ったレベルでなくとも、その子自身が「弾きたい」と思った曲を弾いてもらいたいのだ。
勿論、その過程で壁にぶつかり、曲の変更をすることになったとしても私は反対しない。全ては子供たちの自主性を重んじ、あくまで私はそのサポートに徹する。
ありきたりな言葉ではあるが、子供たちが主役であるはずなのだから。
この自作曲を演奏していた高校1年生の男の子も小さい頃は大して光るものがあったわけでは無かった。しかし、音楽がとても大好きで一生懸命にピアノと向き合い、ひたむきに努力をし続けてきた。
すると中学生になってからメキメキと力を付け始め、今ではこの発表会において彼の演奏を聴きたいという父兄が現れるまでに成長した。
私はこれまでこうした生徒を何人も受け持ってきた。そしてその逆もまた多く見てきた。
だからこそ光ちゃんのことが心配なのだ。彼女はどちらにも転ぶ可能性が大いにあるからだ。
才能は間違いない。
しかし、何かがキッカケで一気に音楽への情熱が冷めて最悪の場合、辞めてしまう危うさがある。そのため、私は彼女の気持ちを尊重し、弾きたくない時には弾かない、弾きたい時に弾こう、という指導を徹底してきた。
甘やかしていると思われるだろうが、そうすることが彼女の性格上、ベストだと判断したのだ。彼女の気分が最高潮にある時、大人の私たちですら太刀打ちできないほどのパフォーマンスを発揮する。
成長するにつれてそのコントロールの仕方を学んでいけば良い。そしてその方法を私や周りの大人たちが教えてあげればいいのだ。元教え子である花ちゃんに会わせたのもそれが理由だ。
「お父さんすぐ戻るって言っとったのに来とらん!」
「ピアノ、弾きたくない!」
光ちゃんが見つかったという知らせを聞いてロビーへ直行すると、光ちゃんは泣きながらそう訴えていた。
私は光ちゃんの気持ちが痛いほど分かる。私は音楽一家の1人娘として生を受け、両親は日本ツアーやワールドツアーで不在となることが多く、祖父母の家に預けられることが多かった。
––––どうして自分も一緒に連れて行ってもらえないんだ
––––私の相手をどうしてしてくれないんだ
こうした思いは年々強くなり、両親のようにプロとして生きていくまでの情熱を音楽に抱くことができなかった。
今、私が生徒1人1人のことをじっくり見るのも、もしかしたら両親への皮肉を込めているのかもしれない。
だとすれば私もまた、他の講師たちと同じで自分のことしか考えていない傲慢な人間なのだろうか。
今日は演奏させるべきじゃない、そう思って私は光ちゃんのお母さんに側にいてあげるよう伝えた。
そして今、正に今年の発表会が終わりを迎えようとしていた。子供たちの演奏する姿は輝いており、溢れた笑顔はこの小ホールに素敵な空間を生み出してくれた。
私は毎年味わう、この幸せな感情を噛み締めながら総括を述べ始めた。
–––ドッ
ステージ前方の大きな扉が鈍い音を立てながら開かれた。
「ピアノ弾く」
光ちゃんは突然現れてそう言うと、ピアノへ真っ直ぐ向かっていった。その雰囲気から既にルーティーンは終えているようだった。
「面白くなりそう」
私は小さな声で呟くと、スタッフたちに合図をし、捌けるように指示した。
毎年4月に開催され、『折本恭子スプリング・コンサート』と称されるこの発表会では私とそれぞれの生徒とのレッスンで培ってきた力や学んだことを発揮する場として交流センターや市民会館を借りて開く。
私は基本的にその生徒が演奏したいという曲を弾かせている。ある程度実績を積んだ講師であればこのように受け持っている生徒による発表会を開くことは可能だ。
同僚の講師 (福岡県のみならずハヤマ音楽教室全体で) とそうした発表会に関してよく情報交換をするのだが、他の講師たちはそれぞれの生徒たちに演奏させる楽曲は講師たちがある程度選んでいるらしい。
これには先生たちが生徒1人1人のレベルに合った曲を選び、ミスというものをなるべくなくすことで全体としてレベルの高い発表会にしようという思惑があるようだった。
生徒たちによる発表会とはいえ、その出来は自身の評判に関わる。
そして発表会の評判が良ければ生徒が集まる、という魂胆でそれに講師たちのプライドも相まって完成度を高めることに特化し始める者たちが多いように感じられ、ベテランの講師になればなるほどこうした傾向にあるようだ。
正直、私は辟易している。そもそもの目的が失われているからだ。
私たち指導者の真に求めるものは地位や名声ではない。1人1人の生徒の個性を伸ばし、彼ら、彼女らに音楽の楽しさを伝え、それを身を以て感じてもらうことだ。
それがいつの間にか自分たちの見栄のための発表会となってしまっている。長くこの指導生活を続けていると優秀な生徒たちが多く現れ、それが自分たちの評判・名声を高める。
これらは決して自分の力だけで得られるものではなく、生徒が懸命に取り組むことで周囲が評価し始める。それをいつしか自分の手柄だと勘違いし、傲慢になってしまうのだ。
私はレッスン生たちが演奏したいと思う曲を発表させるようにしている。その曲が例えその子にまだ見合ったレベルでなくとも、その子自身が「弾きたい」と思った曲を弾いてもらいたいのだ。
勿論、その過程で壁にぶつかり、曲の変更をすることになったとしても私は反対しない。全ては子供たちの自主性を重んじ、あくまで私はそのサポートに徹する。
ありきたりな言葉ではあるが、子供たちが主役であるはずなのだから。
この自作曲を演奏していた高校1年生の男の子も小さい頃は大して光るものがあったわけでは無かった。しかし、音楽がとても大好きで一生懸命にピアノと向き合い、ひたむきに努力をし続けてきた。
すると中学生になってからメキメキと力を付け始め、今ではこの発表会において彼の演奏を聴きたいという父兄が現れるまでに成長した。
私はこれまでこうした生徒を何人も受け持ってきた。そしてその逆もまた多く見てきた。
だからこそ光ちゃんのことが心配なのだ。彼女はどちらにも転ぶ可能性が大いにあるからだ。
才能は間違いない。
しかし、何かがキッカケで一気に音楽への情熱が冷めて最悪の場合、辞めてしまう危うさがある。そのため、私は彼女の気持ちを尊重し、弾きたくない時には弾かない、弾きたい時に弾こう、という指導を徹底してきた。
甘やかしていると思われるだろうが、そうすることが彼女の性格上、ベストだと判断したのだ。彼女の気分が最高潮にある時、大人の私たちですら太刀打ちできないほどのパフォーマンスを発揮する。
成長するにつれてそのコントロールの仕方を学んでいけば良い。そしてその方法を私や周りの大人たちが教えてあげればいいのだ。元教え子である花ちゃんに会わせたのもそれが理由だ。
「お父さんすぐ戻るって言っとったのに来とらん!」
「ピアノ、弾きたくない!」
光ちゃんが見つかったという知らせを聞いてロビーへ直行すると、光ちゃんは泣きながらそう訴えていた。
私は光ちゃんの気持ちが痛いほど分かる。私は音楽一家の1人娘として生を受け、両親は日本ツアーやワールドツアーで不在となることが多く、祖父母の家に預けられることが多かった。
––––どうして自分も一緒に連れて行ってもらえないんだ
––––私の相手をどうしてしてくれないんだ
こうした思いは年々強くなり、両親のようにプロとして生きていくまでの情熱を音楽に抱くことができなかった。
今、私が生徒1人1人のことをじっくり見るのも、もしかしたら両親への皮肉を込めているのかもしれない。
だとすれば私もまた、他の講師たちと同じで自分のことしか考えていない傲慢な人間なのだろうか。
今日は演奏させるべきじゃない、そう思って私は光ちゃんのお母さんに側にいてあげるよう伝えた。
そして今、正に今年の発表会が終わりを迎えようとしていた。子供たちの演奏する姿は輝いており、溢れた笑顔はこの小ホールに素敵な空間を生み出してくれた。
私は毎年味わう、この幸せな感情を噛み締めながら総括を述べ始めた。
–––ドッ
ステージ前方の大きな扉が鈍い音を立てながら開かれた。
「ピアノ弾く」
光ちゃんは突然現れてそう言うと、ピアノへ真っ直ぐ向かっていった。その雰囲気から既にルーティーンは終えているようだった。
「面白くなりそう」
私は小さな声で呟くと、スタッフたちに合図をし、捌けるように指示した。