第65話 通底(5)

文字数 1,925文字

一方で、ブレーズは匙を置き、両肘をテーブルについて、顔の前で手を組んだ。何か、本腰を入れる様である。
「とても、興味深い話だ。」
ブレーズが勿体ぶると、小籠包を小さいプレートにとったコービンが口を開いた。
「聞こうか?」
コービンは、もうブレーズという男に慣れてきた様である。一方のブレーズは、黙っていても喋るが、許可を得た今、何を言うのか。アストルフォは、それはそれで関心を持ちつつ、センチュリー・エッグの食べ方を考えた。
「大の男が三人も監禁されて、心当たりは、そのうちの一人の女性問題だけだ。仕事も小説家に会社員に技師。僕が小説家で、彼が会社員。何かの陰謀に巻き込まれる筈もない。今の生活を見れば分かるけど、犯人は金持ちだ。記憶を辿れば、そんな相手は限られてる筈なのに、名前も出てこない。なんでだろう?」
ブレーズは、コービンとアストルフォの顔を交互に見てから、続きを口にした。
「誰かが嘘をついてるんだ。」
〇〇〇〇。
「また?」
アストルフォは、つい思った事を口にして、ブレーズの話を止めてしまった。
言ってしまったからには、仕方がない。コービンの手前、誤解を避けるためにも、きちんと話した方がいい。アストルフォは、センチュリー・エッグを放っておく事に決めた。
「嘘とかどうとか言い出すと、全部が怖くなるよ。やめよう。」
アストルフォがどういう時間を過ごしてきたか想像がついたコービンが頷くと、ブレーズは一応反論した。
「不安にするつもりはない。でも、それしかない。僕か君にも女性問題があるか、仕事に嘘がある。あるいは、…。」
「ほう、あるいは?」
コービンは、合いの手まで入れ始め、ブレーズは意に介する事なく、それに応えた。
「僕達とか、あと何人かを会わせる事で、初めて、何かのつながりが分かるとか。」
くだらない空想。一人で想像するのは勝手だが、この異常事態で口に出されると迷惑である。この悠長さは、センチュリー・エッグの存在に近い。パインの花の模様の入ったピータン。食べるためなら、別に、出来立ての半熟のゆで卵でいい。
アストルフォは口を開いた。決定的な事を聞くべきなのだ。
「ブレーズ。君はここに入る時に、誰からも何も言われなかった?コービン、君は?」
コービンは顔を横に振ったが、ブレーズの反応はない。アストルフォは、もう一度同じ質問をした。
「ブレーズ、君は?」
ただ、ブレーズの反応は決まっている。苛立ちを覚え続けたあれである。
「そういう君は?」
心の中で〇〇〇〇と言うのも忘れた。話を止めるつもりはないので、アストルフォは問いかけに答えた。
「僕は言われたよ。」
ブレーズが言葉を重ねる。
「誰に?」
誰にも何もない。知っている筈である。ブレーズは、確実にコービンを意識している。
アストルフォは、自分の役割を果たした。
「あの声だよ。姿も見てない。」
ブレーズの反応は速い。
「だろうね。そんなミスを犯すとは思えない。」
コービンは、頷くだけで、小籠包を食べ進めている。肉汁に熱がる素振りもなく、慣れたものである。それが、中年男の強み。
彼は、この部屋に来て、まだ、あの声を聞いていないので、意図は伝わっていない筈だが、落ち着き払っている。どうも、気にしない質の様である。
口を開いたのは、やはりブレーズだった。
「で、何を話したんだい?」
アストルフォは、今では遠い昔の事になった、コチニール・レッドの部屋での出来事を思い出した。
あの時の恐怖は異常だった。とにかく、難しい言葉で延々と喋られた記憶。
時間をかけて、自分を完全に否定された記憶。あの時の話を人に語るなど、ありえない。
言うとしても、オブラートに包む必要がある。
アストルフォは、自分の顔を見つめる二人に、ニュアンスだけを伝えた。
「僕の人生を振り返る様に言ったよ。僕が間違ってるって自覚する様に言ってきた。でも、僕には当たり前の事ばかりだし。本当に、こんな目に遭う様な事なんて、何もしてないのに。だから、分からないんだよ。」
コービンは、やっと食事を止め、口を開いた。
「それはだ。人によって、悪い事の基準が違うんだ。それに、自分が酷いことをされれば、絶対に忘れないけど。知らない間に他人に酷い事をしてる可能性は大いにある。でも、その程度で、こんな事はしない。絶対に相手は狂った金持ちだ。自分を責める事はない。」
コービンは、自分でもそう信じている。堂々とした態度が、それを物語っている。
そして、アストルフォもそう思った。
自分の曲がった価値観で、気に入らない者を監禁している。
何故、アストルフォを気に入らなかったのかは知らない。
ただ、危害を加える気はない。隔離して、社会を浄化している様な感覚。
歪んだ正義感に浸っている。
そうに決まっているのだ。
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