第58話 釣果(4)

文字数 3,614文字

アストルフォは、ルーカスに関するスカイラーの紹介を思い出した。
「仕事はどんな?」
アストルフォは、肉にナイフを入れた。
スカイラーの視線は、答えを待ってルーカスの顔に向けられた。ビールを口にしたルーカスは、期待に笑顔で応える。
「この辺りの生態系の調査だよ。」
それは、センターの名前で分かっていた事である。アストルフォの表情を見ると、ルーカスは説明を加えた。
「この一帯の野生動物にGPSをつけて、位置情報を記録してるんだ。」
やりそうだが、イメージがわかない。
「例えば?」
ルーカスは、少し背筋を伸ばして答えた。
「グレイ・フォックスだよ。」
待ちきれない様に、スカイラーが笑顔で口を挟んだ。
「可愛いでしょ。キツネの中では、私は一番好き。」
キツネに順位をつけた事はないし、違いも分からない。正直、妙な二人に見える。
グレイ・フォックスと言った後の独特の間に慣れているルーカスは、スマートフォンを取出した。
「これ。」
彼のスマートフォンには、キュートなキツネが映し出されていた。ハングリーな部分が削ぎ落されている。世界中に出回っている殆どのぬいぐるみのモデルは、これではないか。それ程の愛らしさである。
ルーカスは言葉を続けた。
「グレイ・フォックスは、どちらかと言うと、タヌキに近いんだ。」
納得の外見であるが、まあ、頷くしかない。肉は食べ進められる。そんな時間。
ルーカスは、アストルフォの表情を探りながら、喋り続ける。
「最初は、シェラネバダ・レッド・フォックスに興味があったんだ。でも、まず見つからない。調査を始めて随分になるけどね。今じゃ、お気に入りのグレイ・フォックスの一家もいる。」
スカイラーは、肉にナイフを入れながら、口を開いた。
「絶滅危惧種よ。」
スカイラーのこの説明も、いつもの事だろう。
アストルフォが、頷きながら、ガーリックをのせた肉を口に運ぶと、スカイラーが言葉を続けた。
「この間、ルーカスと一緒にオペラを見に行ったの。ヤナーチェクの利口な女狐の物語。」
ルーカスは、微笑みながら肉にナイフを入れた。そこはかとなく漂う余裕。
「この間って、いつ?」
アストルフォが聞くと、スカイラーとルーカスは顔を見合わせ、また、スカイラーが答えた。
「一か月ぐらい前。」
何度か頷き、ビールを口に運ぶアストルフォに、今度はルーカスが話しかけた。
「知ってるかい?」
アストルフォは、ルーカスを二度見した。多分、オペラの事を聞かれている。ヴァレンティンのせいで、実は、ある程度知っているのだが、あまり知られたくない。
「僕は、オペラは分からないよ。」
世間一般の若者はそれでいい筈である。ルーカスは、馬鹿にする風でもなく、ただ頷いた。
「僕もだ。キツネに絡んでなければ、絶対に行かなかった。」
まずは、普通である。
スカイラーがあらすじを語り始めたが、知っている。つまり、こうである。
森の雌のキツネが、森番に捕まり、森番の飼う家畜達から人間社会への迎合を求められるが、拒絶して脱走し、雄のキツネと結ばれて、子供をつくる。森番は雌のキツネを逃がした事を悔い、ある日、そのキツネを捕まえるチャンスに恵まれるが、別の人間がそのキツネを殺し、恋人のためのマフにしてしまい、それを聞いた森番が嘆くというもの。雌のキツネが、人間を噛んだり、ウサギを殺したり、他の動物の住処を奪ったりと全力で生きる様や、雌のキツネのマフを身にまとう女性を巡って、何人かが心を躍らせるが、権力者ではなく、行商人が女性をかちとる様、加えて、カエルとそれを狩るキツネの入れ替わり、子々孫々の繋がり等、生きるという行為への強い想いが、戯曲に彩を添える。そういう事らしい。
アストルフォの感性に照らして、あまり盛り上がる話ではない。面倒で、どちらかと言うと下がる。
ステーキを食べ進めるには丁度良かったが、感想はない。
やがて、話し終わったスカイラーは、鼻歌を歌い始めた。知っているメロディー。
無視するのも悪いので、アストルフォは、眉を上げて、微笑んだ。
「その曲で目覚めた事があるよ。」
ルーカスとスカイラーは小さな偶然に喜び、大きな微笑みを返した。
その曲を好きだったかどうかは言わなかったが、彼女の説明の努力に報いる事は出来たろう。古い映画のデートのシーンでもなければ、そんな話はしない。
アストルフォは、話を戻した。
「キツネを追ってると、何か新しい事が分かった?」
ルーカスは、両手を挙げて、おどけて見せた。改めて仕事の話をさせられるとは、思っていなかった様である。
「聞きたいかい?まあ、詳しい話をしても仕方ないけど。まあ、彼らは動いてるという事ぐらいかな。」
隣りのスカイラーは、より一層、優しい眼差しをルーカスに向けた。彼女の頭には、ぬいぐるみの様なグレイ・フォックスの一家が、確実に浮かんでいる。
「食べ物を探して?」
ルーカスは、頷いて、話を続けた。
「多分ね。獲物を探して、家族で移動してる。あと、僕が思うには、最近の地震が関係してるんじゃないかとも思う。」
アストルフォは、ビールを口に運び、肉の味をリセットした。
レオが言っていた震度階級Ⅰの地震は、その後も続いている。全てに無関心なアストルフォでも感じるので、もうⅠではない。
レオ曰く、怪しい地割れも見つかり、ベンジャミンやセオドアにも報告したが、今の所、回答はない。
火山の噴火も疑わしいが、揺れるタイミングを見る限り、ほぼ確実に、発電による地震である。あまりいい気はしない。
思わぬ面倒な展開にスカイラーを見ると、彼女の目もアストルフォの答えを待っている。
知らない筈はないが、彼女の口から事務所を庇う言葉は出てこない。
それはそれで笑えてきたが、どうも自分が頑張らなくてはならない様である。
アストルフォは、頭を整理してから口を開いた。
「火山が噴火するかもね。」
活火山の傍で暮らして、これ以上の言葉はない。効果は予想以上で、ルーカスは口ごもった。
キツネを心配するべきだったろうか。アストルフォは言葉を続けた。
「いや、じゃあ、どうしよう。どうする?どうしたらいい?」
ルーカスは、アストルフォの見かけの質問の意図を読み取ると、口を開いた。
「どうしようもない。地震や火山噴火が起きるかもしれないから逃げるって言うなら、元々、こんな所には住めないし。キツネなら、他の理由で死ぬ確率の方がよっぽど高い。」
物を知る大人はいい。アストルフォもそう思ったが、スカイラーの反応は違った。
「動物達を何とかしてあげられないの?地震なんて、何なら、うちの発電のせいじゃない。」
ポーカー・フェースを装うつもりだったアストルフォは、つい、ふき出してしまった。
その話は、事務所で何度もしているが、彼女が口を挟んだ事はなかった。
地熱発電の仲間である前に公僕で、ルーカスの幼馴染。そして、今はプライベートな時間。
彼女の心の声を聴いた。そういう事だろう。
善良なルーカスは、悪意なく、話を広げた。
「何とかするって、どうやって?野生の動物を、家族単位で一度に捕まえて、安全な場所に逃がすとか?無理だ。悲劇しか生まないよ。」
地熱発電を否定しないのは、アストルフォとスカイラーへの気遣いからか。
いや。家族が離れ離れになる事の方が、彼には大事件なのだ。ルーカスを元孤児の調査員と分類したアストルフォの頭は、そう結論した。
そんな偏見を知らないルーカスの話は、まだまだ終わらない。
「僕が見る限り、野生の動物は、ある種の会話を絶対にしてる。他のコミュニティと言葉を共有してる可能性は、限りなく低いと思うけど。彼らは一緒に居続ける限り、心のつながりを感じてるんだ。」
アストルフォは、いつまでも減らないステーキにナイフを入れながら、耳を傾けた。
「例えば、自分が意思疎通できる相手をいきなり奪われて、自分のテリトリーと似ているけど、絶対に違う所に一人だけで解放されたとして、どうだい?しかも、家族と似た姿の動物を見つけて近寄ると、牙をむいて、追い払われる。食事をとるのも一人。夜もいつ襲われるか分からないから、ろくに眠ることも出来ない。死ぬ確率も高くなる。」
きっと愛に満ちた話を披露したいスカイラーが口を開こうとすると、ルーカスが言葉を急いだ。
「死ぬよりはマシなんて事はないと思うよ。単独で行動する動物ならいいけど。ある程度、社会性のある動物を思い通りに出来ると思うのは、人間の傲慢だ。自然を大切にする気持ちは大切だけど、人間も自然の一部だし。動物は、人間を含めた自然の中で、自分達らしく生きるしかないんだ。僕はそう思う。」
ミスター・ナイス・ガイ。
取り敢えず、やはり地熱の事を責めないので、アストルフォの中で、ルーカスのポイントが上がった。
「君はペットも飼えないタイプ?」
ルーカスの表情が明るくなった。
「そうだね。イヌやネコを去勢するのは、やめてあげてほしい。」
三人は小さく笑った。
ウシを焼いた大きなステーキは、まだまだ終わらない。
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