第6話:サブプライム問題、地球温暖化化と高原旅行

文字数 2,057文字

 その後、米国で低所得者向け高金利型「サブプライム」住宅ローンの焦げ付きが多発した。これをきっかけに世界の金融市場が大きく動揺した。このリスクに対する警戒感が急速に高まり8月以降、信用の収縮、株価急落、ドル安などが一気に加速した。住宅ローン債権を証券化した金融商品に投資していたヘッジファンドや金融機関は、相場の急落で巨額の損失を計上した。

 さらに資金繰りに問題に直面し、一部の金融機関は、破たんに追い込まれた。米国や欧州の中央銀行は市場に巨額の資金を供給した。米国は利下げ英国は住宅ローン会社への緊急融資に踏み込み事態の沈静化を図った。これまでのところ実体経済に大きな影響はないもののサブプライム問題を発端とした市場混乱を理由に2008年の景気見通しは米国、欧州、日本いずれも下方修正された。

 その後、猿島も感じていたが、地球温暖化問題に対する国際的な関心が高まった。ゴア前米副大統領の講演活動を記録した映画「不都合な真実」が全世界で大ヒットし有名になり多くの人々の知るところとなった。国連の「気候変動に関する政府間パネル『IPCC』」は、温暖化の主因が人為的な温室効果ガスの増加だとほぼ断定して環境への影響を予測する報告書をまとめた。

 その結果、IPCCとゴア氏が、2007年のノーベル平和賞を受賞した。温暖化対策は、6月のドイツ・ハイリゲンダム主要国首脳会議「サミット」でも最重要議題となり各国が緊急に協調行動を取る事で一致。12月には国連の気候変動枠組み条約第13回締約国会議と京都議定書第3回締約国会合がインドネシア・バリ島で開かれた。

 この頃、既に地球の気候が、おかしくなっている事について猿島も以前から気にして、大量の豪雨、地震、干ばつ、数多くの巨大台風の襲来について強い危機感を持っていた。そのため、佐島は、将来、人口が密集している都市部から、できれば山間部に移住したいと考えていた。こうして2008年となった。

 1月18日、日本の海洋研究開発機構とロシア科学アカデミーの研究によりシベリア東部の永久凍土地帯の地温が約3度上昇し、2004年以来、夏季に永久凍土表層の融解が、急速に進行していることが判明した。同日、1月18日、国連国際防災戦略、2007年の世界各地の自然災害による経済損失が、625億米ドルに達した。

 この年、最も被害額の大きかった災害が、新潟県中越沖地震の125億ドル「1兆3300億円」であったことが発表された。1月21日、東京証券取引所の日経平均株価、535円35銭値下げしたのをはじめ、インド・ムンバイ証券取引所で平均株価が一日当たり過去最大の下げ幅を記録するなどアジア各地の証券市場が軒並み大暴落し大混乱となった。

 4月に猿島清子が、近くの小杉小学校に入学した。集団登校で、会社の社宅から徒歩10分程で着いた。この頃、猿島も会社の仕事になれ上司の庄司真次課長が、良く教えてくれ、非常に助かった。そのため仕事は、順調に運んだ。その後、5月12日、中国四川省を震源とするマグニチュード8の大地震が発生した。

 その結果、死者・行方不明者が8万人超の大惨事となり北京五輪を控えた中国、胡錦濤指導部に大きな衝撃を与えた。最も大きな被害を受けたのは、当時授業中だった子供らで校舎倒壊で6500人以上が死亡した。背景には校舎建設費を安く抑えるための手抜き工事という根深い問題が潜んでいた。温家宝首相が迅速に被災地で陣頭指揮を執った。

 その他、震災直後には内外メディアの自由な取材を認めるなど異例の政府の対応に注目が集まった。6月14日午前8時43分ごろ、岩手県内陸南部を震源地とするマグニチュード7.2の岩手・宮城内陸地震が発生し宮城県栗原市と岩手県奥州市で震度6強を観測した。死者・行方不明者は両県と福島、秋田各県で23人、重軽傷者は約450人、住宅被害は全半壊が170棟を超えた。

 避難指示・勧告が一部地域で続き、被災者は仮設住宅や親族宅などに身を寄せた。河川が土砂でせき止められた「土砂ダム」も宮城、岩手の県境付近で相次ぎ発生。大雨による水位上昇で決壊する恐れや降雪の影響も心配されている。この頃、猿島の車が、9年目になり、車の中でも寝ることができる様に少し改造したデリカスペースギアを400万円で購入した。

「大きな車に乗って猿島清子が、まるで、おうち見たい」と言ったので祖父母と佐島義彦は、大笑いした。その後8月1日、早朝6時、デリカスペースギアに家族4人が乗り八ヶ岳の麓へ避暑のため2泊3日の旅に出た。武蔵小杉から東京に入り環状8号線を北上し7時に高井戸インターから中央高速に乗って八王子方面に向かった。

 長い笹子トンネルを抜けて山梨に入り甲府を抜け双葉サービスエリアでトイレ休憩と水分補給し少し休んだ。そして出発して韮崎インター降りて清里方面に向かうと途中にファミリーレストランが、早朝から開いていた。店に入って朝食を食べ、ゆっくりして8時半頃に出発し9時過ぎ清里に入った。
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