老木と雪の子
文字数 1,652文字
出会いと別れ
そして、それは私に優しく降り注いだ……
* * *
私はこの村の象徴として植えられた桜の木。植えられた場所は見晴らしのよい丘の上だった。そこからは村の全てがよく見えた。
村人は何かにつけて私の近くに集まり、歌や踊りを楽しんだ。そこにはいつも沢山の笑顔があった。私は皆の笑った顔が大好きだった。
私は皆の喜ぶ顔が見たくて、大きく背伸びをした。めいっぱい葉を広げて、根を広げて、色の良い花を咲かせた。
どうだいすごいだろ?
私には皆の笑顔が一番のご褒美なのだ。
ところが、空の色が一層濃くなり、北風が幹にしみる頃になると、皆の足は遠退いた。私がこの丘で初めて迎える冬が来るのだ。
そして私は、彼女達に出会った。
まだ細い私の枝に、白く柔らかな雪が降りてきた。私を傷付けぬよう、優しく触れてはぱらりと落ちる。そして上手く枝に乗れた雪は、白い人の形へと姿を変えていくのだ。
白い着物に白い肌。美しい少女となった雪の子は、白い瞳で私を見つめ、そっと微笑んだ。
「やぁ、雪の子かい。来てくれて嬉しいよ」
雪の子は言葉を話さない。ただ優しく微笑み、側にいてくれる。私の大切な友達なのだ。
* * *
あれからどれだけの年月が過ぎただろうか。今年も風が冷えてきた。そろそろ秋も終わる。
「……」
何か聞こえる。
あぁ、そうだ。これは人の声。
「加地さん、この木も切っていいですか?」
「あ、あぁ。この木だけは最後にしてくれ。ここの主だから」
「いいっすよ。でも、もう老木だから、いくら待っても桜は咲かないと思うっすけどね」
時が過ぎ、村は大きく姿を変えた。丘から見えた田園風景は今はもうない。ここから見える緑は数えるくらいだ。
私は長く生きすぎた。
今では花を咲かすこともない老木なのだ。花を付けない私に、会いに来る人はなく、ここ何十年も人には会っていなかった。
ようやく人の声が聞けたと思ったら、仲間の木を切るものとは、皮肉なものだ。私もじきに切られるのだろう。それもいい。私には思い残すことなど無いのだから。
「……」
また人の声がする。
「ばあちゃん着いたよ」
「ん、あぁ、ありがとう」
老婆が青年の手を借り、車椅子から身体を起こした。ゆっくりと足をあげ老木へと近づいてくる。老婆は木に着くと、愛おしそうにその幹を撫でた。ぽろぽろと落ちる幹を拾いながら老婆の口が開いた。
「お別れを言いに来ました。いままでありがとう。子供の頃、ここでのお花見がとても楽しくて、あの思い出は私の生きる支えでした」
老婆の話では、私は雪が溶けたら切られるそうだ。まだ私を覚えていた人がいたとは、ありがたいことだ。最後に良い思い出が出来た。
* * *
冬が来た。そしてまた、私のもとに雪の子が来てくれた。
枝先に乗った雪は、白い少女となり微笑む。
「やぁ、雪の子よ。今年も来てくれてありがとう。実は君にお願いがあるんだ……」
その夜は、この土地では珍しく大きな雪が降っていた。
「カーテンを開けてくれないかい?」
ベッドに横たわった老婆が、身体を起こしながら青年に声をかけた。
「今日は冷えるから少しの間だけだよ」
青年はそう言って静かにカーテンを開けた。その窓からは老木の丘がよく見えた。外は夜だが、降り積もった雪と街の電灯で、不思議と浮かびあがって見えた。
「……あぁ、やっぱり。夢の通りだ。ありがとう。ありがとう」
老婆は涙を浮かべて喜んだ。
青年もその様子を見て、すぐさま丘へと目をやった。そこには枯れかけの老木、ではなく満開の桜をつけた立派な木がありました。白く柔らかな雪の花をつけて……
「ばあちゃんの話の通りだね。凄く立派で綺麗な桜だよ」
そう言って青年は老婆の肩を優しくさすりました。そして、その様子を丘の上から見ていた老木も安堵しました。
「これで私もお別れが言えた。ありがとう雪の子。こんな気持ちは久しぶりだ」
そして老木は眠りにつきました。深く静かな眠りに。崩れゆく幹も、折れ落ちる枝も。
雪の子は、ただ優しく降り注ぐのでした……
そして、それは私に優しく降り注いだ……
* * *
私はこの村の象徴として植えられた桜の木。植えられた場所は見晴らしのよい丘の上だった。そこからは村の全てがよく見えた。
村人は何かにつけて私の近くに集まり、歌や踊りを楽しんだ。そこにはいつも沢山の笑顔があった。私は皆の笑った顔が大好きだった。
私は皆の喜ぶ顔が見たくて、大きく背伸びをした。めいっぱい葉を広げて、根を広げて、色の良い花を咲かせた。
どうだいすごいだろ?
私には皆の笑顔が一番のご褒美なのだ。
ところが、空の色が一層濃くなり、北風が幹にしみる頃になると、皆の足は遠退いた。私がこの丘で初めて迎える冬が来るのだ。
そして私は、彼女達に出会った。
まだ細い私の枝に、白く柔らかな雪が降りてきた。私を傷付けぬよう、優しく触れてはぱらりと落ちる。そして上手く枝に乗れた雪は、白い人の形へと姿を変えていくのだ。
白い着物に白い肌。美しい少女となった雪の子は、白い瞳で私を見つめ、そっと微笑んだ。
「やぁ、雪の子かい。来てくれて嬉しいよ」
雪の子は言葉を話さない。ただ優しく微笑み、側にいてくれる。私の大切な友達なのだ。
* * *
あれからどれだけの年月が過ぎただろうか。今年も風が冷えてきた。そろそろ秋も終わる。
「……」
何か聞こえる。
あぁ、そうだ。これは人の声。
「加地さん、この木も切っていいですか?」
「あ、あぁ。この木だけは最後にしてくれ。ここの主だから」
「いいっすよ。でも、もう老木だから、いくら待っても桜は咲かないと思うっすけどね」
時が過ぎ、村は大きく姿を変えた。丘から見えた田園風景は今はもうない。ここから見える緑は数えるくらいだ。
私は長く生きすぎた。
今では花を咲かすこともない老木なのだ。花を付けない私に、会いに来る人はなく、ここ何十年も人には会っていなかった。
ようやく人の声が聞けたと思ったら、仲間の木を切るものとは、皮肉なものだ。私もじきに切られるのだろう。それもいい。私には思い残すことなど無いのだから。
「……」
また人の声がする。
「ばあちゃん着いたよ」
「ん、あぁ、ありがとう」
老婆が青年の手を借り、車椅子から身体を起こした。ゆっくりと足をあげ老木へと近づいてくる。老婆は木に着くと、愛おしそうにその幹を撫でた。ぽろぽろと落ちる幹を拾いながら老婆の口が開いた。
「お別れを言いに来ました。いままでありがとう。子供の頃、ここでのお花見がとても楽しくて、あの思い出は私の生きる支えでした」
老婆の話では、私は雪が溶けたら切られるそうだ。まだ私を覚えていた人がいたとは、ありがたいことだ。最後に良い思い出が出来た。
* * *
冬が来た。そしてまた、私のもとに雪の子が来てくれた。
枝先に乗った雪は、白い少女となり微笑む。
「やぁ、雪の子よ。今年も来てくれてありがとう。実は君にお願いがあるんだ……」
その夜は、この土地では珍しく大きな雪が降っていた。
「カーテンを開けてくれないかい?」
ベッドに横たわった老婆が、身体を起こしながら青年に声をかけた。
「今日は冷えるから少しの間だけだよ」
青年はそう言って静かにカーテンを開けた。その窓からは老木の丘がよく見えた。外は夜だが、降り積もった雪と街の電灯で、不思議と浮かびあがって見えた。
「……あぁ、やっぱり。夢の通りだ。ありがとう。ありがとう」
老婆は涙を浮かべて喜んだ。
青年もその様子を見て、すぐさま丘へと目をやった。そこには枯れかけの老木、ではなく満開の桜をつけた立派な木がありました。白く柔らかな雪の花をつけて……
「ばあちゃんの話の通りだね。凄く立派で綺麗な桜だよ」
そう言って青年は老婆の肩を優しくさすりました。そして、その様子を丘の上から見ていた老木も安堵しました。
「これで私もお別れが言えた。ありがとう雪の子。こんな気持ちは久しぶりだ」
そして老木は眠りにつきました。深く静かな眠りに。崩れゆく幹も、折れ落ちる枝も。
雪の子は、ただ優しく降り注ぐのでした……
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