第48話 断食体験に行ってみた 2泊目

文字数 3,194文字

 6時にスマホのアラームで目覚めた。昨日は髪をちゃんと乾かさずに寝転んでしまったから、髪の毛がパンク風。放射状に広がっている。
 集合時間までそれほど時間に余裕はない。慌ててシャワーを浴びて、ガッシガッシと頭をタオルで拭いて作務衣(さむえ)を着て部屋を出た。忘れ物に気付いて戻り、また部屋を出る。残念ながら心の平穏とは縁遠い朝だ。

 全員でお寺の本堂へ(おもむ)き、住職に続いてお経を唱える。そこで改めてお腹が()いていることに気付く。腹から声が出ないのだ。

 お次は坐禅(ざぜん)で、(コイ)の泳ぐ透き通った池を眺めながら(おこな)う。前夜の坐禅は動くものが目に映らない静寂の中、今回は小さな滝の流れる音もあり、これならととのう……じゃなくて無心でいられるのではないかと期待。

 坐禅が始まった。お尻に敷く丸型のクッションである坐蒲(ざふ)について、住職から「真ん中ではなくもっと端に座った方が()い」とのアドバイスをいただく。その通りにしたら左足が痺れなくなった。ありがとうございます。
 半目を()けたまま、心を静かに……、静かに……ならないな。やはり余計な事ばかり頭に浮かんできてしまう。
 手を合わせて住職に肩を打っていただいた。右肩を2回、左肩を2回で、そこそこ痛い。そうして邪念を払い、改めて無心、……無心……、お腹…………()いた……。どうやら僕は欲望にまみれているみたいだ。

 足が痺れなくなっただけでもヨシ。
 坐禅が終わると、梅湯(ばいとう)という、お湯に蜂蜜(はちみつ)を溶かし梅干しを入れたものを頂いた。お腹に優しい甘味(あまみ)と酸味、塩分あり。深く味わい過ぎて住職の法話が始まってしまった。急いで湯を飲み干す。それにしても美味(うま)いなぁ。

 法話は、「プライドなんてくだらないものは捨てよう」というお話で。色々とエピソードとか小噺(こばなし)的なものを交えてお話をされていた。僕の心に残ったのは次の話だ。

 とある暗い場所で4人が、油で火を灯し坐禅を組んでいた。そのうちに油が切れてふっと火が消えてしまった。それで、一番左の者が使用人に「おい、油が切れたぞ!」と怒鳴った。その横の者が、「坐禅をしているのに大きな声を出すんじゃないよ」と叱った。そのまた横の者が「君だって声を出してるじゃないか」と言った。一番右の者は、ひとり静かに心の中で「俺だけが坐禅を出来ている」と考えた。
 一番右の者が非常に厄介なのである。「自分だけが出来ている」と思うこと自体がプライドに支配されてしまっているわけで。それよりまだ油程度で使用人に怒鳴った者の(ほう)が単純明快な考え方で()い、というお話だ。

 これも僕に突き刺さったお話で、僕は一番右のヤツと同じだと思った。集団の中で自分と他人を比較して、出来るだけ優位に立とうとしたり、他人よりも上手く物事をこなそうとしたり。そしてそれが出来ないと嫌になってしまうんだ。ということで、自分がプライドまみれだってことに気付いた。どんどん矮小(わいしょう)な自分が現れるぜ。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 朝のストレッチ()は自由時間。
 無料の貸し出し用自転車があり、時間を目一杯使って街を散策した。博物館にも()ったけれど、今回その話は割愛します。
 お寺に戻ろうとしたら、ちょうどお昼時だったためレストランや食事処の(にお)いが……。あと6時間かグルルルゥ。

 13時から仏教体験で、本日は写仏なのでありました。仏様のお姿を筆ペンでなぞり書き。これも無心でやるものだということで、何も考えず、線がよれても太くなっても気にせず、慌てず騒がず、ただただ線をなぞることに集中した。まあそれでも雑念は入りまくるわけで、それをどうこうしようとしない。少しだけ無心の意味というかコツが分かってきたのかも。

 と、ここまでを今テラスで椅子に座って書いている。時間の経過で湖面に伸びる影が動いて、遠くに(そび)える山の色も微妙に変わっていく。景色ってのは一日の中でも色んな表情を見せるんだなと感動しているところです。でもこの季節で良かった。夏は暑くてテラスに出られないだろうし冬は寒くて出られないだろうから。春は花粉が……、って考えると秋って最高だ。

 本日の住職の茶話(さわ)、お話し会で質問した。後で自分が読みなおせるよう、箇条書きにします。

・どうしても他人と自分を比べてしまいます。結果、成功者に嫉妬したり、自分より劣る人を探してみたり。どうしたら治るのでしょうか。

 ……嫉妬心を消すことは無理だから、そういう気持ちを持った自分に気付いて、不出来(ふでき)な自分と上手く付き合っていくのが()い。(みな)さん「0」か「100」かで考えてしまうが、それを消そうとするでもなく、それに追い詰められるのでもなく、その感情と一緒に生きて、それを(かて)にするくらいになればいい。それに、自分の幸せを、自分より劣る人を見て(はか)るのはやめるべきだ。そんな幸せは、結局自分よりも優れた人、成功した人を見ればすぐに壊れてしまうから。

・自分が今、幸せだと感じる方法はあるのでしょうか。

 ……「水を掬すれば月手に在り」という言葉がある。空に浮かぶ月を(つか)もうとしたって絶対に掴めない、でも水を手で(すく)って月を水面に映せば、手の中に()れることが出来る。手の届かない幸せを追い求めるのではなく、自分の足元に転がっている幸せを(すく)って生きていくのが良いのではないか。
 具体的には、寝る前に今日あった幸せなことを10個考える。例えば「今日も元気に過ごせた」とか「今日もご飯を食べることが出来た」とかでもいい。そんな当たり前のことを幸せとして受けとめる「癖」をつけていくように。

・おそらく僕が成功者と呼んでいる人たちは、お金持ちのことだと思います。お金には執着していないつもりなのですが、ぼんやりと(ねた)んでしまいます。アイツは運が()いだけだとか、卑怯だとか考えてしまうんです。

 ……成功というのを金銭的な面で捉えたとして。お金なんて幾らあったって、所詮人間は食べて出すだけの生き物で、その食べるのと出すのがちょっと豪華になるだけだ。成功した人と自分を比較してわざわざ(つら)い思いをする必要はない。むしろ自分自身が、今よりちょっとずつでも豪華になっていくように(つと)めていけば()いのでは。

 今の自分の身の回りにある当たり前の幸せを、たくさん(すく)っていこうと思います。ありがとうございます。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 今日の有料レッスンはピラティスだった。ピラティスはドイツ生まれのエクササイズで、体のバランスを整えるのに役立つとのこと。
 体操していると時間が早く過ぎるし、姿勢を良くしたくて参加してみた。いやはや、自分の体の、特に骨盤の硬さに閉口しましたわ。家に戻ってからも動画とか観て継続していこう。

 夕食前に鏡を見て、「あれ? 痩せた?」と思い体重計に乗ると、全く変わっていなかった。それで気付いた。姿勢が良くなってるぞ!

 ……ということで夕食です。本日はかぼちゃの味噌汁、小松菜のおひたし、おからと生姜の()えもの、昆布とさつまいもで御座いました。
 ご飯はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ多めによそった。デジタルスケールには乗せなかった。
 24時間ぶりのお食事だから、しっかり噛んで、味わって、全ての栄養を取り込むイメージで食べた。おからと生姜の()えものでご飯がススムススム。頭の中で、ゆっくり食べようよと(さえず)る天使と、もっと食べたい早く食べたいと焦る悪魔が激しい戦闘を繰り広げる中、僕はひたすら咀嚼(そしゃく)を続けるのであった。

 夜の坐禅は、なんと足が痺れず。一瞬だけ無心になれた気がしたけど、もしかすると眠っていたのかも知れない。呼吸とともに数をかぞえるといいらしく、それを実践してみたら確かに心の声は消えた。しかし代わりに今日の出来事フラッシュバックが襲ってきた。坐禅の道は険し。

 寝る前ストレッチを終え、部屋に戻り以下略。

 なんだか身体も心も軽くなってきた気がする2日目、終わり。幸せを10個、(すく)って寝ましょうかね。
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