第14話

文字数 2,543文字

 「…クジラのバッジ…そうか、おかしな調査をしているのは君だね」
思った通り、だけれども期待していたような結果が出なくて沈んでいた私に見知らぬ老人が声をかけてきた。
「よりによってこの街で”海”と”金ヶ崎”について聞き回るとはね…なかなかできることじゃあない。それで良い成果は得られたのかな?」
「質問内容を知っているくらいだから結果も知っているんじゃないですか?」
「いやいや、いくら結果がわかりきっているような調査でも、実際の結果はふたを開けるまでわからないからね。で、どうだったのかな?」
なんだろう、やたら失礼な人だな…。それに老人のように見えて話し方は若い。ねっとりとした話し方だけど舌はきちんと回っている。朽ちかけた葉のような色の伸びきった髪や猫背の姿勢のせいで老人に見えていただけで本当は40歳くらいかもしれない。
「…あなたの思っている通りですよ。私は夢を見続けたままの方が良かったのかもしれない」
「そうだね、夢は覚めない方が幸せだ。でも幻想のような夢は前に進みたい人間にとっては大きな枷になる。…僕はね、この歳になってもまだ落としてしまった夢を拾い上げようと必死なんだよね」
「は、はあ…」
「まあそんなことはどうでもいい。僕の幻想については誰かに共有するつもりはないからね。それよりもこれ以上踏み込むのはやめなさい。君はそろそろ手を引くべきだ」
「それは私に真相を知られたくないからですか?」
「いや…これは君が思っている以上に深く、危険な話だからだ」
ますます怪しい。そうやって一見こちらを心配するような言葉を使って手を引かせようとする人ほど黒幕であることが多いのだ。夢とか幻想とかよくわからないことを言って自分の世界に入り込んでいるところとかも何かを企んでそうな感じがする。
「そもそも金ヶ崎グループについて深追いするな、と言うのはわかりますが海や鯨がタブーである理由がわかりません。歴史の授業で習った某海戦だって今じゃ風化したものだろうし…」
「…あれ、てっきり君も白鯨を追っているのかと」
「”白鯨”?」
「…そうか、勘違いをしていた。てっきり君もあの若きハッカーの仲間かと…」
「待って、”白鯨”って何!?若きハッカーってきっと狩生先輩のことだよね!?あの人は何か知ってるの!?」
「うーん、僕としたことが…つい大事なことを漏らしてしまった。あのハッカーの知り合いなんだね?ならあの子を止めて欲しいな」
「それはあなたが何者であるのかと、”白鯨”の内容次第で決めます」
「…手強いね。その目の色…ウンディーネの加護かな?赤の他人のはずなのにみーんなあの人に似たものを持ってるんだから面白い。…それはさておき、うーん…どこまで話すべきか…、そうだな、簡単に言えば”白鯨”、正式には白鯨プランは理研特区の海底に巨大なエネルギープラントを建設する計画のことだ」
海底にエネルギープラント…?でも海に行っても大規模な工事が行われている気配は全くなかった。本当のことだとは思えないが、この人がそんな嘘をつく理由もわからない。
「信じられないって顔だね。それはそうだろう、基本的な工事はとっくの昔に終わっている。それこそ皆が海を忌み嫌い近寄らないようにしていたうちにね…」
「そんな誰も海に近寄らせないことなんて無理に決まってる…!」
「別に誰の目にも触れないように…というところまでは求められてないさ。ただ海で何か大規模な工事を行っていても誰もが無関心であれば良い。理研特区での開発工事なんて日常だしね」
「だから自然…特に海洋資源の保護を唱えるのは異端だった…って、そんな理研特区全体を巻き込んだ計画誰が実現できるんですか!」
「…それはわからない。僕だって化学研究科に来たばかりなんだ。生態研究科にはいられないし、電子工学研究科はなんというか…生まれ持った意識が拒絶しているし…。何の気まぐれかここらの海に潜った時に偶然それを見つけたんだよ」
「実物を見たってことですか?でも何故海に潜ったりなんか…あなたも理研特区の人なんでしょ?それとも化学研究科以外の人はそれほどじゃない…?」
「どこもここと同じさ。僕の知り合いには例外が多かったけどね。僕は”どうでもいい”派かなぁ…でも個人的に海には愛憎どちらの感情もあるよ。…だからこそ俺の思い出を侵害した誰かのことは許せない…」
「…思い出?」
「ああいや、こっちの話。正直僕が見た時には既に理研特区だけじゃなく他国の領海にまで入り込むかのような勢いだった。うーん、こんなことを言うと逆に君が身を乗り出してきそうだけど、それこそイサナだって他人事じゃあないだろうね」
「そんな…!」
イサナにとって海は宝であることはもちろんだけど、国民の生活を支える資源でもある。それを破壊されれば国が傾くことだって十分にありえる…。私の知らないところで故郷がそのような危機に直面していたなんて…
「そんな蒼い顔をしなくてもいい。イサナも他人事ではないとは言ったけどまだ領海を侵害されてはいない。放っておいたらどうなるかはわからないけど…」
「…こんな話をしておいて私に引き下がれと言うんですか」
「…長い時間をかけて行われてきた大きな力による計画だ。君たちが阻止しようだなんて無謀すぎる」
「それはあなたにも言えることでしょう。何者かは知りませんが単独での攻略は危険極まりないですよ」
「僕はいいんだよ。大事なものはない、法を犯すことにも慣れている。それにすでに死んでいるようなものだからね」
「いや、全然良くないですよ!自分の身には何があっても構わないみたいな感じになってますけど、さっき夢を拾い上げようとしているとかなんとか言ってたじゃないですか!あなたにだってまだやることがあるってことでしょ!…とにかく、私は抜けるつもりないので。情報ありがとうございました」
「えっ、ちょっと…」

 「行ってしまった…。”まだやることがある”ねぇ…。拾い上げるのはもう無理なんだよ…俺にできるのはただ、それが沈む場所を綺麗なままにすることだけで」
しかし彼女を止めるつもりで声をかけたのに余計なことを話しすぎてしまった。なんだろう、かつて生態研究科を救った2人の、勇敢さと我の強さが宿ったような人間だったからだろうか。


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登場人物紹介

有河ミサキ(アルガ-)

両親の他界により理研特区化学研究科の親戚に引き取られ転校してきた少女。真面目で行動的、正義感の強い人物。編入試験で満点を取るほど優秀だが理研特区の常識には疎く、彼らが魔法と海を頑なに避けていることに疑問を抱いている。

金ヶ崎桃花(カネガサキ モモカ)

一文路本家が滅亡したことで理研特区の覇権を手にした金ヶ崎財閥の令嬢。社交的で華がある。転校生である有河にも友好的で、彼女に学校を案内したり、理研特区の歴史や常識を教えたりする。

名取ほむら(ナトリ-)

お団子頭が特徴の元気で愛らしい小動物のような少女。勉強が苦手で仮進級状態のため成績優秀な有河に助けを求める。フレンドリーだが落ちこぼれゆえ友達が少ない。

狩生来夢(カリウ ラム)

有河たちより1学年上のダウナー系少女。出席日数不足で留年している。理研特区近海で秘密裏に進められている計画について調べている。

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