ジゴクメグリで鬼にあう。

文字数 2,003文字

「ほら、マサヒロくん、豆菓子、食べるかい?」

「いらない。ぼく、ソフトクリームがいい」

 マサヒロは、ぷいっとそっぽを向く。パパは去年、とつぜんマサヒロのパパになった。マサヒロの本当のパパは、マサヒロが生まれる前に死んだそうだ。

「わがまま言わないの! パパにお礼を言いなさい!」

 ママに叱られて、マサヒロはしぶしぶ手を出し、豆菓子を受け取ると、ポケットにつっこんだ。

「今の子は豆菓子なんか嫌いだよね」

 パパは曖昧に笑う。弟のタカヒロは、機嫌よく豆菓子を食べている。

 タカヒロは去年、やっぱりとつぜん現れた弟で、パパとママの本当の子供だ。夏休みに家族旅行で、どこに行きたいか聞かれ「遊園地!」と答えたマサヒロの意見は、ママに一蹴された。

「タカヒロがまだ赤ちゃんなんだから、遊園地じゃ、楽しくないでしょ」

 タカヒロが生まれてから、ずっと、マサヒロはナイガシロにされていると感じていた。
 結局、別府のジゴクメグリとやらに来ている。ぶくぶく温泉が湧いてるだけで湯気が熱いし、硫黄の嫌な臭いがするし、マサヒロはちっとも楽しくない。

 パパとママと、ママに抱っこされたタカヒロが楽しそうに歩いて行く。マサヒロは、くるっと後ろを向くと、人波に逆らって、人のいないほうへ歩いていった。

 もうもうとけぶる湯気をくぐって左へ曲がると、下り坂になっていた。

「こら! こんなところで何をしている!」

 とつぜん怒鳴られて、びくっとする。
 目の前に、青鬼が立っていた。マサヒロはスタッフエリアへ入り込んでしまったんだと思って素直に謝る。

「ごめんなさい! 道に迷ったんです。すぐ行きます」

 そう言って、もと来た道へ戻ろうとしたが、青鬼がマサヒロの腕を握った。

「よし、では、戻るぞ」

 青鬼の手は、びっくりするほど冷たい。まるで氷を押し当てられているようだ。
 もしかして、化粧や着ぐるみではなく、本物のオニ?

 青鬼は坂をどんどん坂を下っていく。
 硫黄の臭いはどんどん強くなり、その中に、血のような臭いもする。人の声が聞こえて、マサヒロが目をこらすと、あちらこちらの湯気の向こうに、たくさんの人の姿が見えてきた。

 肉が裂け、血を流し、熱湯で焼けただれた人の姿。お寺で見た地獄絵図そのものだ。
 マサヒロは真っ青になって、オニから逃れようと、必死にもがく。

「放して! ぼく、悪いことしてないよ!」

「嘘を言っても無駄だ。ここにちゃんと書いてある。お前は親を心配させ、泣かせた罪がある」

 オニが腰に下げた大福帳をめくってマサヒロに見せたが、ミミズが這ったような文字は、とても読めない。

「ぼくのこと、だれも心配なんかしないよ!」

「そんな誤魔化しは通用せんぞ。証拠がある。ほら、あそこを見てみろ」

 青鬼が指差すところでは、血の池が、ごぼりごぼりと泡立っている。その泡の中に見えたのだ。
 ママがおろおろと泣いている。パパがマサヒロの名を叫びながら走り回っている。

(いますぐ、帰らなくちゃ!)

「さてさて、親不孝者の罰はなんだったか…」

 青鬼がマサヒロから手を離して大福帳を捲りだした。マサヒロはポケットの豆菓子をつかむと、オニの顔に投げつけた。

「わっ! いたた!」

 オニがひるんだ隙にマサヒロは駆け出した。坂をどんどん駆け上る。

「こら待て! 逃がさぬぞ!」

 オニがドシンドシンと足音高く追ってくる。どんどん駆けても、足音は徐々に近づいてくる。
 ようやく坂の頂上が見え、角を曲がると、湯気の向こうにママの後ろ姿が見えた。

「ママ! ママ! 助けて!」

 叫んだが、ママにはマサヒロの声が聞こえていないようだ。ママに抱っこされたタカヒロだけが、ポカンとこちらを見ている。

「こら、小僧! 逃げられると思ったか!」

 オニに腕を掴まれた。

「ママ! ママ!」

 叫ぶが、声は届かない。

「大人しく地獄へもどれ」

 オニがそう言った時、タカヒロが手に持っていた豆菓子を、ぽーんと投げた。

「あいたたた!」

 豆菓子は青鬼の目に飛び込んだ。鬼は思わず手を離す。マサヒロはオニの手をくぐり、湯気の向こうへ走った。

 ドン!

 人とぶつかって、マサヒロは勢いあまって尻餅をついた。

「マサヒロ! こんなところにいた! 駄目じゃないか、心配したんだぞ!」

 見上げた先に、パパがいた。
 髪がくちゃくちゃに乱れて、肩で息をしている。
 マサヒロは後ろを振り返った。湯気の向こうには、曲がり角なんてなかった。道はまっすぐな一本道だ。

 マサヒロの目に、みるみる涙が浮かんだ。

「ジゴクは熱湯で危ないんだ。勝手にうろうろしちゃ、駄目じゃないか!」

 パパの声に、マサヒロは素直に謝った。

「ごめんなさい……、ごめんなさい」

 ぼろぼろと泣くマサヒロの姿に、パパはやっと、安堵の息をついた。

「よしよし、泣かなくてもいいよ。さ、ママも心配してる。行こう」

 パパが手を握って、優しく引っぱってくれた。パパの手は、とっても温かかった。
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