願いごと、ひとつ
文字数 2,073文字
「まいちゃん、またリハビリさぼったって?」
看護師と廊下で顔をあわせた途端、そう声をかけられた。
「手術までに筋力つけておかないと、後がキツイよ?」
「私、手術うけませんから」
舞は視線をそらして答える。
「えっ? なんで?」
「歩ければ十分ですから。今のままで十分」
「でも、手術さえ受ければ……」
「もう、いいんです!」
大声を出した舞自身がビックリして目を大きく開く。
「あ……、ごめんなさい」
俯いてしまった舞に、看護師は微笑む。
「いいよ。そうだ、舞ちゃん。良かったら、あなたも書いて」
手にしたバインダーの間から短冊を出し、舞に渡す。
「七夕の短冊。ロビーに笹を飾るから、願いごとを書いて結んでね」
舞は無言で短冊をパジャマのポケットに突っこむと、右足を引きずりながら自分の病室へ戻った。
療養に専念できるようにと舞の母が個室を手配したので、誰にも邪魔されずリハビリをサボることができる。皮肉だ、と舞は笑う。
ベッドに腰かけ、ポケットの短冊をゴミ箱に捨てた。
寝転んでぼーっとしているとドアをノックする音がする。返事はしない。カラカラと戸が開く音がして「舞、いる?」と予想通り美玖の声がした。美玖はそーっとベッドに近づく。
「あ、起きてたんだ。調子はどう?」
舞は目だけでチラリと美玖を見る。
「べつに」
「あのね、先生が今日は来れないって。発表会が近いから、遅くなるからって」
「あっそ」
そっけない舞に、美玖は会話の糸口を探して目を泳がせて、ゴミ箱に捨てられた短冊を見つけた。
「あ、短冊。そう言えばロビーに竹があったよ」
「竹じゃなくて、笹」
「そうだっけ。舞は書かないの?」
「お願い事なんて、叶わないからね」
「え、そんなことないよう…」
舞はガバっと身を起こすと、叩き付けるように叫ぶ。
「願うだけで叶うなら、なんで私は踊れないの!? なんで3回も手術して良くならないの!」
「それは……。でも、今度の手術なら……」
「私、もう14歳になっちゃったのよ! バレリーナにとって14歳がどれだけ大事な時期か、ヘタくそなアンタだって知ってるでしょ! 今すぐ手術したって、半年はリハビリ! もう1年半もまともに踊ってない! 私はもう、終わったのよ!! ローザンヌに行けないの!!」
ベッドに突っ伏す。美玖は言葉が見つからない。
「……帰ってよ。帰って!!」
顔を上げた舞は、泣いてなどいなかった。ギラギラした目で美玖を睨みつけた。美玖は、そっと後ずさると病室を出て行った。舞はいつまでも、ドアを睨んでいた。
7月7日は雨だった。
舞はロビーに足を運び、短冊を見ていた。「元気になりたい」「病気がなおりますように」「家に帰りたい」子どもたちの切実な願いがぶら下がっている。
「願いなんか叶わない。今日は、雨がふってるじゃない」
つぶやいて、病室に戻った。
面会時間を過ぎて一時間、舞の病室のドアがカラカラと開いた。なんだろうと起き上がると、美玖が立っている。舞はいぶかしんで、眉根を寄せた。
「何してんの? 面会時間は終わってるよ」
「忍び込んできたの。これ、着て。行こう」
美玖は膨らんだポケットから黒いビニール製のポンチョを取り出した。
「行くって、どこへ? なに、コレ?」
「雨合羽。いいから早く! 見つかっちゃう」
黒いポンチョを着て足音を忍ばせ、守衛の目をかいくぐって病院の裏口から外に出た。雨はますます強まっていた。
「乗って!」
美玖が自転車にまたがって、荷台を指差す。
「乗ってって……どこへ」
「いいから、早く!!」
常に無い美玖の強い口調に押し切られ、舞は荷台にのぼり美玖につかまった。美玖は力強くペダルを踏み込み、二人乗りとは思えないスピードで走り出す。
15分ほどで山道になる。県境の峠道だ。美玖は腰をあげ、立ち漕ぎで進む。勾配はどんどん上がるが、美玖は漕ぎやめない。
「ねえ歩いていこう、ねえ、美玖!」
舞が叫んでも、美玖は無言で漕ぎ続けた。
とうとう頂上が見える最後の急坂に来た。さすがの美玖も、息が切れている。
「美玖! ねえ、歩こうよ!」
「ダメ! 漕ぐの!」
美玖は叫び、ラストスパートとばかり、速度を上げた。頂上につき、カーブを曲がると、雨は、ぴたりと止んでいた。
美玖が荒い息をつき自転車を降りる。舞も降りて空を見上げると、満点の星空だった。
「うそ……、晴れてる」
「山の向こうが雨でも、こっちは晴れってこと多いんだ。ね、これ、書いて」
美玖は短冊を舞に渡す。
「私これから死ぬ気で頑張って、ローザンヌ目指す。舞と一緒に。だから、書いて。また七夕が雨だったら、私が自転車で連れて行ってあげる、星が見えるところまで。約束する」
舞は短冊を受け取ると、力いっぱい、うなずいた。舞の目には涙が浮かび、星のようにキラキラ輝いた。
翌日、山の持ち主の老人が、ノコギリをかついで竹林へ来た。ふと、二枚の短冊が目に入る。
しばらく短冊を見ていたがノコギリを担ぎなおすと竹の手入れを中止して、くるりと振り向き、来た道を戻っていった。
二枚の短冊は風をうけて、ヒラヒラと舞っていた。
看護師と廊下で顔をあわせた途端、そう声をかけられた。
「手術までに筋力つけておかないと、後がキツイよ?」
「私、手術うけませんから」
舞は視線をそらして答える。
「えっ? なんで?」
「歩ければ十分ですから。今のままで十分」
「でも、手術さえ受ければ……」
「もう、いいんです!」
大声を出した舞自身がビックリして目を大きく開く。
「あ……、ごめんなさい」
俯いてしまった舞に、看護師は微笑む。
「いいよ。そうだ、舞ちゃん。良かったら、あなたも書いて」
手にしたバインダーの間から短冊を出し、舞に渡す。
「七夕の短冊。ロビーに笹を飾るから、願いごとを書いて結んでね」
舞は無言で短冊をパジャマのポケットに突っこむと、右足を引きずりながら自分の病室へ戻った。
療養に専念できるようにと舞の母が個室を手配したので、誰にも邪魔されずリハビリをサボることができる。皮肉だ、と舞は笑う。
ベッドに腰かけ、ポケットの短冊をゴミ箱に捨てた。
寝転んでぼーっとしているとドアをノックする音がする。返事はしない。カラカラと戸が開く音がして「舞、いる?」と予想通り美玖の声がした。美玖はそーっとベッドに近づく。
「あ、起きてたんだ。調子はどう?」
舞は目だけでチラリと美玖を見る。
「べつに」
「あのね、先生が今日は来れないって。発表会が近いから、遅くなるからって」
「あっそ」
そっけない舞に、美玖は会話の糸口を探して目を泳がせて、ゴミ箱に捨てられた短冊を見つけた。
「あ、短冊。そう言えばロビーに竹があったよ」
「竹じゃなくて、笹」
「そうだっけ。舞は書かないの?」
「お願い事なんて、叶わないからね」
「え、そんなことないよう…」
舞はガバっと身を起こすと、叩き付けるように叫ぶ。
「願うだけで叶うなら、なんで私は踊れないの!? なんで3回も手術して良くならないの!」
「それは……。でも、今度の手術なら……」
「私、もう14歳になっちゃったのよ! バレリーナにとって14歳がどれだけ大事な時期か、ヘタくそなアンタだって知ってるでしょ! 今すぐ手術したって、半年はリハビリ! もう1年半もまともに踊ってない! 私はもう、終わったのよ!! ローザンヌに行けないの!!」
ベッドに突っ伏す。美玖は言葉が見つからない。
「……帰ってよ。帰って!!」
顔を上げた舞は、泣いてなどいなかった。ギラギラした目で美玖を睨みつけた。美玖は、そっと後ずさると病室を出て行った。舞はいつまでも、ドアを睨んでいた。
7月7日は雨だった。
舞はロビーに足を運び、短冊を見ていた。「元気になりたい」「病気がなおりますように」「家に帰りたい」子どもたちの切実な願いがぶら下がっている。
「願いなんか叶わない。今日は、雨がふってるじゃない」
つぶやいて、病室に戻った。
面会時間を過ぎて一時間、舞の病室のドアがカラカラと開いた。なんだろうと起き上がると、美玖が立っている。舞はいぶかしんで、眉根を寄せた。
「何してんの? 面会時間は終わってるよ」
「忍び込んできたの。これ、着て。行こう」
美玖は膨らんだポケットから黒いビニール製のポンチョを取り出した。
「行くって、どこへ? なに、コレ?」
「雨合羽。いいから早く! 見つかっちゃう」
黒いポンチョを着て足音を忍ばせ、守衛の目をかいくぐって病院の裏口から外に出た。雨はますます強まっていた。
「乗って!」
美玖が自転車にまたがって、荷台を指差す。
「乗ってって……どこへ」
「いいから、早く!!」
常に無い美玖の強い口調に押し切られ、舞は荷台にのぼり美玖につかまった。美玖は力強くペダルを踏み込み、二人乗りとは思えないスピードで走り出す。
15分ほどで山道になる。県境の峠道だ。美玖は腰をあげ、立ち漕ぎで進む。勾配はどんどん上がるが、美玖は漕ぎやめない。
「ねえ歩いていこう、ねえ、美玖!」
舞が叫んでも、美玖は無言で漕ぎ続けた。
とうとう頂上が見える最後の急坂に来た。さすがの美玖も、息が切れている。
「美玖! ねえ、歩こうよ!」
「ダメ! 漕ぐの!」
美玖は叫び、ラストスパートとばかり、速度を上げた。頂上につき、カーブを曲がると、雨は、ぴたりと止んでいた。
美玖が荒い息をつき自転車を降りる。舞も降りて空を見上げると、満点の星空だった。
「うそ……、晴れてる」
「山の向こうが雨でも、こっちは晴れってこと多いんだ。ね、これ、書いて」
美玖は短冊を舞に渡す。
「私これから死ぬ気で頑張って、ローザンヌ目指す。舞と一緒に。だから、書いて。また七夕が雨だったら、私が自転車で連れて行ってあげる、星が見えるところまで。約束する」
舞は短冊を受け取ると、力いっぱい、うなずいた。舞の目には涙が浮かび、星のようにキラキラ輝いた。
翌日、山の持ち主の老人が、ノコギリをかついで竹林へ来た。ふと、二枚の短冊が目に入る。
しばらく短冊を見ていたがノコギリを担ぎなおすと竹の手入れを中止して、くるりと振り向き、来た道を戻っていった。
二枚の短冊は風をうけて、ヒラヒラと舞っていた。