Tre Memoria 大分の思い出 三つ

文字数 2,175文字

 父の幼馴染みが脱サラして、故郷の大分県宇佐市でうどん屋を始めたと聞き、墓参の折に立ち寄った。

 当時、大分自動車道が全線開通したばかりで、それまで半日以上かかっていた道程が、地元福岡から二時間でたどり着けることに感動した覚えがある。
 とは言っても、宇佐はまだまだ、と言うかとんでもない田舎で、父の実家の半径2キロ以内にある店舗は雑貨屋を兼ねた古い薬局とパーマ屋(誰も美容室とは呼ばない)だけで、飲食店は訪れたうどん屋一軒だけだった。

 そんなうどん屋は近隣のおじさん、おばさんで満員御礼だった。私たち家族は並んで待った。
父は忙しく立ち働く店主に話しかけて迷惑をかけていた。

 ようやく空いた席につき、それぞれ注文した。私は親子うどん。並んでいる間に減りに減ったすきっ腹を抱えて待っていると、来ました! 親子うどん!

「……なに、これ?」

「なに?」

「なんか、生卵が乗ってる」

「え、月見うどんが来た?」

「いや、鶏肉も乗ってる」

 私の常識では、親子うどんというのは、親子丼の具の部分がうどんの上に乗っているもので、詳細を述べれば鶏肉を煮て卵でとじたものが乗ったうどんだったのだが。

 とりあえず、鶏肉であるところの親と、生卵であるところの子が揃っている以上、親子うどんと言う名に文句はつけられない。
 ありがたくいただくことにして、うどんを一口すする。

「なに、これ?」

「なに、これ?」

「なに、これ?」

 家族中で、何これ大合唱。

「これ……、だごやろ?」

「だごやね」

「てか、醤油味のだご汁?」

 福岡生まれ福岡育ちの姉妹三人でヒソヒソ言っていると、大分生まれ大分育ちの父が

「お~、うまいな、このうどん!」

 とご満悦。店を見渡してみると、そこでもここでも、おっちゃんおばちゃんが「おいしいねえ」「うまい!」と大絶賛。

 郷土の味、ダゴ汁を食べなれた口には、団子団子したダゴ麺こそ最上のうどんなのだ。

 だご汁とは、小麦粉をこねて、もっちりさせた団子をいれたケンチン汁のようなもの。大分のソウルフードだ。
 ところ変われば品変わる。納得したのだった。

 ***

 そう言えば、九州の高速、大分道が開通する前は、えっちらおっちら半日以上かけて国道を通って福岡から大分まで帰省していた。
 九州縦断高速道が出来る前の盆暮れ正月の帰省ラッシュはすごかった。私は当時3歳くらいだったが、大分に行くと聞くと辟易したものだ。

 早朝に自家用車で出発し夜が更けても到着しない。渋滞、渋滞、まだ渋滞。きっと、歩いて行った方が速かったに違いない。

 正月の帰省のその時も、朝早くたたき起こされたのに、陽がくれてもまだ宇佐までたどり着けなかった。
 3歳の私と6歳の姉は車内で寝込み、両親は一泊することに決めたらしい。目覚めた時には車はモーテルの駐車場に止まっていた。一棟ずつの小さな建物に一台分の駐車場がそれぞれついた宿泊施設(休憩でも使える)。
 私は産まれて初めてラブホテルに足を踏み入れた。その時は、そこがどんな用途の建物かなんて知らなかったが。

 一足踏み込み「わあ!」歓声がもれた。床も壁もカーテンも可愛らしいピンク、回転する丸いベッド、鏡張りの天井、ガラス張りの浴室。
 私と姉は大はしゃぎで、風呂に入りながら、部屋にいる両親に手を振り、回転するベッドの上で飛び跳ねた。

 そこは、老夫婦が経営していたようで、私たち姉妹に食べきれないほどお菓子をくれた。

「大きくなったら、こんなおうちにすみたい!」

 と言った私の希望はかなう事はなかった。回転するベッドは流行遅れになったようで、大人になって以後、お目にかかれない。

***

「大きくなったら住みたい」と思った家が、もうひとつある。

 伯母が大分県の別府で、企業の保養所の管理人をしていた。どんな企業かは知らなかったが、そこは豪奢な和風建築の一軒家を丸々、保養所として所有していた。「電話室」というものがある古い古い建物だった。
 確か、明治後期だか大正初期だかに建てられたと聞いた気がする。

 古い建物だが、伯母は家事の天才だったらしい。いつでもぴかぴかに磨きたてられ、庭には季節の花が咲き、松は青々と茂っていた。
 社員が予約していない時は、いつでも遊びにおいで、と言われていたので夏休みごとに遊びに行った。

 温泉地、別府ならでは。源泉から管を引き、蛇口を回せば、いつでも温泉に入れた。十人はラクに入れる浴槽に温泉をかけ流して、一人きりで入る贅沢。

 裏庭には、温泉の蒸気だけを取る井戸のようなものがあり、伯母が丹精した菜園のとうもろこしをもいで来て、蒸し器に入れて温泉の蒸気で蒸した。
 なにもつけなくても、ほんのり塩味がして、とんでもなく甘く濃厚で美味だった。
 料理上手な叔母は三食すばらしい手料理を作り、もてなしてくれたが、実は蒸し野菜が一番好きだということは、今でも一番の秘密だ。

(大人になったら、叔母から引き継いで、この別荘の管理人になるんだ!)
 と、心ひそかに決意して、家事の腕を磨いていたのだが。
 バブル経済が崩壊して、その企業も苦しくなったらしい。保養所は売り払われ、古式ゆかしい和風建築の、回遊式庭園を有するそのお屋敷は取り壊され、マンションが建ってしまったという。

 永遠に手に入れることは叶わなくなったその家に住んでいる夢を、今でも私は見ることがある。
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