干上がった国

文字数 1,627文字

 と、その時。
 ポツリと地面に黒いシミが落ちた。
 誰からともなく、空を仰ぐ。

 それは数十年にもなる。
 乾ききったままだった空が、みるみる黒く染まる。

 ポツリ、ポツリ。
 一粒、一粒、落ちてきた水滴は、すぐに水の束になり人々の上に降りそそいだ。

「雨だ!」

「雨が降ったぞ! これで助かる!」

 空に向かい喜びを撒き散らす人々の足元、一人の老婆が、小さな娘の亡骸を抱きしめていた。
 


 この国には、雨が降らない。

 神話には「始まりの神は空から雨に乗り、地上に降りた」と書いてあるが、神話を研究する学者でさえ「空から落ちる水」などと言うものは、お伽話だと思っていた。
 水は地面から湧き出すもの。それがこの国の常識だった。
 外の国から、旅人が訪れるまでは。

 旅人は決死の冒険を経て、広大な砂漠と魔の山を超え、この国にたどりついた。彼は傷つき疲れ果て、死にかけていた。
 始まりの神の神殿に運ばれ、治療を施したが、日に日に死に近づくことを薬師も治癒師も止められなかった。

 神殿の治癒師たちは、最期の願いはないかと旅人にたずねた。
 
「もう一度、雨が見たい」

 旅人は、そう言い残し亡くなった。

 この言葉が国の常識を覆した。
 雨は実在するのだ。

 すぐに研究者が集められ、気候、土壌、水の分布、様々な学問の見直しが始まった。
 いくら研究しても、なぜこの国に雨が降らないかはわからなかったが、かわりに恐ろしい事実が判明した。

 国の地下に眠る水は、あと数十年で涸れるというのだ。

 研究者たちは、必死になって水を増やす方法を模索した。
 同時に雨を降らせる方法も。
 しかし、すべては徒労に終わった。
 この国は渇いて死んでいくと誰もが思ったそのとき、一人の占い師が言った。

「古来、雨を呼ぶには雨乞いの儀式をした」

 占い師は続けて言った。その儀式とは、始まりの神に生贄をささげ、伏して祈るというものだと。
 最初は誰もが一笑に付した。人の命で雨が降るものかと。
 しかし、とうとう水が尽き、瓶にたくわえた水が残り少なくなると、誰からとなく叫んだ。

「生贄を捧げろ! 雨を降らせ!」

 占い師は一人の娘を指差した。

「この娘は始まりの神に愛されし娘。この娘を捧げれば、神は雨を降らせてくれよう」

 娘はたしかに、始まりの神の神殿で、毎日欠かさず祈りを捧げてきた。
 しかし、神の声も聞こえなければ、その姿を見たこともない。愛されていると、どうして言えよう。誰がそれを知っていよう。

 娘のたった一人の肉親である祖母が、身代わりになると申し出た。しかし、占い師は首を横に振るばかり。

 娘は毎日、神に祈った。
 この運命に裁きを!! この国に滅びを!
 始まりの神は怒りの神。きっと願いを聞き取ってくれるはず、そう信じて。
 物も食わず祈り続けた娘は、日に日にやせ衰えていった。骨と皮ばかりになっても、その瞳は爛々と怒りの炎を宿し続けた。

 雨乞いの日はやって来た。
 娘は急ごしらえの粗末な祭壇に担ぎ上げられた。

「私は呪う! 貴様たちに災いを! 始まりの神よ! どうか裁きを!」

 しかし、娘の叫びはむなしく空に響くだけ。
 祭壇の前に進み出た占い師が、手にした剣を娘の首に振り下ろす。
 首はまっぷたつに切断され真っ赤な血が吹き上がる。
 娘の首はゴロンゴロンと祭壇から転がり落ち、近くにいた祖母が必至で抱きとめた。

と、その時。
 ポツリと地面に黒いシミが落ちた。
 誰からともなく、空を仰ぐ。

 ポツリ、ポツリ。
 一粒、一粒、落ちてきた水滴は、すぐに水の束になり人々の上に降りそそいだ。

「雨だ!」

「雨が降ったぞ! これで助かる!」

 誰もが雨を喜んだ。
 ただ一人。老婆だけが、娘の亡骸を胸に抱き、始まりの神に祈っていた。

「こんな国、ほろびてしまえばいい」

 雨は徐々に勢いを増し、あっという間に豪雨になった。人々が恐れおののいて逃げ惑ううち、雨はごうごうと落ちる滝に変わり。

 そして、すべては、流れ去った。
 まるで、始まりの神話のように。
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