ゆりかご

文字数 1,446文字

 女一人でどこの店にも入れるようになって、10年はたつ。ラーメン屋、バー、居酒屋。昔は独り呑みなんて考えられなかった。
 ところが、独身、彼氏なし、キャリアだけが積みあがるアラフォー女になると友達は皆、子持ちの主婦。プライベートの時間まで会社の人間の顔を見たくはない。
 必然的に、独りに慣れてしまった。

 今日も、始めての居酒屋に、ぶらりと入る。
 行きつけは作らない。なんだかんだと世間話などしたくないからだ。

「いらっしゃい!」

 のれんをくぐると、若い女が声をかけた。黙ってカウンターに座り「生」と注文する。

「はい、生いっちょう!」

 カウンターの中は男が一人で切り盛りしているようだ。夫婦だろう。ぴったりと息が合っている。

「お通しです。どうぞ」

 生ビールと一緒に、小鉢が出てくる。ぐいっと生ビールを飲み、煮物に箸をつける。
 おいしい。ひさびさに、家庭の味を食べた気がする。
 メニューを探すと、鯛の荒炊きがある。

「荒炊きと熱燗ください」

「はい! 荒炊きいっちょう!」

 元気良く答えると、女もカウンター内に入って行った。どうやら燗付けは女房の担当らしい。

 ふと、視線を感じて店の奥の座敷を見ると、2、3歳くらいの子供が顔をのぞかせていた。
 目があうと、にこおっと笑う。他に客はいないから、この店の子供だろう。客商売の家の子らしく、人見知りしないようだ。

 ビールを飲みつつ、ぼんやりと子供を見る。子供が、手に持った丸い筒を差し出してきた。

「貸してくれるの?」

 聞くと、にこにことうなずく。席を立ち、子供から筒を受け取る。万華鏡だ。光にすかして覗いてみる。
 キラキラしたビーズや銀紙が花畑のように広がる。くるくる回すと、くるくると違う顔を見せる。

「あらあら。遊んでもらって、すみませんね。ゆうちゃん、一人で遊ぼうね」

 振り返ると、女が盆に熱燗と鯛の荒炊きを載せてやってきていた。万華鏡を子供に返す。

「ありがとう。きれいね」

 子供はまた、にこおっと笑う。部屋の隅においてあるクッションに座って、一人、万華鏡を覗きだした。

「かわいいお子さんですね」

 席に戻りつつ、なんとなく、女に話しかけてみた。

「ありがとうございます。愛想だけはよくって。うちの営業部長なんですよ」

 ふっと笑顔がこみあげる。

「営業部長ですか。お早い出世ですね」

「そうなんです。稼ぎ頭で。あの子に会いにきてくださるお客様もいるくらいで」

「いつも、お店にいるんですか?」

「はい。ここで晩御飯食べさせて、いつも寝ちゃいますね。店があの子のゆりかごみたいなもんです。あら、冷めちゃいますね、ごめんなさい。どうぞごゆっくり」

 女は気を利かせカウンターの中に戻る。荒炊きも、しっかりおいしい。
 仕事に追われて料理をしなくなって、どれくらいたつだろう。たまには早く帰って台所に立つのもいいかもしれない。
 まあ、こんなに美味しいものは、作れないだろうけど。

 お腹がくちくなり、ほろ酔い加減で帰り仕度をしているときに、もう一度、子供の顔を見ておきたくなった。
 座敷を覗き込むと、子供はクッションに埋もれて、すやすやと眠っている。

 そばに落ちている万華鏡を見て、ふと思った。あの時、産まなかった子のことを。
 あの子を産んでいたら、違う顔をした私がいたのだろう。

「また来ます」

 そう言って、店を出る。
 この店はゆりかご。選ばなかった私の幸せを、きっと、眠らせてくれる。

「ありがとうございました! またお待ちしてます!」

 元気な声に送られて、一人、家路についた。
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