第25話 悪夢の後で
文字数 1,557文字
俯いて泣いているだけだったセリアが不意に顔を上げてファブリスを見る。その瞬間、ファブリスは喉の奥で短い悲鳴を上げた。
あるはずだったセリアの大きくて黒く美しい瞳がそこにはなかった。代わりにあったものは二つの黒い穴だった。どこまでも続くかのような暗く黒い穴。
吸い込まれそうになるかのような暗く黒い穴が、ぽっかりと二つ開いているだけだった。そして、その穴ぼこから白い頬にかけて赤黒い血が流れ始める。
ファブリスは再び喉の奥で短い悲鳴を発した。
やがてセリアは口を開く。
……どうして? どうして助けてくれなかったの。どうして私を一人にしたの。私も生まれてくるはずの子供も皆、殺されてしまった。あなたのお父さんもお母さんも妹も皆、殺されてしまった。どうして助けてくれなかったの?
……なのに、あなたは生きている。私も生まれてくるはずの子供も、あなたの家族も皆、殺されたのに。ねえ、どうしてあなたは生きているの?
……ねえ、どうして?
やがてセリアが両手で腹部を抱えて苦しみ出した。セリアの長い赤毛が別の生き物のように宙を舞う。
……ファブリス、助けて! 痛い。痛い。止めて。子供が。子供が。ファブリス、助けて。 ファブリス!
「止めろ! 止めてくれ!」
ファブリスは勢いよく上半身を起こした。月明りだけが照らす薄暗い闇で周囲は包まれていて、ここは森の中で自分は悪夢から目覚めたのだとファブリスは理解する。全身が粘りつくような嫌な汗で濡れていた。
悪夢?
いや違うなとファブリスは思う。あれは現実なのだ。紛れもなく現実に起こったことなのだった。ファブリスは意識しないままで奥歯を噛み締めた。
ふと気がつくと月明りの中でエルが自分に顔を向けていた。エルの赤い瞳には涙が既に浮かんでいて、その顔は今にも泣き出しそうに歪んでいる。ファブリスはそんなエルを見て少しだけ溜息をついた。
「お前が泣いてどうする? 気にするな。柄にもなく嫌な夢を見ただけだ。寝るぞ」
ファブリスはマーサを起こさないように小声でエルに言うと、再び眠ろうと体を横たえるのだった。
……そう。悪夢のような現実。そんな過去を思い出しただけだ。
ファブリスは心の中でそう呟いた。
エリサ、マークスの姉弟と別れて三日後に、ようやくエルたちは森を抜けることができた。ここからは平地が続いて一か月も歩けば目的の宗教都市アルガンドに着くとの話だった。
エルの中でまだ一か月も歩くのかとの思いもあったが、平地や草原が続くことは有り難かった。森の中は危険な獣や魔獣も多いし、何よりも気持ち悪い虫が多いのがエルは嫌だった。
マーサに言わせれば貧乏村の出身であるエルだったが、幼い時からどうにも虫の類は苦手だった。なので、比較的に虫が少ない平地や草原がエルにとっては好ましいのだった。
エリサとマークスとまた会えることもあるのだろうか?
そんなことをエルが考えていた時だった。視線の先、どこまでも続くような草原にいくつかの黒い影があった。その数、数えてみると丁度十個だった。
「武装してるようですね……」
マーサが呟くように言って言葉を続けた。
「どうされますか?」
「身を隠す場所もないからな。このまま行くぞ。奴らもこちらに気がついているだろうしな。それにあの中心にいる男……」
ファブリスはそれだけを言うと、後は押し黙ってしまう。急にマーサが背後のエルを振り返った。
「ほら、お守り代わりだよ」
そう言って渡されたのは短剣だった。
「何かあればすぐに逃げな。あの数だと流石にエルを守りながら戦えない。いいかい。自分の身は自分で守るんだよ」
エルはマーサに渡された短剣を両手で胸の前で抱きなから二度、三度と頷いた。
短剣など扱ったことはないが、マーサの言い分はもっともだった。
あるはずだったセリアの大きくて黒く美しい瞳がそこにはなかった。代わりにあったものは二つの黒い穴だった。どこまでも続くかのような暗く黒い穴。
吸い込まれそうになるかのような暗く黒い穴が、ぽっかりと二つ開いているだけだった。そして、その穴ぼこから白い頬にかけて赤黒い血が流れ始める。
ファブリスは再び喉の奥で短い悲鳴を発した。
やがてセリアは口を開く。
……どうして? どうして助けてくれなかったの。どうして私を一人にしたの。私も生まれてくるはずの子供も皆、殺されてしまった。あなたのお父さんもお母さんも妹も皆、殺されてしまった。どうして助けてくれなかったの?
……なのに、あなたは生きている。私も生まれてくるはずの子供も、あなたの家族も皆、殺されたのに。ねえ、どうしてあなたは生きているの?
……ねえ、どうして?
やがてセリアが両手で腹部を抱えて苦しみ出した。セリアの長い赤毛が別の生き物のように宙を舞う。
……ファブリス、助けて! 痛い。痛い。止めて。子供が。子供が。ファブリス、助けて。 ファブリス!
「止めろ! 止めてくれ!」
ファブリスは勢いよく上半身を起こした。月明りだけが照らす薄暗い闇で周囲は包まれていて、ここは森の中で自分は悪夢から目覚めたのだとファブリスは理解する。全身が粘りつくような嫌な汗で濡れていた。
悪夢?
いや違うなとファブリスは思う。あれは現実なのだ。紛れもなく現実に起こったことなのだった。ファブリスは意識しないままで奥歯を噛み締めた。
ふと気がつくと月明りの中でエルが自分に顔を向けていた。エルの赤い瞳には涙が既に浮かんでいて、その顔は今にも泣き出しそうに歪んでいる。ファブリスはそんなエルを見て少しだけ溜息をついた。
「お前が泣いてどうする? 気にするな。柄にもなく嫌な夢を見ただけだ。寝るぞ」
ファブリスはマーサを起こさないように小声でエルに言うと、再び眠ろうと体を横たえるのだった。
……そう。悪夢のような現実。そんな過去を思い出しただけだ。
ファブリスは心の中でそう呟いた。
エリサ、マークスの姉弟と別れて三日後に、ようやくエルたちは森を抜けることができた。ここからは平地が続いて一か月も歩けば目的の宗教都市アルガンドに着くとの話だった。
エルの中でまだ一か月も歩くのかとの思いもあったが、平地や草原が続くことは有り難かった。森の中は危険な獣や魔獣も多いし、何よりも気持ち悪い虫が多いのがエルは嫌だった。
マーサに言わせれば貧乏村の出身であるエルだったが、幼い時からどうにも虫の類は苦手だった。なので、比較的に虫が少ない平地や草原がエルにとっては好ましいのだった。
エリサとマークスとまた会えることもあるのだろうか?
そんなことをエルが考えていた時だった。視線の先、どこまでも続くような草原にいくつかの黒い影があった。その数、数えてみると丁度十個だった。
「武装してるようですね……」
マーサが呟くように言って言葉を続けた。
「どうされますか?」
「身を隠す場所もないからな。このまま行くぞ。奴らもこちらに気がついているだろうしな。それにあの中心にいる男……」
ファブリスはそれだけを言うと、後は押し黙ってしまう。急にマーサが背後のエルを振り返った。
「ほら、お守り代わりだよ」
そう言って渡されたのは短剣だった。
「何かあればすぐに逃げな。あの数だと流石にエルを守りながら戦えない。いいかい。自分の身は自分で守るんだよ」
エルはマーサに渡された短剣を両手で胸の前で抱きなから二度、三度と頷いた。
短剣など扱ったことはないが、マーサの言い分はもっともだった。