第2話 エリーゼちゃん

文字数 2,665文字

 黄色いカバンに黄色い帽子、雨が降れば黄色の傘に、お弁当にも黄色いおかずが多かった。夢や楽しみの数を指に折るなら際限なく人の手も借りるようなものだった。

 ワタシがまだ園児だった頃、六歳にしてはマセた子どもだったとも思うが、同じクラスにピアニカ少女がいて、少なからずの思慕を抱いていた。毎朝、花壇の花を手折り、その子のそばへ近づいた。

 その子は毎休み時間、一音も乱れることなく「エリーゼ・・・」を弾くので、只者ではないなとは思っていたが、いつの頃からかアダ名は「エリーゼ」になっていた。その意味をわからない園児も多くいたが、皆そろってそう呼んだ。先生達もその子の表現豊かな演奏にだけは一目置いて、いつしか担任は鼻唄を転がしながらオルガンを磨くことが日課となった。

 また音楽会の主賓ともなり、他の園児たちのお上手な「きらきらぼし」に耳を汚し、彼女の颯爽とした演奏の陰、鼻高そうなエリーゼの両親が園長先生と体育館の隅で相談事をしているのを耳にしたこともある。ゆうぼう、なのだそうだ。そして、たぐいまれ、なのだそうだ。

 「エリーゼちゃん、遠くに引っ越すんだって?」

 「ハンカチを持ち歩くように」夏休み前?後?いつだったか心無いクラスメートの女の子がクラス中に言いふらした。最初は確信的な話題ではなかったが、子どもたちは一時騒いで、どうやらトウキョウ、とかって所にピアノを習いに行くんだと知ると、納得もして、一ヵ月後の引越しを待った。落ち葉が地面を埋め尽くすころ、そういう時期判断で、童心にわかれを、思い思い下手糞な文字で誤字のあふれる絵手紙を綴った。

 自宅から三分、住宅街の通り道で、モダンな構えの家の前に引越しトラックが停まっている。いつもピアノが聴こえてきていた、エリーゼの家だった。四tonトラック、分解されたグランドピアノの部品が幅を利かせて楽譜やらのダンボールが二箱、周りには同級生たちが集まっていた。
 みんな年齢に見合った人形やらぬいぐるみやら用意していたが、ワタシは母親気に入りの、家にあった小洒落た爪切りをこっそり拝借して、適当な封筒に包んで手紙と共にプレゼントした。行く末のピアニストに期待や押し付けがましさを何も考えずに「がんばって」と一声掛けた。少女は少女らしくあることを嫌がるように手を振るのを嫌がった。いつかまた別の形で、トラックは「あの子」を「エリーゼちゃん」ごと連れ去って行った。

 彼女は夕飯前にはトウキョウに着いたらしい。いきなりの電話には照れ臭さもあったが、
「次はショパンの練習の練習をするの」と言うので、意味は分からなかったが音楽のことだと思い、
「ピアノが立派だったね」と稚拙で無難な返答をした。

 思いの外、季節の移り変わりは静かでゆっくりだった。エリーゼは記憶から遠く薄れて行き、幼年時の忘れ物となった。
 青年時に新聞の芸術欄で思い出し、気紛れで音大に行った同級生の拙い演奏会に耳を出すも、やはりどんな演奏技術も彼女の感性の前では波打ち際の砕け散った貝殻のざわめきにしか聞こえなかった。それを靴で踏みつけた時と同じ音だ。成長したエリーゼは少なくとも波と波の間の一瞬の静寂や、波のぶつかるダイナミズムをピアノで表現していた。

 給料の使い道を制限される、大人になった。家庭を持った。しかし腑に落ちない胸の不足感が耳の奥に座し、或る時には眠る間際にも風邪に魘される朝にも無性に彼女の演奏を聴きたくなった。世に才能が溢れさえすれば至極特別だったエリーゼの演奏を身近に感じられたかも知れない。
 この歳になってもピアノの演奏会に足を運ぶのはその為ではなく、娘の品評会に鼻高々として、持ち帰る物が何も無いのも分かっていながら、本物の才能に打ち崩された、落ちぶれた優越へのささやかな慰めだ。彼女は言うだろう「私のパパです」。
 第一線で弾いている彼女を追い駆けるほど常識を弁えない訳ではないが、娘にはピアノを、自分にはその領収書を誇らかに与えた。それは今想えば下卑たちんけな悪趣味だった。

 夕暮れにはあの別れの電話を思い出してしまう。でも一曲の合間にすぐに忘れる。爪切りは決別の彼岸此岸を繋ぐ掛橋を通行止めにした。ホールに演奏を聴きに行く度に幼年時代の無邪気な悪習が鮮やかに思い起こされる。テレビの中のエリーゼは映画の登場人物のように社会という囲いに留まらず、もっと遠く、異次元を旅する、ごく平等な宇宙船の操縦士だった。

 三十年経った。仕事も家庭も落ち着いて、人生のもう半分を上手に浪費しようと思う。ワタシの娘には絶対音感が在った。ハミングには、そんなもんだろう、強弱やテンポさえキャプチャーを適えた。しかしピアノに対面すると音列の物真似の域を出ない。また、その中庸からはみ出すことないようお行儀良く教育をした。このことは娘には内緒で、悦に入る彼女のプライドも傷付けないようにした。
「パパ、お腹が空いた。」
致し方なく娘をレストランに食事に連れて行くが「お母さんには内緒」だった。
「パパ、あのピアノの、見たことある人はだれ?」
「知り合いで、お前にも前に紹介したよ」
「ふーん。おぼえてない」

 今思えば最初の失恋だったのかもしれない。彼女と音楽、結局はどちら寄りの思慕なのか、今もまだその境い目が分からず惑うのも、自分の成長に歯止めの掛かった歳から慣れ始めた。夕暮れにショパン、妻がワインに酔って、昔のレコードを聴く。
「何か懐かしいわね」
とイヤリングを外しながら言うが、素知らぬ顔で
「ああ、歳を取ったんだよ」
とグラスを傾けて相槌を打つ。

 娘は音大に行かせないし海外留学もさせない。それは世紀の大演奏家を前にして、必ず、口笛の上、野暮なこと言うまでもなくこちら側の公用語で偽善と律然を交えた「幸せ」の在り処なのだ。「シャツの襟が曲がってる」有難い世話焼きは今もまだ必要だった。

―――エリーゼちゃん、遠くに引っ越すんだって?―――

 そうだった。そこには置いてきぼりにされたワタシがいた。向こう側に手を振って、振り続けて、いつかその距離に慣れ親しんでしまうことに胸が苦しめられる。はるか向こう、一人で闘い続けるエリーゼが私の古い友人である事実も、釈然としないまま、彼女の輝かしかったステージを記憶の彼方に閉じ込め、娘のピアノ弦が断ち切れるまでザワザワ胸騒ぎとして指先の震えに残った。娘はピアノを売った金を車を買う頭金にした。形容のない風や水が入り混じり合って世界に流れて行くように、いつの日かエリーゼは天才と凡庸の境目を無くした。



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