第11話 終わらない繰り返し

文字数 1,290文字

 小ざっぱりした小さくまとまった部屋だった。生活用品以外には何も無く、本当に女の部屋なのか、何か詐欺にかけられていやしないか、歯ブラシの数も数えたし、洗濯物にも目を廻らした。勝手に押入れを開けると女は嫌がった。中にはトロフィー達が申し訳なさそうに積み上げられていて、子供のオモチャ箱のような混雑、美徳と言えば女が職業を黙っていた事と、私がその職業を知っていながらも黙っていた事だった。木枯らしのカサカサが耳に衝く。女がスピーカーから音楽を流し始めたので、曲間に飲む煙草の数を計算しようとした。
「何て曲なんだい?」
「パッヘルベルの『カノン』よ。知らないの?」
「知ってたまるものか」
窓を開け、煙草に火を着けた。女はキッチンでジャガイモの皮剥きを始めた。今日はカレー、好物であり、今まで色んなカレーを食したが、左手首の経緯も深くは知らず、包丁の音がまな板にカタンカタン耳に痛く怖かった。煙草の灰を窓から落とした。向かいのマンションから痴話喧嘩の声が聞こえるが、煙草の短くなるまでには納まった。

 綺麗な星空だった。だから
「綺麗な星空だね。」
と言った。美味しいカレーだった。だから
「美味しいカレーだね。」
と言った。女は女で正直で、不服そうに煙草を一本盗んだ。窓際に立ち、
「あなたの真似の真似の真似。」
と、煙で輪っかを作った。大宇宙に延と広がる白冠が、風雨や塵芥に雑見を許す頃、さっきから続くこの曲はいつ終わるのか聞いた。終わらないようにしてあるの、そういう機能が付いてるのよ、また輪っかを作った。しかし今度はすぐには消えず、その次は「あっ」という間に消え去った。秋の空は変わり易い。一秒前の事も思い出せないくらい、往々唐突、しかしぐるぐる同じ場所を行ったり来たり、空は黙ってそれを見ていた。

 女が自分はピアニストであることを告げた。昔の、と言った。だから時計を眺めて
「もう帰るよ、カレーも食べたし。」
「でも後片付けは貴方の仕事よ。」
そう言われればそういう気もして変な納得をして洗い物を始めた。その間、女が煙草を手放すことは無かった。皿の水を切り、腕捲りを戻し、そうっと元の席に着いた。延々と続くその曲に嫌気が差して、コンポの回りを眺めるが、何処にスイッチが在るのかリモコンが在るのか分からなかった。

 顎を撫でながら、十分以上そうしていた。叩いたら壊れそうで、叱られそうで、その間もその音楽は鳴り続けた。ふやふや脳みそがとろけて、
「どこでどうしたら良いか、何がしたいのかも分からなくなってきた。」
女は満足げに消えかけの煙草を外に放り、
「そういう曲なのよ。」

 翌朝、ニュースでは極近所で小火があったと、辞書で『カノン』の意味を調べたら、同じページに『カノッサの屈辱』が載っていた。
「少し寒くなってきた。でもまだ雪は降らないね。」
落ち葉の一枚が風に舞い上がり窓の網戸に張り付いたが、曲調に聞き飽きたのか、去った。それと共に結局は自分が傷付いていることに気付かされた。雪が降るまで、耳を済ませると遠く過去、少女の嘘泣きがいつの間にかクスクス笑い声に変わっていた。でも私にはそれも嘘だと明白であった。




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