第50話 音を重ね合わせる男女たち

文字数 2,761文字

 曲は無限に作ることができる。
 歌詞も湧水のごとく紫華(シハナ)のココロから溢れ出てきて止まることがない。
 蓮花(レンカ)、ウコク、馬頭(バズ)がジャムり紫華が詠んだ詩とで既に10年活動を続けられるぐらいの楽曲のストックができた。

 だが、誰もOKを出すことができなかった。

「・・・休憩しようか」
「休憩ばっかりだな」
「そう言うなよ、馬頭。いくら紫華がタフでも喉は消耗品だからな」
「いいよ、蓮花。わたしまだ行けるよ」
「ダメだ。今日は一旦休もう。もう3時だ。真夜中どころじゃない」
「ごはん、どうしようか」
「ラーメン、とか」
「おにぎり、とか」
「もう閉まってるよ」

 カナエはプロデューサーであるだけでなく今はレーベルの経営者だ。A(エイ)-KIREI(キレイ)だけに時間を割く訳にはいかなかった。だからある程度のレコーディング作業の指揮はリーダーである蓮花に任せてある。それに馬頭は『ひとりバンド』ができるぐらいに機材を使い込んでいるのと、我流ながら音を重ねることのコツを持っていた。

「馬頭はセルフ・プロデュースでソロでやってけるんじゃないか」
「今時掃いて捨てるほどいるよ、そんなの」

 実際今の世の中は十代初めくらいから音楽活動を始めることのできる環境が整っている。
 作曲ソフトの音源やシーケンサーはまさしくアマチュアだろうが他人に聴かせるに足るだけのクオリティをたったひとりで実現できる道具が揃っている。その上で馬頭のようにバンドのパートをすべて生の楽器で演奏できるのであれば最小のエネルギーで曲を作ることができる。

 だが、メンバー4人ともが違和感を持っていた。

 それって、ロックなんだろうか、と。

 4人は深夜営業している牛丼屋に入った。カウンターで並んで座る4人。
 全員、並にお新香と味噌汁をつけた。

「紫華は国内じゃエレカシの宮本がヴォーカリストとして手本にできるって言ってたな。どんなところがいいんだ」
「一定じゃないところ」
「一定じゃない? って、なんだ?」

 馬頭とのやりとりに蓮花も興味を示す。

「テンポのことか?」
「それもあるけど、音圧も、歌い方も、声の質すら曲によって変わるし、そもそも同じ曲の中で歌い出しとエンディングが別人みたいになってることがある」
「へえ」
「馬頭はそういう感覚、感じたことあるか?」
「うーん。一回紫華と一緒にベートーベン聴きに行ったんだよね」
「お。いつの間にデートしてんだ」
「茶化さないでよ、蓮花。勉強のためだよ。で、つまりクラシックって盛り上げるための演出、ってもんがあるわけだよね」
「ああ。なるほど」
「指揮者は音の大小・強弱・テンポ、それどころか感情やココロまで変えるようにオーケストラに求めるわけだ。そういやエレカシもおんなじだな」
「そう?」
「なんだよ紫華。自分から一定じゃない、って言っといて。エレカシの指揮者は宮本なんだろ?」
「そう」
「だからエレカシは最近じゃドンカマ使ってレコーディングしてるんだろうけど、ファーストに入ってる『花男』なんか、曲の終わりに近づくとテンポが遅くなってるもんな」
「うん」
「盛り上げるのにエンディングに向けてスピードを上げることはあるかもしれないけど、遅くして『タメ』でも作る感覚なのかな」
「わたしには分からない」
「紫華が分からないんじゃ俺たちはもっと分からんじゃないか」
「あのさ」

 ウコクが味噌汁を啜りながら独り言のようにつぶやいた。

「ライブでいいと思うんだよね」

 ウコクは牛丼店のカウンターの中を焦点を合わせずに見つめながら続けた。

「INXSのListen like thieves っていうアルバムがあるんだけど、ほぼ全曲スタジオライブのように一発録りの感覚でやったらしいよ。その音がねえ、タイトなんだ。タイトでクリア。ハイハットの音もギターの音もヴォーカルも、くぐもってないんだ。高音域もきちんと出てて」
「なるほど・・・確かにいくらレコーディング技術が進んだからって音を重ねて録れば微妙な劣化は避けられない、かもな」

 蓮花はウコクの案に納得感を持ったようだった。馬頭(バズ)も発言する。

「俺も基本は賛成。ドンカマも使わなくていいんじゃない?」
「それはまた極端だな」
「スネアに重ねるクラッシュ音がタイトさを増すってこともあるから一概にリズムマシンを併用することは否定しないけど、曲を展開しながらテンポを変えていくことは表現の上でも重要なことだと思う。クラシックのようなドラマティックなバンドアンサンブルを意識すべきだよ」
「わたしは困るな。一発録り」

 紫華が否定的な反応を示す時は大体理由が限られている。その内容は男ども3人が思った通りのものだった。

「ギター、弾きながら歌うわけだよね!?」

 紫華のクレームはともかくとしてスタジオライブ一発録りの方式を翌日カナエと打ち合わせした。カナエは一発録りというやり方そのものもそうだが、レコーディングの際の『音質』というものに対するオーディエンスの需要を見据えていた。

「わたしはロックはラウドで一音一音を識別できるような鋭さが求められると思う。どうしてこう思うか分かる?」

 バンド全員が首を振る。

「いじめに遭っていた時に脳内で鳴らすロックは、鼓膜も脳細胞をもつんざく刺激と爆音でないとダメだったからよ!」

 カナエは愚痴では決してなく、熱く力説した。

「コンピュータとサンプリングの進歩が凄くてロックの音源が緻密になり過ぎてると思う。生のドラムがはっきり聴こえない曲がある。ギターがソロパート以外BGMみたいに薄い曲がある。ベースの演奏能力の無さをエコーでカモフラする曲がある。動画に歌詞を表示しないと何歌ってるのか分からないヴォーカルが多すぎる!」

 カナエが右拳の内側を自分の方に向けて、ぐっ、と腕に力を込める。

「ロックには圧力が必要。かつ貫通力が必要。ヤスリで聴くものの魂をゴリゴリ削るようなギターの歪みが欲しい。眠る脳を起こし続けるクリアなハイハットとスネアの音が欲しい。バスドラと連動するとみぞおちのあたりをズブ、と響かせるようなベースの重低音が欲しい。眉間に真っ直ぐな軌道で飛んできて、目を見開かせてくれるような、わたしを貫き通して天井まで突き上げてくれるような破壊力のあるヴォーカルが欲しい!」

 カナエはつまり、根っからのロックンロール中毒患者なのだ。
 それが彼女の本質であり彼女はそれを欲していた。バンドに懇願するようにカナエは叫んだ。

「お願いよっ! わたしの聴きたい音を出してっ! あなたたち自身がここをこうすると快感の絶頂に達するんだっていう音を出してっ! 映像に頼るんじゃなくって、ラジオから流れてきた瞬間に、相手の聴覚から脊髄に直結するような音をっ!」

 バンドはすべての時間を使って性的絶頂を求道するかのような音源を叩き出すための激しい練習を開始した。
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