第36話 絶望ロック

文字数 1,882文字

 会場にいるのは多分音楽を聴きに来たのではない人たち。ペットボトルの水とランニングの選手が摂取するような固形食料と日本人に揶揄とブーイングをぶつけて多少なりとも自分たちの『辛酸』を発散しようとしている人たち。

 とりあえず何か喚き騒いでイライラをぶちまけようとしている人たち。

 だから年齢の幅に驚くほどのブレがある。

 最年少はベビーシッターなのか母親なのかの判別に迷う少女が背中に背負った首がすわったばかりの赤子。

 最年長はボロボロの傘をステッキ代わりに振り、つっかえながら歩く老爺。

 輸送事情からバンドの機材も現地支給で、

「去年慰問に来たアメリカのバンドが使ったやつだ。そいつらは帰り際空港まで移動するジープが政府軍のハンディ・バズーカに誤射されて全員爆死した」

 プサムがそうコメントした。
 なのでチューニングも何もない。
 ただ、そのアメリカから慰問に来た売れないブルース・バンドの演奏技術は確かだったらしく、年季は入っているが楽器も機材もよく選ばれたものばかりだった。

「最初の一音が肝心だ」

 蓮花(レンカ)はいつにも増してバンドの気合を高めようとした。本来ならば熱狂や感動でオーディエンスの心を掴むべきなのだがこの会場について言えばそういう問題ではないことが全員に分かっていた。

 だから、最初から最後まで絶望の音を出し続けた。

 ゴウン!

 地獄の銅鑼のような重い質感の音を男どもは発した。それはハード・ロックでもヘヴィ・メタルでもパンクでもなかった。ただ、不快な音。
 最も近いものを無理に示すとしたらクラシックの現代音楽と呼ばれるその不協和音だった。

 不愉快な音源に苦しむ聴衆。最初の一声を発しようとしている紫華(シハナ)に一縷の望みを抱いているオーディエンスたちは縋るように彼女の歌を待った。だが、それも裏切られた。

「Death」

 喉を潰すような発声法で「死」というこの場の聴衆にも理解できる英単語を吐き出す紫華。

「Disaster. Illness. Murder. War. Massacre. Rape.」

 呪いのように絶望の英単語を繰り返す紫華。そしてこう絶叫する。

「That’s all of you!」

 ハウリングとギターの不協和音。

 だが聴衆たちは帰る訳にはいかなかった。最後まで『慰問コンサート』を聴かないと水も食料も支給されない。『ジャップめ!』と現地スタッフも含めた聴衆全員が思った瞬間。

 曲が変調した。

 ぬかるみにはまったようだったドラミングが地面への着地の瞬間にホップするような軽やかなものに変わり、ギターもベースも同じ楽器とは思えないような光を放つ音に変わる。
馬頭(バズ)はハイハットのオープン・クローズを巧みに操り歯切れのいいビートを刻む。

 シッ、パッ、シ・トパッ、
 シッ、パッ、シ・トパッ、

 ロックのリズムでありながらどこかオーソドックスな『民族音楽』さえ想像させるドラムとベースのリズム隊。
 ウコクのギターもリズムに徹する。

 紫華もそれに従った。

「チッ、タッ、チ・トタッ、
 チッ、タッ、チ・トタッ、」

 歌代わりのリズムをどんどん展開させる。
 カナエはどこかでこのグルーヴを聴いたデジャヴに囚われていたがようやく思い出した。

『ああ。おばあちゃんの葬儀だわ』

 葬儀で檀家の僧侶がセレモニーホールの音響システムを使っての読経と祭礼用の太鼓、銅鑼、木魚、リン。
 それらがうねるように執拗に繰り返すそのリズムは退屈を催すことは決してなく、抗いがたい中毒性を持っていたのだ。

『葬儀か・・・確かに「絶望」かもね』

 ただ、当の紫華はこういう意識でいた。

『この国のこれまでに死んだ人。これから死ぬ人を合同葬する・・・』

 その紫華をステージ袖から見つめるカナエはどうにもならないという身体の本能でいつの間にかクラップしていた。
 それどころか軽く体を揺らし控えめなステップすら踏んだ。

 そのカナエを見ていた聴衆がそれに感染した。

 シッ、パッ、シ・トパッ、
 シッ、パッ、シ・トパッ、
「チッ、タッ、チ・トタッ、
 チッ、タッ、チ・トタッ、」

 小さな男の子が思わず吹き出してゲラゲラ笑い始める。

 女の子は何人か寄り集まってシンクロしながらステップとクラップを繰り返す。

 老人はステッキを揺らし、少女は背に負う赤子をあやすように静かに揺らす。

 控えめなステップ。

 地面は揺れないが、空気が揺れている。

 シッ、パッ、シ・トパッ、
 シッ、パッ、シ・トパッ、
「チッ、タッ、チ・トタッ、
 チッ、タッ、チ・トタッ、」

 紫華は今までもどのステージでも見せたことのない満面の笑みでシャウトした。

「ヘイ!」
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