第2話 蓮花:レンカ (Ba)

文字数 2,035文字

「ああっ!」

 切断ではなく圧潰だった。
 彼は左の小指を再生することが叶わない状態でこの世から完全に失った。

「主任、すいませんすいませんすいません!」

 サブリーダーが滑り込むように緊急停止させた巻き取り用ローラーの脇で、事故の原因となった新人工員が彼にただただ謝っていた。

 だが彼は謝罪など特にどうでもよく、まったく別のことを考えていた。

『ベースが・・・』

 工業高校時代、彼は音楽に明け暮れていた。それは切実な自活のためだった。

蓮花(レンカ)ー! 行っけー!」

 ライブハウスでオーディエンスのリクエストに応えて凄まじいスラッピングのソロを見せる。

 彼の楽器はベース。だが彼はどのバンドにも属さない、フリーのセミプロとして活動するベーシストだった。

『すげえ高校生がいるぞ』

 売り込みのためにアップした動画を見て彼が活動拠点とするライブハウスの集客・売り上げは400%、つまり4倍に跳ね上がった。今時珍しい『スカウト』までが辺鄙な街のライブハウスに足を運んできた。

 だが彼はスカウトに対してこう言った。

「ウチは父親が半身不随で働けません。俺と母親の収入がすべてです。音楽の収入だけで生計を立てられるプランを示してください」

 さすがにスカウトもそこまでは約束できず二の足を踏んでいた。
 彼は工業科での成績も抜群だったので一部上場の製紙会社がこの地に構えるハブ工場に校長推薦でまずは就職した。そしてベーシストとしての活動も続け、更なるビッグチャンスを待った。

 ロックとベースに対する真摯な姿勢そのままに仕事に取り組み後輩たちを育て、入社5年目という異例の早さで主任となっていた。

 新入社員のミスが起こした大型ローラーへの巻き込み事故を、彼の身を呈した咄嗟の判断で死亡事故にせずに済んだ。

 彼の小指が消えただけだ。

 ・・・・・・・・・・

「今日は俺の復帰ライブに来てくれてありがとう。それから俺のために共演を買って出てくれた2人もありがとう」

 ライブハウスのステージに一緒に立つドラマーとギタリストに彼は会釈した。
 だが客席は前列と二列目が埋まっているだけであとは誰も居ない。
 かつてはSNSを使って拡散した彼のベーステクだったが『小指喪失。蓮花、終わった?』という情報も音速で拡散されていた。

 だが、ステージ上で蓮花は豪語した。

「俺は進化した。小指をなくして進化した。大橋!」
「は、はいっ! 主任!」
「ライブハウスで主任なんて呼ぶなよ」

 蓮花と新入社員のやりとりに少ない客席がそれでもどっ、と笑った。彼は続ける。

「小指をなくして俺は左手の4本の指を徹底的にエクササイズした。それは決してリハビリなんかじゃない。『4本指』っていう進化を遂げた新たな生命体の誕生さ! だから大橋!」
「はい・・・」
「お前が『死にたい』なんていういわれは一切ない! 俺のベースを聴けばお前は俺が弾き続ける間、永遠に生きたいと思うだろう! せっ!」

 気合いを発していきなり全開のスラッピングを始める。ドラムとギターがそれに無理やり合わせようとするが・・・無理だった。

 蓮花のベースの弦を弾くその4本指は、見えなかった。

 瞬間移動(ワープ)としか言えないように、本当に見えなかったのだ。

 うおおおおおお! と総勢20人しかいないライブハウスに歓声が地鳴りのように響き渡った。
 歓声だけでなく歓喜のあまりに床を踏み鳴らし、小さな神社に隣接する2階フロアとてオーナーがやめてくれと注意しなくてはならないほどだった。

 彼の完全進化を見届けた歓喜のそのステージから蓮花がマイクで呼ばわった。

「なあアンタ。『GUN & ME』のプロデューサーさんだったよな」

 音を正確に聴き分けるためにひとりフロアの中央で聴いていたカナエは前列まで、カッ・カッ、とヒールを鳴らして歩み寄り、そのままステージに上がった。

「二択よ」

 カナエは静寂と化したステージで蓮花と向き合う。

「ひとつ、『蓮花、完全進化』を謳い文句にしてフリーの超絶テク・ベーシストとして生きていく」

 蓮花は、ふふん、と笑みを浮かべ、腕を組む。

「ふたつ、わたしと一緒に来て『バンド』に加入する」
「それは無しだ」

 軽くベースをスラッピングしながら蓮花はカナエをあしらった。

「世界一のバンドよ」
「何?」
「これがメンバーのリスト。見て」

 A4の一枚紙を蓮花に渡す。

「・・・こんなギターとドラムがいたのか・・・」
「聴かずにわかるの?」
「大体はな」

 さすが実業でこの若さで主任まで務める男だとカナエは満足した。蓮花にはバンドのリーダーとしての役割も期待している。

「ヴォーカルが空欄だぞ」
「明日、行く。その子が入ってくれなかったらこの企画は白紙よ」
「ほう・・・」
「絶対的なフロント・パーソンよ」
「パーソン? 『マン』じゃなくて?」
「女性よ」
「そうか。女性ヴォーカルか」
「ううん。男とか女とか関係ない。『世界一』のヴォーカルよ」

 蓮花は腕組みを解いた。
 返事をした。

「行くよ、カナエさん」
「ありがとう」
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