第38話 真摯な経営者

文字数 2,826文字

 地獄のツアー。

 かつてどのロックンロール・バンドがこれほどに過酷とダウンのどん底のような

を敢行しただろうか。
 依然として国内メディアはA(エイ)-KIREI(キレイ)の快挙を黙殺しようとしたが心ある海外の音楽シーンはしきりにこう持ちかけてきた。

『日本など見限りたまえ』

 特にアジア・オセアニア地域の国は破格の条件を付してきた。

『レーベルもGUN & MEのままでいい。どうか我が国の主要都市を網羅するツアーを組んで欲しい』

 極端な国になると内政安定のための施策のひとつとして閣僚と話し合ったとまでいう首脳もいた。

 正直、カナエは悩んでいた。

「これが世界一という意味かもしれない・・・」

 内戦、政情不安、人種差別、性差別、パンデミック地帯、犯罪多発地域・・・こういった『世界』こそが本当の意味での現実世界であり、日本においてもいじめや虐待や先進国随一の自殺率等あらゆることに対する『諦めムード』が本当の現実なのだが、『臭いものに蓋をする』各階層のトップたち。

 バンド戦略、レーベル戦略として不毛な日本のマーケットに見切りをつけるタイミングかもしれないと思っていた。

 そんな時、北の地方に所在を置くプロ野球チームのホームゲームにゲストとしてA-KIREIが招かれた。

「な、なあカナエ・・・いいのか? 俺たちがこんなに厚遇されて」
馬頭(バズ)の困惑は分かるけどでも事実なんだもの。しょうがないじゃない」
「でも、見てみろよ。紫華(シハナ)があんなに緊張するなんて」
「ふふ。かわいいわね」

 なんと紫華がこの試合の始球式を任されたのだ。
 紅色のユニフォームを着せてもらい、まるでフィギュアのような可憐さでマウンドに立つ紫華。

「さあ、紫華さん! 僕にぶつけるつもりで!」

 イースタンノース・アルマディロウズの正捕手、島尻選手が蹲踞の姿勢で両手を広げ、笑顔でミットを構えた。
 紫華は女子用のショートパンツ仕様のユニフォームから細く伸びる脚を自分なりの目一杯の高さに振り上げ、スパイクのつま先でマウンドの土を掴んだ。

「せっ!」

 彼のミット目掛けて腕を、ぶん、と振った。

「おおおおー!」

 誰もそういう予想をしていなかったのだろう、多少山なりではあるが紫華の回転のかかったストレートがほぼ沈み込まない軌道で走り出すと観客がどよめきをあげ、ボールがミットを構えたど真ん中に吸い込まれ、打者も意表を突く素晴らしいストレートだったので、本当にやや振り遅れるようにして空振った。

「いいぞー! 紫華ちゃーん!」

 球場に集まった地元と敵地から乗り込んできた老若男女のファンたちが惜しみない拍手と歓声を紫華に送った。

 バンドとカナエの5人はこの球団のオーナーでありグループの創業者にして若き俊英の青年経営者に歓待席に招待されてゲームを観戦した。

 カナエが代表して謝辞を述べる。

「種田社長。今日は素晴らしい球場にお招き頂きありがとうございます」
「いえ、こちらこそワールド・ツアーの過密なスケジュールを縫ってお越しいただき感謝しています」

種田が従軍バンドのようなその演奏旅行を『ワールド・ツアー』と呼称してくれたことがカナエは少し照れくさかった。

「本当に素晴らしい施設ですね」
「はい。わたしどもグループ企業の身の丈に合った範囲での投資しかできませんが、この地元の皆さんにご支持いただける場にしたいと考えました。そして、僭越ながらこの地のひとたちが味わったこの世の地獄の苦しみを少しでも癒させていただくことができるのならと」

 種田の言うこの世の地獄とは日本のいく箇所かで起こってきた深甚な災害のことを指している。馬頭(バズ)の故郷もこの地からは遠隔ではあるがそういう日本の災害の歴史に刻まれる場所だった。

「馬頭さん。あなたも災害で身内の方や仲間の方たちを亡くされたとお聞きしました」
「はい。両親と、そしてバンドのメンバーが全員亡くなりました」
「お辛かったでしょう」
「種田社長、ありがとうございます」

 試合は投手戦で緊迫した展開となっている。7回開始前のハーフタイム・ショーとしてA-KIREIは1曲演奏することとなっており、蓮花(レンカ)がそろそろ準備します、と告げて席を立とうとしたところ、種田が深刻な表情で話した。

「スポーツは、美談ではない」

 カナエは一瞬、耳を疑った。仮にそう思っていたとしても経営者、しかも国内外に影響を及ぼす大企業の経営者ならば胸の奥にしまって決して言わないような言葉だ。

 カナエは種田の顔を真っ直ぐに見つめた。

「スポーツは自分のための身勝手な努力であってはいけない。アマチュアならばむしろそういう動機の方がスポーツを人生のよきパートナーとすることができるでしょうが、プロはそれではいけません」
「はい・・・」
「スポーツを行う『必然』が要るんです。カナエさん。野球もバンドも『衣食住』という括りから見れば絶対必要なものではない。そういうものが存在する意義をお考えになったことはありますか?」
「はい。常に考えています。ですがこれはという正解にはまだたどり着けません」
「希望や夢を与える・・・もちろんそうなのですがそれだけでは無理なんです。カナエさん。僕はこの地の出身ではないのですが災害で崩れ落ちた街を見た時にここで亡くなった方たちと僕と何が違うんだろうと真剣に自分に問い続けたんですよ」
「・・・・・・・」
「『何も違わない』それが僕の結論です。本当は災害が起こっていたのが僕の生まれ故郷だったかもしれない。僕の家族が瓦礫の下に埋まったかもしれない。僕はこう思うんです。災害で亡くなった方たちは僕を助けようとして身代わりとなって亡くなっていったのではないだろうかと。僕やそれ以外の直接は関係ないひとたちの身代わりとなって亡くなっていったんではないだろうかと」
「・・・わたしもそう、思います。だからわたしはメンバーを日本中を回って探し出してこのバンドを創りました」
「カナエさん。あなたはとても志の高い経営者だ。だからこそ危惧するんです。海外一本に絞ろうとお考えでしょう?」
「正直そちらに傾きかかっています。このバンドメンバーの人生は志向としてロックそのものです。つまり、普遍性があるんです。そして演奏能力は言うに及ばず、ヴォーカルの紫華は賢く努力家でほぼネイティブと遜色ない発音の英語詞を歌えるようになりました」
「・・・カナエさん。僕は経済人としてではなくひとりの日本人としてお願いします。どうか日本を救ってください。トップは未だに横領や不正の疑いの中にあり、災害のダメージは残り続け、いじめや虐待や理不尽な犯罪や自分さえよければいいという詐欺を働く人間が溢れています。このままでは日本が滅んでしまう。どうか日本のココロあるひとたちにも音楽を奏でてください。A-KIREIは絶望するひとたちの背中をそっとさするような稀有なバンドだと思っています」
「・・・・・・・・」

 蓮花が言った。

「時間です。演奏してきます」
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