第46話 ストーキング・ベイビー

文字数 2,885文字

 紫華(シハナ)はライブ会場に1人で直行することが多くなった。カナエが軽四ワゴンで一緒に向かおうとしても途中で用足しするからと断るようになった。

「紫華。あなたも自立した一個の人格だから干渉はしないけれど大丈夫なのね? この間みたいな危ないことはしてないのね?」
「うん。大丈夫。危なくないようにしてるから」
「ちょっと、それって・・・」
「会場で」

 そしていつも一人でやって来た日は声も、ステージ上の動きも、苦手なMCすら素晴らしい出来なのだ。車の中で馬頭(バズ)がカナエにふざける。

「男の生き血を啜ってたりして」
「また・・・」

 蓮花(レンカ)は冷静に分析する。

「紫華は14歳とはいえ大人の女と変わらないからな。自分なりに何か考えがあってのことだろうが」
「・・・心配だね」
「ウコクもそう思う?」
「うん・・・精神だけが急激に成長しているような気がする。特に戦地のツアーをやった時ぐらいから」
「そういえば頭が痛いとか耳鳴りがするとか言ってる時があるな・・・カナエ、突発性難聴の可能性はないか?」
「蓮花。一応耳鼻科へは連れて行ったわ。異常なしよ」

とか」
「馬頭」
「はい」
「紫華にセクハラしたら、クビよ」
「・・・ごめん」

 その日のステージも紫華は躍動した。
 14歳の少女の身体能力を大きく超えるもののように思われた。

「はっ!」

 蓮花が走り高跳びのベリーロールのような開脚でステージ高くジャンプすることはよくあるが今日ジャンプしたのは紫華だった。
 それも、ヴァン・ヘイレンのデイヴィッド・リー・ロスが『Jump』のMVでジャンプしているそれよりも高く、マイクスタンドを超えるくらいの高さに見えた。

『紫華、ごめんね』

 次の日はオフだったがやはり1人で外出するという紫華のあとをカナエはそっと尾行した。
 紫華は大塚駅で東京駅方面の山手線に乗った。平日の午後、比較的空いた時間帯だが座席に座らずにドアステップのあたりに立って窓の外を見ている紫華。それをカナエは車両の一番端の対角線の位置から見つめる。今日はコンタクトを外して3年ぶりにメガネをかけて。紫華のファッション・チェックをする。

『EDWINの黒スリム。ソックスはアンダーアーマーの踝まで。シューズはケッズの白でソールがごついやつ・・・この子、そんな趣味あったかしら? 白のニット帽に白のポロシャツ・・・クマのワンポイントがかわいいわね』

 探偵というよりはまるでストーカーだな、とカナエは少しだけ顔を赤くした。けれども想いを止めることはできなかった。

『かわいい子・・・びっくりするほど美人ではないけど、愛さずにはいられない何かがある・・・どうして同級生たちはこの子をいじめたんだろう』

 そこまで思考して思い直した。

 いじめに『どうして』はない。
 いじめには理由などないのだ。強いて言えばいじめる側が根拠ある社会行動を取れないエキセントリックな人間なのだ。

 どこまで行くのかとカナエが思い始めた頃、神田でドアが開くと、前触れなく紫華はホームに降りた。

『神田に何が・・・?』

 そう思いながら慌ててカナエもホームに降りると紫華は低い身長に応じたコンパスを目一杯に広げながら見事なストライドとスピードで東口に向かって行く。

『あ。銀座線か』

 ほとんど走るようにしてカナエが追いかけて行くとちょうど地下のホームに電車が到着して紫華が電車に入ったところだった。カナエはさっきと同じように車両の一番端に駆け込む。

 座席には老爺・老婆や修学旅行と思しき制服の少女・少年。紫華はやはりドアステップに立って壁しか無い外を見ている。

 修学旅行の少女が気づいた。

「ねえ。あれってA(エイ)-KIREI(キレイ)の紫華じゃない?」
「う、うん。僕もそう思う・・・」
「どうしよ。話しかけてみようか」
「迷惑じゃないかな・・・プライベートだよね」

 班行動の途中なのだろう。中学生男3人・女2人のグループでどちらかというと大人しい感じの子たちに見えた。
 躊躇しているグループを、ふっ、と振り返った紫華が気づき、そのまま歩いてきた。その子たちの前でつり革につかまる。
 紫華の方から話しかけた。

「こんにちは。旅行で来たの?」
「は、はい」

 応答した少女は驚きで声が上ずっている。

「もしかして、わたしたちのバンド、聴いてくれてるの?」
「は、はい。ミニアルバム毎日聴いてます。海外ツアーの動画も観てます」
「す、すごいです」
「カッコいいです」

 応答した少女に引っ張られて他の子たちも話し始めた。

「ありがとう。わたしたちのどこが好き?」
「・・・あの、僕たちいじめに遭ってて」
「5人とも?」

 うなずく5人。紫華がやはり生まれながらのスターのような言葉をかけた。

「ごめんね。まだいじめを滅ぼせなくて」
「えっ・・・」
「必ず、いじめをこの世から無くすからね。あなたたちが望むのなら、あなたたちの学校へ行って、わたしたちが盾になってもいい」

 少女が2人とも泣き出した。おそらくは紫華の言葉だけでなく、自分たちの地獄のような日々をも思い描きながら。

「死ぬ気で練習して死ぬ気でいい曲と詩を作って、必ずいじめを根絶やしにする。待ちきれなかったらほんとに行く」

 紫華は握手の代わりにひとりひとりの肩と背ををそっと撫でた。

「紫華・・・」

 紫華は結局終点まで乗って浅草で降りた。雷門ではなく手前のアーケードに出る階段を登り、仲見世ではなく隣の商店街を突っ切ってお線香を焚いている場所に出た。

「5()ください」

 紫華はお線香を5本買い、点火用のバーナーにくべて一気に炎をつけて煙を昇らせた。それを灰の中に突き立てる。煙をそっと手で拾って喉のあたりに染み込ませるようにさすっていた。

 終わると観音様に向かう。
 観光客や参拝客たちが居る巨大な賽銭箱の脇を通り過ぎて本堂の中に入り、赤い敷布の敷かれた観音様を見上げる場所に正座した。
 カナエは中へは入らず入り口のあたりで見つめる。

 手を合わせてそのまま小さな上半身を前に倒してお辞儀のようにする。
 最後は丁寧に手をついて礼した。

 立ち上がって歩いて来たのでカナエは先に外へ出て柱の陰に身を隠す。
 紫華が次に向かったのは花やしきの手前あたりのエリアにある、小さなお堂がいくつも並ぶ場所だった。紫華はその中のひとつに向かう。

『一言不動尊・・・聞いたことあるわ。一言だけ発するその願いを叶えてくれるって』

 いけないことだとわかりながらカナエは紫華が何を願うのか、ずっとその口元を見ていた。音声は聞こえないが、紫華の唇は間違いなくこうつぶやいた。

「世界平和」

 カナエは涙が溢れた。

『この子は、紫華は、ホンモノのロック・スターだわ・・・』

 合わせていた手を下ろすと紫華は今度は古びた商店の並ぶ小路へと歩く。
 そこにはもつ煮込みとホッピーを出す店や食事サンプルが色あせた時間が遡ったような店が連なる空間がトンネルのように数十メートル続いていた。

 紫華は急に立ち止まり、振り返らずに言った。

「カナエ。ずっと離れて見てて」

 カナエがびくっ、と動きを止めると紫華が通り過ぎるところだった露天の丸テーブルの男が3人、立ち上がった。
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