第10話 眼前のひとに向けて

文字数 2,470文字

A(エイ)-KIREI(キレイ)1st ミニアルバム:「紫華・綺麗」リリース』

 男3人の凄まじい演奏能力と存在感を差し置いても紫華(シハナ)がバンドの前面に出るべき存在であることは揺るがない。だからタイトルに紫華の名前を入れた。

 ミニアルバムのプロモーションのために当然ながらSNSでの拡散は行なったがカナエが組んだプランとスケジュールを聞いてメンバーは軽い驚きと戸惑いを隠さなかった。

「カナエ。テレビやラジオへの露出は?」
「ないわ」
「タイアップは?」
「まだよ」
「じゃあ・・・ショップ・イベントへの出演?」
「違うわ」
「まさか、ストリートに出るだけか」
「それはこのバンドの基本、ホームポジションのようなもの。毎日ストリートに出る。でも、東京じゃない」
「・・・地方?」

 ウコクが訊くとカナエはにっこりした。

「ええ。あなたのいた刑務所よ」

 ・・・・・・・・・・・・

 移動はカナエの愛車にしてGUN & MEの営業車である軽四ワゴン。
 それで高速も走る。

 まずは北上した。

「エレファントカシマシって知ってる?」
「ああ」
「もちろん知らない訳がない」
「わたしと同年代だからね」

 52歳になったウコクが言うと重みがある。カナエは運転席で演説するように語った。

「彼らはデビュー30周年の年に47都道府県すべてをツアーしたの。他のフェスへの出演やレコーディングもやりながら毎週末に全国へ演奏しに行くのよ。しかもウコクと同年代の彼らがよ」

 カナエの口調が段々と熱くなる。

「それがどんなに大変なことか。真正面の本気で音楽をやってるバンドじゃないとこんなことはできない。でも、これをやった結果の彼らを見て? デビュー30年で紅白に初出場して、国民的な歌手が主役を務めるドラマでその歌手じゃなく、エレファントカシマシがテーマ曲を担ったのよ? わたしたちも彼らのツアーに匹敵する努力をするのよ。だからのウコクが居た刑務所への慰問ライブなのよ」
「・・・カナエ」
「うん」
「ありがとう・・・」

 ウコクは通り魔犯をその手で(あや)めた。殺された妻子の仇を討ったそのことに魂でもって向き合ってくれるオーディエンスもいるだろうが、否定する人間をもまた責めることはできない。
 ならば、カナエは、ウコクのブルース・ギターを刑務所の中で聴いた、自らが犯罪の当事者でもあった人間たちに、まずはA-KIREIの音を聴かせてみたいと強く思ったのだった。

「社長はそれでいいって?」
「ええ。『いい判断だ』って言ってくれたわ」
「ふ。社長らしいね」

 蓮花(レンカ)が社長への最大限の敬意を示した。

「ねえ見て」

 刑務所の敷地を周回する道路にプラカードを持った集団がいた。

『一刻も早く犯罪者を別の地へ!』
『脱走の危険をゼロにせよ!』
『子供たちが安心して暮らせる街に!』

「へえ・・・今時はこうなんだな」
「まあ確かに脱獄犯のニュースなんかが結構あったもんな」
「わたしはなんともコメントできないな・・・」

 ウコクはまるで自分が責められているかのように表情を翳らせた。カナエが紫華に訊く。

「紫華。今、歌える?」
「ええ。いいわよ」
「じゃあ、ウコクとふたりで」

 カナエに促されてウコクがアコースティックギターを抱えてワゴンを降りる。その後ろに彼の娘のように紫華が付いて歩く。

「紫華・・・」
「なに? ウコク」
「本当に歌えるかい?」
「うん。あなたのために歌う」

 ふふ、と紫華は花びらのような笑顔を振る舞う。その表情のままプラカードを掲げる人たちの前に歩み出た。

「こんにちは」

 紫華がそう言うと人びとは一瞬だけ日常人の顔になったがすぐに硬い声質で返答してきた。

「邪魔だから、どきなさい」
「どきません。歌います」
「何!?」
「お騒がせしてすみません。わたしは人を殺してこの刑務所に服役していた者です」

 紫華が恫喝のような応対を受けるとウコクは静かにそう言ってアコギを爪弾いた。恐怖なのか戸惑いなのか、人びとは黙った。

 灼熱の日差しが急速に涼やかな風に変わるような声で紫華はメロディーを奏でた。

 なぜそうしたの
 理由は誰が知ってるの
 ぼくは知ってる
 あなたが本当はしたくなかったことを
 わたしは知ってる
 あなたが本当はされたくなかったことを

 A-KIREI:『戦うひとたち』

 ・・・・・・・・・・

「所長。ご無沙汰しております」
「ウコクくん、デビューおめでとう! ダウンロードは年寄りには無理だからCDを買わせて貰ったよ!」

 握手を交わす刑務所の所長とウコク。所長は待ち兼ねた、と講堂にバンドを招き入れた。

 整然と並べられた椅子にまるで正座するかのような姿勢で座る囚人たち。既にセッティングされていた機材の前に歩み出てポジションに着く4人。

 カナエがステージ袖で短くバンドを紹介した。

「A-KIREIです。怒りを知るバンド。哀しみを知るバンド。そして世界一のバンドです」

 パチパチと拍手も整然と行われる。咳払いすらできないような、まるでクラシックコンサートのような雰囲気だった。

 だが、ウコクの手によるオープニングで会場の空気が一瞬で彩られた。

 これまでこの会場で渋いブルースを弾いてきた彼が旧知の仲間たちに、実は、と告白するような、速く、電撃のようなリフを繰り出す。

 条件反射で支給の白い運動靴で床をタンタンする囚人たちに紫華が怒鳴った。

「立って! 踊って!」

 彼女の勇敢そのものの声を合図に2人の10代を擁する『若い』バンドの全パートが一気に音を爆発させる。

 ズガン!

 囚人たちはガタガタガタアっ、とパイプ椅子を鳴らして一斉に立ち上がる。
 そのまま終演までパッションが途切れることはなかった。

・・・・・・・・・・

「ウコクくん、みなさん、ありがとうございました。でも良かったんですか? 囚人たちはスマホで発信もできない。ミニアルバムを買うこともできない。何の宣伝にもなりませんよ」

 皆に促されてウコクが返事した。

「所長。いいんですそれで。音楽はすべての人に伝わるべきものですが、『この人にだけ伝えたい』というものでもあります」
「うむ」
「わたしの妻のギターが、そうでした」

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