第29話 虐げられる人間の武器(weapon)

文字数 3,057文字

 虐げられる人間の武器(weapon)

 そう、武器だった。癒しでもシェルターでもなく、A(エイ)-KIREI(キレイ)はあらゆる辛酸をなめ尽くす者たちが手にし、ココロに装着し、全力で敵どもに打撃を与えるための武器だった。

 紫華(シハナ)の可憐な姿から繰り出される一挙手一投足、歌、トーク、メディアへのコメント、不意に撮られた画像の吐息すら『静かで重厚な抵抗』だった。
 きわめてシンプルで誰も否定できない論理。

「虐げる側が悪い。だからわたしは全力で叩き潰す」

 一体どこに潜んでいたのだろうという数のフォロワーがA-KIREIの戦いを常にサポートしてくれた。

 文字通りココロを呈して。

 変わらずバンドの練習拠点である大塚のライブハウス『Born Fighter』の表にはバンドがいてもいなくても常に何人かのいたぶられる側の少女や少年たちが立っているようになった。オーナーは彼女・彼らをとても大切に扱ってくれた。

「今日はバンドは遠征に出てるよ。もしよかったら練習スタジオ、観ていくかい?」

 はにかみながら彼女・彼らはオーナーに案内されてスタジオに入る。オーナーはいつ誰が来てもいいようにスタジオとそこにある機材を初めてのセッションの時と同じように指紋1つ残さず手入れしてくれていた。

 真紅のスタジオライトに照らし出されるその空間を観て、少女も少年たちも、うっとりと安堵の表情を浮かべ、そして帰っていった。

 バンドは街を駆け抜ける。

 本当に出し惜しみを一切しなかった。
 請われれば一緒にインスタに載り、拡散を厭わなかった。カナエもバンド戦略等を抜きにして、フォロワーである虐げられる子たち、世の辛酸を舐めるひとたちに対して、滋味の意思を常に示し続けた。バンドだけでなく、それがGUN & MEの使命であり社是であるということを片時も忘れなかった。

 そんな中、A-KIREIは思わぬオファーを受ける。

『ブルー・マンデーを超えろ』

 それは政府が示した自殺防止のキャンペーンの表題だった。GUN & MEの代表取締役社長であるカナエに、厚生労働省の担当課長補佐から正式に諸条件込みの申し出があった。

「A-KIREIさんに是非自殺防止キャンペーン用の楽曲提供を」

 報酬・メディアへの露出・権利関係すべて破格と言っていいぐらいの厚遇だった。官僚たちの本心かどうかは別にして自殺に対する対応を有権者に示さないと政権側が批判を受けるほどに自殺というものが深甚で喫緊の課題であるという認識を持っているようだった。

 ただ、カナエは慎重だった。

「バンド全員を含めてディスカッションの場を設けてください」

 課長補佐はカナエの要望を聞き入れ、厚生労働省本省の小さな会議室で課長補佐と係長と担当者の3人が打ち合わせに臨んだ。実用のみの無機質な会議テーブルで官僚たちと向き合うバンドとカナエ。官僚は3人とも女性だった。
 最初の切り出しは意外にもウコクだった。

「ご存知と思いますがわたしは殺人の前科があります。そういう人間の所属するバンドが政府主導のキャンペーンに関わってもよろしいんですか」

 課長補佐はテーブルに肘をつき、眼鏡のレンズをLEDに照り返させて短く答えた。

「あなたは刑期を終えて罪を償いました。なんの問題もありません」

 黙礼で満足した表情を見せるウコク。
 このやり取りで課長補佐たちが実に合理的でかつ偏見の少ない誠実な応対をしようとしていることが伝わってきた。
 その後は主にキャンペーンの内容とメディア展開、楽曲のイメージ等実務的な話をひとつひとつ全員でコンセンサスをとっていった。

 打ち合わせも終わりに近づき、歌詞で使用してもよい語彙や表現の話に入って行った時、紫華が世のあらゆる物事の本質を突くような問いを投げつけた。

「補佐さん」
「なんですか? 紫華さん」
「目標は『死なせない』こと?それとも『問題を解決する』こと?」
「問題の解決?」
「・・・日曜の夜に人を死なせないことはそんなに難しいことじゃない。『意識を逸らさせる』だけでいいから」
「ああ・・・なるほど。なんとなく分かります」
「そうじゃなくって、日曜の夜だけでなく、そのひとが生きててもいいかな、っていう状態にするためにはそのひとの抱える問題を解決しない限り実現できない。朝は生きてても、夕方になったらビルから飛び降りてるかもしれない」
「ええ。そうですね。でもとりあえずは『延命』でしかないかもしれないけど自殺を回避させるだけでも意味があるんじゃ?」
「なら、やりたくない」
「紫華!」

 珍しく蓮花(レンカ)が声を荒げた。

「紫華の焦る気持ちはよく分かる。なぜならいじめられたり虐待されたりする子たちの危機は待った無しでエンドレスだからな。だが、まずは俺たちバンドがキャンペーンの効果を毛ほどでも作って、世界を変える影響力を手に入れることも方法のひとつなんじゃないのか?」
「蓮花。今まで似たようなことをずっとやってきてた。国の政策だってキャンペーンだって色んな有名人を使って何度も積み上げてきてた。じゃあどうして自殺がなくなってないの?」
「それは・・・」
「どうして何万人もの人が自殺をやめないの? わたしは自殺の責任は本人にはないと思う。『死にたい』っていう気持ちは誰かがそのひとにそういう気持ちを持たせるような仕打ちをしてるからだと思う。この世の中が束になってそういう人を死にたい気持ちにさせてるからだと思う。自殺する人は自分で死んでるんじゃない。みんなに殺されてるんだと思う」
「わたしもそう思うな」

 ウコクが俯いていた顔を上げる。

「わたしは妻と娘を殺されました。そしてわたし自身も人を殺した。だが、殺人を決意してそれを実行に移す当日までの間、わたしのココロを片時も離れなかったもうひとつの感情。それが『自殺の誘惑』だったんです」
「・・・・・・・」
「許されることではないことを承知の上で敢て言います。わたしは通り魔であった彼を殺さなければ、わたしの方が『自殺』していたでしょう。わたしは自分が死なないためにも彼を殺さなくてはならなかった。とても卑怯な人間です」
「いいえ。あなたは卑怯ではありません」
「補佐さん、そう言っていただけると少しだけ気分がほぐれます。でも、よく考えてみてください。自殺するひとたちはわたしのように他人を殺す代わりに自らが死んでいった。他人を死なせる身代わりになって自殺して行ったんです。死なずにいる人間はそのひとたちのお陰で生きているんじゃないですか」

 紫華が懇願する。

「補佐さん。わたしはなんとしても自殺を根絶したい。その原因であるはずのいじめや虐待やパワハラやセクハラや、もっと踏み込んで震災で大切な人間を失ったひとたちの問題を解決したい。根っこから解決して、無理やりに生きるんじゃなくって自然と『生きたい』という気持ちを持てるようにしたい。だから、歌詞の制限をつけないで? 本当の世を震撼させるぐらいの方法をとらせて? お願いです」

『震災で大切な人間を失ったひとたちの問題を解決したい』紫華の一言に馬頭(バズ)は思わず目を閉じた。

 隣でカナエが座ったまま腰を折り曲げて申し出る。

「補佐さん。わたしからもお願いします。わたしはバンドを売りたい。世界一にしたい。でもプロセス自体が『世界一』じゃないと意味がない。人々の『死にたいほどの苦しみ』を根こそぎ解決したい。本当に、本気なんです」
「わかりました」

 そう言って課長補佐は眼鏡を外し、裸眼でバンドとカナエを直視した。

「全責任はわたしが負います。皆さん、やりましょう」
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