第7話

文字数 2,692文字

 多賀谷雄介の「コラッツ予想」はその後も進展はなかった。複素数、虚数を入れても不等式が複雑になるだけで、結果は整数が導き出される。幾ら「コラッツ予想」は正しいと述べてもフィールズ賞には辿り着けない。
 ここはやはり3n+1 のnの値にそれまで類を見ない、驚くべき数値を与えなくてならない。結果は1にはならない。こうして初めて論文が発表出来る。
 こうまでフィールズ賞に拘るのには理由がある。高校の先輩が、独自の経済学理論を出版しマスコミの寵児となり、三十過ぎで東大の准教授になった。また、大学の三年先輩は、日本のお家芸となった素粒子物理学で最小物質の原子・素粒子・クォークの成り立ちを解説し、さらに微小な物質プレオン(点粒子)の基礎研究を世界的にリードする研究グループで活躍している。ノーベル賞に甚だ近い。
 それに比して自分の成していることは、より処理速度が速い半導体の開発。これは企業が利するのみで、人類社会に貢献する学術のみを成果とみなすノーベル財団は眼を向けない。おかしな話だが企業が絡むと営利目的とされてしまう。
 まぁ、確かに研究費には事欠かない。現に、半導体で世界をリードする韓国の電子機器メーカーと独占契約を結び、研究費の名目で年間に一億円を貰っている。

 今の専門分野は企業とずぶずぶの関係で清廉潔白を求める科学各賞とは程遠い。独占契約とは研究所内での発見発明を優先使用する権利のことを指す。資金の使い道は特に指定されては居ない。領収証も不要。
 研究員は担当教授名義のクレカを手渡されお遊びに使う。女子研究員にはこの手の便宜は計られない。これは男女平等に相反する。今宵も雄介は気晴らしに六本木のクラブに向かう。超高層マンションの最上階にクラブラウンジがある。ここは最上級の男女が集うと噂されている。
 最上級の意味は不明。まあ、地位とお金と姿形かな。確かにテレビで観たことのある芸能人も出入りしていた。あとは企業経営者が多いと言う。いわゆる富裕層。また、女子は若く美人ばかり。もちろんお仕事のラウンジ嬢も居るが、一夜限りの火遊びを求めにやって来る素人訳アリ女子も。
 昨今の訳アリはこのところ流行のパパ活とやら。このラウンジにはお金持ちが集まることを知っていてやって来る。目当てはお金。それだけとれば風俗嬢と替わらない。ただ素人の初心(うぶ)が売りなのだろう。

 シートボックスの半分はやけに年の差があるカップルばかり。ただ雄介はこの手の素人女子とは関わらない。教授にも充分に注意するよう釘をさされている。必ずゴシップが付き纏うからだ。中には騙され性の玩具にされたとマスコミ、はてまた警察に駆け込む女子も少なからず居る。
 雄介のお相手はここのラウンジ嬢のひとり、吉岡灯(あかり)だ。夏帆似のスレンダーな二十歳前後の女子。紀尾井町のマンションに独りで暮らしている。ただ、本名さえもあやしいし、マンションの名義もどこぞの企業経営者のものではないか。
「あれ、ゆうさん、久しぶり。逢いたかった!」
 これは商売トーク。但し、お客の名前を覚える記憶力は問われる。
「今日はいいのかい?」
 これは彼女のマンションでのセックスまでを表す。
「うん、もちろん」
 灯は雄介の右手をそっと撫でる。
「今日は随分とパパ活が多いね」
「そうなの。ほら、コロナで職を失った女子が世の中に溢れている。まぁ、そん中でもここに来られる子は特別」
 これは顔、姿形とも優秀であることを指す。
「お店は規制しないの?」
「ううん、だってお客様が同伴されるんだから、出禁には出来ないでしょう。それに私たちには、ゆうさんみたいなお客さまが居るから大丈夫なの」
 口が堅いとのこと。素人娘は簡単に呟いたり、喋ったり。何をするか分からない。
「パパ活って幾らぐらい貰えるんだい?」
 雄介は研究室に出入りする女子学生たちを思い浮かべていた。
「うん、ここに来る子はセックスまで込みで10万は超えるわね。ただ、その辺の普通の子は茶飯で0.5から1万円ぐらいかな」
「え?そんなに安いの?」
 雄介は実際にビックリした。
「だって、女子の昼バイトなんて時給1000円行くか行かないかだよ。それに比べれば遥かに。掛け持ちするから月に20、30なんて子もざらにいるわ。でも、一生稼げる訳じゃない。若いうちのほんの何年かだけ。こん時だけ女が得するのは。あとは一生、男尊女卑社会」
 なるほど。言われてみればその通り。コロナでバイトを削られたと不平不満を言う学生が当たり前に居る。親に支援を頼めないJDに残された途はそうはない。風俗もコロナで閑散としていると聞く。自ずとこの界隈に行き着く。
 夜の帳がすっかり降りて雄介と灯は店を出る。会計はクレカを渡す。幾ら取られたのかを雄介は全く知らない。多分、何十万円だとは思う。領収証を欲しいなんてお粗末な客は来ない。
 灯へのお手当はクレカに紐づいたアプリ決済で支払う。さっき10万円と聞いたから12万円にする。灯は知ってか知らずか。アプリを見ようともしない。
「さぁ、行きましょう!」
 透明なエレベーターに映し出される夜景は絶品だ。いつまでも眺めていられる。灯は輝くイルミに魅了されている雄介の右頬にキスをする。
 それが合図であるかのように、一階までの数十秒を惜しむかのようにディープキスは続く。

 翌朝、雄介はダブルベッドの上で目覚める。灯はだいぶ前から覚醒していたようだ。それでも、雄介の睡眠を妨げない。ネコのように大人しくご主人の眼覚めを待っている。
「ああ、ゴメン。起きてたんだ。起こしてくれればいいのに」
 瞬間、灯は雄介にしがみつく。
「わたしもう我慢出来ない。いくら億万長者だからって、禿でデブで、もう最悪。わたしゆうさんの奥さんに成りたいなんて思わない。だってアタマ悪いし。でも愛人にならなれる。そうでしょう?」
 雄介も灯のことを好いている。本人は頭が悪いと言うが、知識と人間関係での行いは別物。JDではとても考え付かない、オトコ心をそそる知識を身に付けている。それに、アクメの瞬間の表情はなんとも愛らしい。とても演技とは思えない。自分を好いてくれている証。
 何とか愛人にしたい。その為には大金がいる。やはり、ミレニアム問題を解決し、賞金100万ドルとその後の著述やらパネラーなど、マスコミでの稼ぎに期待するしかない。
 灯は別れを惜しむように雄介の耳元に身をくちづけをする。その吐息が雄介の五感を刺激する。
 バルコニーの一角には灯の好きなオリーブの樹が置かれ、枝先には一対のスズメが仲良くお互いの毛づくろいをしていた。
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