第11話

文字数 2,246文字

 ヒナはいつもの帰りの電車に乗る。隣に座る雪花が、
「そうなんだぁ、ヒナちゃん、好きな人が出来たんだね? 幸せそうだよ」
 ヒナは驚く。そんなことまで判るものなのか。別にニヤニヤしてる訳じゃないけど。
「うん、バレちゃった、大学の講師なんだ。今年で28歳かな。大人の男のひと」
「ふーん、いいな、羨ましいなぁ」
 雪花は屈託のない笑顔を向ける。
 ただ、ヒナにはちょっとした心配事があった。パパ活相手の教授に関すること。
 恋する講師の依頼を受けて、いつものネカフェに呼び出し、飲み物をドリンクバーに取りに行って貰った隙に、難なくお財布から免許証を抜き出しスマホに収めた。
 翌日、研究室でスマホを提示する。講師は満面の笑顔でヒナを抱きしめる。あとは考えるだけで恥ずかしくなってしまう。心がとろけるとはこのことを言うのだ。人生で初めて味わった濃厚なセックス。
 高校の初体験の折には感じたこともなかった。想い出すと今でも脚が震える。ただ、さらにお願いごとをされた。
 あの先生はとにかく人嫌いで、突然お邪魔しても会って下さらない。だから帰宅するところを玄関で待ち伏せたい、と言う。ために、教授をまたいつものネカフェに誘って欲しいと言われた。
 え? パパ活はもうしないでと言ってくれたのに。なんでまたやらせるの? ちょっとした不審も沸く。
 それからヒナは別の情報も知った。つまらない授業の暇つぶしに教授の名前をネット検索したのだ。あっさりとヒットした。その実像は著名な数学者だった。これにもヒナは驚いた。関連の記事を読んでも、数学の専門用語が多くてちんぷんかんぷんで何ひとつとして理解出来ない。ただ、30代で日本の最高位の数学賞を受賞したものの辞退し、その後学会から姿をくらましていることを識る。
 ヒナは腑に落ちないものの、恋心には逆らえず、仕方なく教授を一週間後に再びネカフェに呼び出したのだ。
 すると、翌日に教授からLINEが入った。
「こんにちは。昨日はどうもありがとう。帰ったら空き巣被害に遭ってたよ。びっくり」
「お金とか何か捕られちゃったんですか?」
「通帳とかカードとかは捕られたけど、暗証番号は絶対に類推出来ないようにしてあるから大丈夫。今から警察に被害届を出すよ。ただどうやら、本当の目的はパソコンの中に在ったみたいだね。盗んでも仕方ないのに、ハハ」
「あのう、教授さん、昨日誰かが訪ねて来ませんでしたか?」
「え? 誰も来ないよ。なんでさ。なんか意味深な言い方だね……」
 ヒナは慌ててその場を取り繕った。そういう手口の詐欺が流行っていると誤魔化した。ただ、ヒナはどう考えてよいのかずっと迷っていた。空き巣のことを知らされてからは、まだ大好きな講師の元を訪ねてはいない。
 ヒナは迷った挙句に雪花に全てを相談することにした。一番信頼の篤い友柄だ。雪花はしばらく考え込んでから徐に口を開いた。
「しばらくは何も知らなかったことにするといいよ。そのうちに事態が勝手に進む」
 雪花はやけに自信有り気だった。でも彼女の言う事が正しい気がしていた。
 駅の改札を抜けて通りに出ると、早くもクリスマスイルミが田舎の街を彩っていた。

 
 ―

 多賀谷雄介は本田正孝の自宅前で半グレの一団を待っていた。歴史のある大企業ともなると、反社会勢力との関係は必ず存在する。それを持ちつ持たれつの関係とでも言うのだろうか。雄介は電子メーカーの口利きでアッサリと窃盗団と繋がれた。
 ほどなくしてライトバンが現れ駐車場の片隅に止められた。出て来たのは二人。案に相違して貧相な男たちだった。まぁ、グループ同士の抗争事件ではないので理解は出来た。
 頼むのは解錠して室内に入ることと見張りだ。探し物は雄介にしか判らない。ただ、空き巣と見せかけたいので、金目の物は持ち去るように頼んだ。教授はヒナとの逢瀬に往復で2時間、休憩に1時間を要するはず。
 時間に余裕はあった。築40年物の3階建てアパートの鍵は1分もせずに開いた。これでは誰にも怪しまれるはずもない。3人は素早く室内に入る。雄介の目的はパソコン。2LDKの一室にそれを見つけた。
 ロックが掛けられているとアルゴリズム乱数アプリで4、5分掛かるが、無防備にもノーロックだった。フォルダ―の中から目的の論文を見つけるのに大した手間はかからなかった。不用心とはこのことだ。
 「コラッツ予想」に関しての全10項目に亘るフォルダーをUSB内に収めた。内容を確認したがまず間違いない。一応、半グレにもパソコン内の総てのメモリーをコピーして貰うように頼んだ。ひとりはこの手のプロ。敵対企業から社員に紛れ込んで必要な情報を盗み出して来る。
 すべて終わるのに30分とかからない。充分に余裕があるので、今一度部屋の様子を見回わす。金目のものは何もない。質素な家具と衣類。他の二人も飽きれている。一体何が目当てなのか?ふたりの眼がそう語っていた。
 と、名無しのフォルダーを開いた時に1枚の写真を見咎めた。昭和の半ば頃だろうか。古ぼけた研究室のデスクに彼女と並んで映っている。雄介にはピンと来た。おそらくこの女性は世の中で一番大切な女性だ。後生大事に今でも写真を保存している。
 そして意味が分かった。あのJDのヒナに似ている。八重歯とソバカス。それでヒナに執着しているのか、なるほど。
 窃盗団は1時間とかからずに作業を終了する。今回のは秘密裏ではなく侵入の形跡を相手に知らせる必要があった。施錠はせずに部屋をあとにする。
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