第16話

文字数 4,030文字

 雪花は自分の身替わりで殺された。教授の話しでは私も邪魔者のひとり。犯人は写真を渡されていたのだろう。姉妹なのだから似ている。二人とも乗車して居たら? マスクでソバカスも八重歯も判らない。
 戦慄に身体が震え出す。教授の住所を聞かれた時からすでに私を殺害しようとしていたのだ。私は何も知らずに講師恋しさからノコノコと研究室を訪ねた。最初に見せた驚いたような態度。もう死んでいてもおかしくなかったのか?
 また、幾度も垣間見せたよそよそし気な表情。いま想えばあの顔に絶望したのだ。そして、あのスマホの女性に嫉妬した、名前は灯。
 うん? でも、あの顔は? 似ている、ひょっとして。
 喜花は急いで身支度を整える。生理痛はもはやどこかに吹き飛んだ。でも自転車は母親に使われてしまった。仕方なくタクシーを呼ぶ。
 向かう場所は雪花の施設。ひょっとして、もう一人の姉妹、桃花はそこに居るのではと考えた。タクシーの車内で、今一度、手早くスマホで教授が関わった数学を検索してみる。「コラッツ予想」だ。今度はその予想を検索する。
 解けないミレニアム懸賞金問題で解決すれば数学のノーベル賞であるフィールズ賞を得られると記載されている。講師はこれが欲しかったのだ。そのために教授と私を殺した。教授へのLINEは30分経っても既読にならなかった。すでに何者かの手にかかっている。
 10分ほどで雪花の施設に着いた。車を降りると、人だかりが出来ていた。報道陣だ。何組ものカメラクルーが入り口を取り巻いている。見覚えのあるシスターが対応に大わらわしている。
 喜花はシスターの横に同級生、詩の顔を見つけ、両手をあげて合図を送る。詩はすぐに気付いてくれた。予期せぬ再開以来、詩への敵意は消えていた。LINEも交換する親しい同級生に変貌していた。
「雪花ちゃん、どうして、いても経ってもいられずに来てみた」
「うん、朝からずっとこの有り様。報道の人達に、どうして?と聞かれるんだけど、何もないから答えように困る。毎日、学校に行って夕方に戻っては施設の仕事をしてるだけ。男女関係だなんて在り得ない、友人も居なかった。あ、ごめん、ヒナちゃん以外は」
 詩は本音を語っている。喜花にも理解出来る。彼女は自分とは違い品行方正な女子だった。
「あのね、詩ちゃん、変な話しだけど、雪花ちゃんには姉妹は居ない?」
「あれ、どうして知ってるの? 雪花ちゃんと桃花ちゃんは双子で、産まれた時から施設に預けられているの。しばらくは東京で暮らしていてちょうど最近、また戻って来た。会ってみる?」
 予想した通りだった。喜花と詩はごった返す玄関を避けて裏口に回った。間口の狭い開き戸から施設に入ると、子供たちは3時のおやつの最中だった。どの子もドーナッツにかじりついている。
 その女子は子供たちにドーナッツを配っていた。髪型はミディアムレアにしているけれど見れば雪花と似ている。
 やがて喜花を見つけると笑顔を浮かべた。やはり姉妹だ。すぐに分かる。
「やっと会えたね。喜花ちゃん。雪花から聞いていたよ。近くに住んでるって。この前訪ねて来た時にはわたし東京に行ってたの。事情は判る?」
「何となくだけど。申し訳ない話しだけど、今朝、はじめてベッドの上から、雪花ちゃんと桃花ちゃんのドッペルゲンガーを観て、母の仏壇に気付いた。そしたら二人の位牌が置かれていた。私と誕生日が同じだった」
 喜花はいつしか涙声に替わっていた。詩は泣いている喜花と桃花を保健室に伴い二人きりにしてくれた。
 二人はベッドと横にある腰掛に座った。
「わたしが殺されるはずだったの。でもわたし今日はお腹が痛くて学校休んで、替わりに雪花ちゃんが…」
 喜花は涙で声を詰まらせる。大粒の泪がシーツを濡らした。
「うん、知ってるよ。私と雪花は喜花の房飾り(フリンジ)のようなもの。わたしたち三姉妹は出産の時に死ぬはずだった。お母さんは、不妊治療をしていて、排卵誘発剤・クロミッドを飲んでいたの。三つ子は副産物。私たちを産むことはお母さんの命にもかかわったのよ」
 桃花はそっと右手で涙を拭いながらソバカスに触れた。
「あの教授が喜花を生かすと天使と取引した。天使がそんなことするのって感じだけど悪魔とは堕天使のこと。元は天使。居場所が天界ではないだけ。天使と悪魔は眷属と呼ばれる。だから同じこともする。
 神は人間の欲を決して叶えない。だってその欲が人間を苦しめているから。だけど眷属は神様の替わりに欲を叶えてあげるの。ただし条件をつけてね」
「それも大変申し訳ないけど、今朝、教授からLINEで知らされた。私は教授の大切な花恵さんの生き替わりだって。本当のことだったんだ」
「そう、三姉妹のうち、あなただけが生かされた」
 桃花はここでちょっと語調を低くして厳しさ込めて語った。
「ソバカスと八重歯は自然に備わったもの。それを愛する人たちもいるの。決して引け目に感じて整形などしないでね」
「うん、分かった。ごめんなさい」
 喜花は詩や咲良、結衣、イジメられていた三人組を失くし、もうどうでもでもよくなっていた。頭の中だけに思い描いていた仕返し。現実とはあまりにかけ離れていた。ためにパパ活まですることに。ハハ、一体何をしてたのやら? でも、だから教授と知り合えたとも言える。
「どうして二人は実在するの?」
 喜花は素朴な疑問を投げかけた。
「正解は、天使が作り上げたシナリオのために生かされている、かな?」
 喜花には意味が判らない。不審な顔付きをしていると、桃花はベッドの喜花の隣に抱きつくように座り込んで来た。実在していないのなら触れないはず。けれど重さはあるし暖かさもある。姉妹の温もりだ。
「教授は喜花を生き返らせるために『悪魔の数式』の公表を断念した。この取引は天使側から持ち掛けた。だって、普通の人間には天使との取引なんて考えないよね。つまり『悪魔の数式』はそれだけ秘密にする価値がある法則って訳ね。世界には人間が知らなくてよい謎があるのよ。
 世界の始まり。宇宙の果て。あの世の存在…『悪魔の数式』が端緒で興味を持たれては困る。知ったら人類にとってマイナスになる真実もあるんだよ。天使はそれを知っている」
 いまいち喜花にはピンと来ない。どうしてせっかく生まれ替わったのにまた、「悪魔の数式」に引き寄せられるように講師と出逢い、身体を弄ばれ、ワル頼みの片棒を担がされなくちゃならないのか? 考えて見れば、桃花、いや灯だってそうじゃない?
「うん、考えていることは判る。わたしね、失望した喜花が講師の研究室から出て来るのを観ていたの。あいつは悪い男。目的の為には手段を択ばない。
 ねえ、喜花ちゃん、物事には因と果が必ずある。判る? 教授と天使との取引が物事の始まりの『因』だとすると必ず結果である『果』が起こる。
 天使は「悪魔の数式」を護りたいの。果が歪められることを阻止する。そのための雪花、そして私。雪花はせっかく生まれ替わった花恵さんを死なす訳には行かなかったから身代わりになった。また、私はあの講師に「悪魔の数式」を横取りさせて世間に発表させる役目」
「え? 桃花も死んじゃうの?」
 喜花は心底、不安になった。邂逅した三姉妹、なのにまた離れ離れに。そんなの嫌だ。
「ねえ、せめてお母さんと今夜だけでも一緒に食事しよう。きっと喜ぶよ」
「ううん、それは違う。お母さんを二度悲しませることになる。彼女は私たちとの離別に相当に苦しんだ。もう、充分だよ。それに、この結果が終われば、喜花には新しい人生が待っている。姉妹との離別にしても、人間の生死なんて大した意味はない。永劫なる時間の中でまたいつの日にか出逢える。縁(えにし)を持つ者たちなんだから、私たち三姉妹とお母さん、そして花恵さん、教授」



 都内のとある大学病院のER(緊急救命室)の間仕切り板一枚に挟まれて当事者たちは居た。日付は喜花の誕生日の午前7時32分23秒。
 ひとつは、三つ子を身ごもり、二月も前に破水した喜花の母親。陣痛に耐えかねて救急車を呼んだ。以前から三姉妹の生存には疑問が投げかけられていた。
 もうひとつは、教授と花恵。花恵は血液の癌・白血病ですでにステージ4b、気管支や肺にも転移が見られた。危篤状態に陥り、教授自身が車で病院まで運び込んだ。
 そして運命の選択がなされる。教授を取引に応じさせた天使・カマエルは隣で死に逝く三姉妹のひとりに目を付けた。花恵さんを彩っていたソバカスと八重歯を植え込み、優しい性格も刻み付け、何よりも生を与えた。
 それが喜花。母親にとっては希望だった。あとのふたりに与えられたのはお乳ではなく名前だけ、雪花と桃花。三姉妹には、華を咲かせるような人生を歩んで欲しかった。
 母は片手に乳飲み子を抱え、荼毘にふされた遺骨をふたつ持って自宅に戻って行った。
 教授は花恵を弔い、喜花の成長を遠くから見守った。大切な人と一生を捧げた研究成果を放棄した教授の生きる糧は喜花しかなかった。ただこの事実は教授と天使だけしか知らない。なので、勝手に喜花の元に赴くことは許されない。
 教授は、喜花が成人となるのを辛抱強く待ち、ようやく近づくことが出来た。とても嬉しかったと思う。でも貴方にさえ取引のことは秘匿とされた。告げれば契約は解除となり、喜花はこの世から消える。
 教授は他人として喜花に接した。それにしてもパパ活だなんて、垂涎の好都合な事例だった。花恵さんに直接再び触れられる。教授には天にも上った何ヵ月間だったでことでしょう。
 けれど教授は「悪魔の数式」を盗まれた時に喜花との別離を覚悟する。自らの死がもたらされるからだ。この数式は持ち主の生死を弄ぶまさに「悪魔」なのだ。
 天使カマエルは「悪魔の数式」を一端公表させ、その上で何の意味も持たないことを人間社会に示す必要がある。同時にそれを盗んだ者たちを決して許しはしない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み