第1話

文字数 2,912文字

「ペイペイありがとうございました」
 これは長崎の友達の元へ遊びに行った折に、そこでの生活に困ってツイートをあげたところ、p活のパパのひとりからペイペイで1万円が振り込まれて来た。友人のアパートには夏休み期間の全部を過ごした。その間このパパからは都合3万円を貰い受けている。
「いやいや、長崎は楽しかったかい? なんだか坂が多くて日常生活にはキツイ印象の街としか思えないが」
 ここはいつものネカフェ。ツインラブ仕様の部屋だけど、お隣りとの壁の上が開いている。つまり密室ではないとのこと。このパパはお触り以上を望まない。コロナの感染が怖いせいなのかも。最後までマスクも外さない。
「でも、大切な友達ですから」

 ヒナはJD1。ようやく暗く惨めな女子高生時代から逃れた。陰湿なイジメは高2の夏休み直後から始まった。夏休み中に塾の講師(米国人)から教わったネイティブの発音で英語の教科書を読んだ時から、それは起こった。
 教室の片隅からクスクスと笑いが漏れる。席を立ちヒナが英語を発するたびに忍び笑いは出る。やがて窃笑は教室中に拡散する。ヒナには意味が分からない。自分はネイティブから教わった通りに英語を読んでいる。イギリス人教師も(so good!)と褒める。
 昼休みにいつも通りに独り、屋上でパンをかじっていると、クラスメイトがやって来た。彼女は容貌容姿は普通。その意味では目立たない子。隣に腰を降ろし、ヒナが手にしていたパンの半分をちぎって口に入れた。

「これ、やっぱ美味しいね。今度私も買ってみよっと!」
 ヒナは驚いた。その親し気な態度に。高校生活を半分終えてなお、自分には友人が居ない。その事実にも改めて驚く。
「あのさ、ヒナちゃん。なんで英語で嗤われてるか、分かる?」
 首を横に振るヒナを確認して、
「にゃんにゃんとネコが鳴いてるように聞こえるからだよ」
「えっ、でも、私は塾で教わっ…」
 友人はいきなりヒナの左のオッパイを鷲掴みにした。ヒナはびっくりして後ずさりする。
「まだ、子供だな…」
 彼女はひとつ頷いてから、
「発音が正しいかどうかなんて関係ない。ニャーニャー聞こえるからみんな嗤う。ヒナちゃんの可愛い声質も関係してるのかもね」
 ヒナは承服しかねる。理不尽。抗議しようとすると、
「みんなバカにする対象を探してるんだよ。ヒナちゃんには親しい友達もいないしさ。化粧っ気もないし。田舎もんがニャンニャン泣いてる。そんな感じかな」
 確かに彼女は眉毛も描き、眼にもアイラインも引いて頬には微かにチークも塗っている。
 それがたったひとりの友人、親の実家、長崎の大学に入学した加奈との出逢いだった。

「それじゃ、ふた月も一緒のアパートに居たの?」
「はい、コロナ禍でバイトをケズられて友達にはお金ないですから、私のお財布が頼り」
 このパパとは夏休みに入る前の6月に知り合った。もちろん、p活で。Twitter上のやりとりだけでペイペイに1万円を振り込んでくれた。これは本当のカミだ。
 ヒナは美容整形の費用を稼ぎたい。そして高校時代にバカにした奴らを見返したい。でもやはりコロナでバイトを削られて思うように財布は膨らまない。考え抜いて辿り着いたのが若い女子の活動 p活だった。
 ウィキペディアで p活を繙くと、
 茶飯のみで裕福なp(パパ)からお手当(現金物品)を貰う若い女子の行為(活動)と記されている。
 おまけにコロナでバイトを失った、若い女子に残された最後の真っ当なお仕事ともいえる。ただ常にセクハラ性被害の危険は伴う。
「教授は、夏はどうしてたんですか?」
 このパパは自称元大学の教授。だから教授と呼んでいる。
「いや、いつもと同じ。ネコと窓辺で外を見て暮らしていたよ」
「渋谷とか原宿に行けばいいのに。キラキラしたものがいっぱい」
「この歳になっちゃ、楽しいことなど何もないよ。何だよこのジジイはと思われるだけ。それに持病の腰が痛くて、百メートル歩くたびに腰掛けなくちゃならない。ネコと窓辺が一番」
ヒナにはよく分からないジジの日常生活。
「お金が幾ら在っても使い道がない。歳を取るってのはそれだけで残酷だ」
 教授は哲学的なことを言う。オッパイを揉むくせに。しかもショーツの上からアソコを撫でる。ヒナは気持ちがいいはずない。でもしばらくは触らせる。3万円分のお返し。…何分かの沈黙のあと、いたたまれないヒナは何でも言いから頭に浮かんだことを喋る。
「最近、親にバレたようなんです。外出しようとすると、通学用のチャリを勝手に使われちゃうんです。まったく腹が立つ」
「それは母親にとっちゃ、エライこった。言葉で言えば喧嘩になる。なんとか阻止しようとするだろうね。何が原因なんだい?」
「たぶん教授に貰ったヴィトンのバッグかと」
「それは悪い事したね。高価な物を持ち帰れば不審に思うよ。隠さなかったのかい?」
「いえいえ、袋に隠して持ち帰って、部屋のクローゼットの中に閉まった。わたしの部屋に勝手に入って調べたんです、きっと。不法侵入!」
 ヒナは本当に頭にきていた。実家にはプライバシーというものが無いのか? 私は今まで生真面目にやって来た。鼻・臍ピアスもなければ金髪に染めたこともない。妹、弟の世話もしている。なんに文句があるの? そんなに娘を信じられないの?
「いやいや、親にとっては被害を未然に防ぎたいんだろう。そんなに怒っちゃ気の毒だ」
「え? だって、わたしオトナはしません。プチだって教授がはじめて。なんで信用してくれないんだろう。そのことに腹が立つ」
「心配してるんだよ。わたしだからいいけれど悪い連中は世の中にたくさん居る。この場で強姦されるかもしれない」
「えっ、だって」
 ヒナは壁を指さした。
「隣に丸聞こえですよ。ここじゃ、エッチは出来ないでしょう」
 わたしはそんなバカじゃない。危機回避法方ぐらい知ってるよ。
「まったくの毒親なんです」
「毒って、ポイズンの? 最近は、そんな言葉まであるんだ。ところで、何が毒なんだい?」
 教授はお触りの悪手を止めて、大きなテレビ前に置いたコーラを手にした。どうやらお触りはもういいようだ。
「私の場合は、過保護、過干渉パターン」
「てことは、他にもあるの?」
「はい、放任パターン、支配パターン、愚痴パターン」 
 ヒナは親指から薬指までを数えた。
「夏休みの自由課題レポートにしたんです。Twitterで毒親ってタグもあるんですよ。もはや社会心理学のテーマです。教授の時代にはなかったの?」
「僕の母親はヒステリーでね。本当に気分屋さんでイライラしているとすぐに手が出る。蚊取り線香を腕に押し付けられもしたよ。小学生の頃はいつもビクビクしていた。それって、支配のパターンかな? 今でも母親族には恐怖を感じるな」
 教授はそう笑って、居住いを正しはじめた。約束の1時間が迫っている。あらかじめ、門限までに家に帰らなければならないと伝えてある。ヒナも乱れた黒の地雷系のミニワンピの丈を伸ばす。


 きっちり1時間でネカフェの前で、さよならする。
「じゃ、またね」
 教授は白いベンツで去ってゆく。
 ヒナの頬にやさしく秋を伝える爽籟の風があたった。
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