第6話

文字数 2,735文字

 多賀谷雄介は〇大理学部数学科の常勤講師の職にある。専門はアルゴリズム情報理論。アルゴリズムとは問題を解決するための手順や計算方法のこと。この手順に沿えば誰でも同じ回答が得られる。
 従って、コンピューター内のプログラミングはこのアルゴリズムが必要不可欠。高速で効率よく情報を処理出来るから。社会の多くの機能がAIに置き換わろうとしてる現代にあっては欠かせない分野で食うには困らない世界。多くのIT関連企業からオファーも舞い込む。むしろ大学の教授よりは企業に就職した方が稼げる。
 しかし雄介はそれでは満足できない。数学者としての地位を得たい。毎年のノーベル賞に数学賞はない。なので、数学会でのノーベル賞はフィールズ賞(カナダの20世紀初頭の数学者に因む)とされている。
 日本での受賞者は今から70年前にはじまり3名いる。但し、1人を除くとその研究分野はたぶんに物理学に近い。だから、純然たる数学の分野で2番目となるフィールズ賞を得たい。もう30年ぶりとなる。
 専門分野のアルゴリズムではまず難しい。学術性よりはどう産業に活用できるかが焦点となるからだ。人類の画期的なエポックメーカーとは成り得ない。数学界の大谷翔平となるには、特異な研究成果が必要になる。
 それは数学界に提示されているミレニアム懸賞問題を解くこと。これに成功すれば間違いなくフィールズ賞を得られる。アメリカ・クレイ数学研究所によって2000年に7つの問題が発表された。一つ解ければ、100万ドル。
 そのうちのひとつは解かれた。解いた者には予想通りにフィールズ賞が授与された。実に美味しい。数学者になった雄介は自信満々だった。自分に解けない問題などある筈がない。
 IQ130の雄介は早速、残り6つの問題に取り組む。試験では必ず回答を導き出せた。過去の数学の試験問題で解くまでに30分を要する難問などなかった。
 だが、懸賞問題はどれも全く歯が立たない。どれも予想なのでその正確性を裏付ける式を導き出すか、或いは反する値を見つける必要がある。雄介の今までの知識、経験値を総動員しても推論さえも構築出来ない。
 改めて、それぞれの歴史を観れば、どれも70年から100年間未解決のまま。世界の名だたる数学者、物理学者が解決に取り組んでいた。
 ふーむ。そもそも自分の研究専門分野外だから歯が立たないのでは? 秀才にありがちな自己欺瞞。もっと専門を使える未解決問題があるのでは?
 そして、見つけたのがコラッツ予想だった。3n+1 問題。これならばアルゴリズムに大いに関係する。まんまアルゴリズムと言える。これは当初ミレニアム問題には入っていないが実証したなら間違いなくフィールズ賞+100万ドルと定義されている。
 試しに研究室にある自称日本で10以内に入る高性能スパコンで値を求めてみる。2³⁸までの整数(正数、負数)を当てはめても、サイクル数が増えるのみで最後は1 に帰結する。科学には、たぶん、はないが、この先は無駄な気がする。つまり、現代科学技術の粋を集めたAIを駆使しても、予想は正しいとの結論が導き出される。
 次に、有理数、無理数、虚数、複素数を与える。

 計算式を複雑化させるだけで与えらた実数は整数となり反証は失敗する。さらに計算機科学における時間と空間のトレードオフが起こってしまう。メモリの使用量は削減できるがプログラ速度が低下する。或いは逆に計算時間を削減出来る替わりにメモリの使用量が増える。すなわちアルゴリズムの定義を逸脱してしまう。
 3n+1 はそのままであることが美しいのだ。この場合の美しいは効率的、汎用価値が高い、金になる、である。
 だからもっと単純に反証に挑むべき。nが考えられない途方もない数値であれば佳い訳だ。整数 1 にならない値のこと。そんな数値がこの世にあるのだろうか?
 考えは堂々巡りを繰り返す。窓辺からは大学のシンボルの銀杏の大樹が数本、黄色いガウンを纏い初めていた。

「先生! スイーツ食べませんか?」
 あまり広くない研究室に数人のJDが押し入って来た。彼女たちは、読書会サークルのメンバー。雄介はとにかくモテた。世間を知らない女子は数歳年上で高学歴、高身長な男子に弱い。
 思春期の女子のこと。すぐに体の関係にも発展する。そのことでたびたび、担当指導教授から警告されていた。大学に教師として職を得たければ品行には気を付けること。女子学生とのトラブルで職を失う教師は実に多い。職を失うだけでなく研究者としてのその後にも影響しかねない。雄介も首を縦に振らざるを得ない。
 5人の女子が雄介の椅子を取り巻く。そのうち4人は常連さん。3、4年生たち。化粧にも慣れ服装にも色気が漂う。香水も使い出す。ひとりはご新規さん。八重歯とそばかすが特徴時に可愛い女子。
「あれ、あなたは初めてだね」
「あ、、はい、、」
 女子はモジモジし出す。見かねた先輩が横から、
「この子はヒナ。秋学期から入った新人です」
 女子は顔を赤らめ、両腕を胸に交差し、一歩あとずさりする。その仕草もなんとも可愛い。
「で? 何を買って来てくれたんだい?」
 一同は研究室を出て、一階のサクララウンジへ。雄介はお返しに皆に飲み物を振舞う。今や大学の教師と言えども人気が在っての商売。所詮、受講してくれる学生が居なければ講義科目から外される。ただ、理系の学生とっては数学は必須科目なのでさほど心配ではないのだが。
 ただ、理系学部でさえ、数学が苦手な学生は当たり前に居る。高校までの数学は初歩なので解法ノウハウを待ち合わせていさえすれば簡単に点数をとれる。けれど大学でのそれはハードルが極端に上がる。
 頭ごなしに理論から入る。付いて来られる方が不思議。だから出来るだけ分かり易く解説出来て単位を貰える教師に人気が集まる。雄介は大学での教師の道を望む。故に、この手の学生へのサービスは必須項目なのだ。評判は後輩たちにも受け継がれるもの。
「秋らしくサツマイモのタルトです」
 女子学生は満面の笑顔。頭の半分はスイーツで出来ている。
「先生はギフテッドなんですってね? 婦人誌〇〇の紹介欄に載ってました」
 ひとりの女子が。ギフテッドとはIQ130超えに与えられた尊称。「イケメンの科学者」と題する特集記事に取り上げられた。まだ駆け出しの分際で。担当教授の計らいだった。
「ええ、すごーい!」
「わたしなんて100も無いよ、きっと」
「そだね、アリの脳みそ」
 そこでみんな笑った。ただひとり新人と紹介された女子だけはまんじりともせず、雄介の顔に魅入っていた。雄介もその視線を感じ顔を向ける。視線と視線がぶつかった。その時から魅惑に満ちた背徳へ扉が開く。


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