第12話

文字数 3,557文字

 研究室に戻った雄介は早速、「コラッツ予想」の検証作業に入る。本田ファイルは研究に費やした15年分、期日順に整然と並べられている。
 研究の道程は大きく三期に分けられる。草創期はやはり当時の最新鋭のスパコンで演算できる2³²までの数の検証。さらに、整数、分数、無理数、複素数を試していゆく。3n+1問題はやはりすべての自然数において有効なことが分かる。
 次にとてつもなく大きな数に考察が及ぶ。コンピューターでの予想が真であるという証拠にはならない数値。ポリア予想、メルテンス予想、スキューズ数の場合に示されているようにとてつもない大きな数において予想の反例が見つかる可能性も高い。ただ、これもあくまで予想であって、既存のスパコンでも演算が追い付かない。なので、反証には出来ない。
 また、ヒューリスティクスとの考え方もできる。必ずしも正しいとは限らないが、ある程度のレベルで正解に導けるのなら、精度より時短に重きを置くと言う主張。現に、3n+1のnが偶数ならば次の段階での大きさは半分になる。また、nが奇数ならば3n+1になるが、これは偶数であるので次の段階(3n+1)/2までは確定している。
 この段階をひと括りとすると、この段階での大きさは3/2倍。ひとつの段階を経たのちに、奇数になるか偶数になるかを半々と考えると、1/2の確率で数の大きさは1/2倍となり。残る1/2の確率で数の大きさは3/2倍になる。
 よって、一段階を経た数の大きさは、(1/2)¹/²×(3/2)¹/²倍になると推測される。しかもこの値は1より小さい数であり、段階を踏めば踏むほど限りなく 1 に近ずくと推量される。つまり、1 に平均収束してしまう。
 一期はここで終わっていた。ここまでは「コラッツ予想」は正しいとの結論を得た。
 二期は微分によって考察されてゆく。微分とは「瞬間的な変化率」のことで、概念的には「ある複雑な事象の全体を細かなパーツに分解して解析することを指す。また、考えを平面の二次元から空間の三次元へと拡げる。
 物体の位置と時間を計測すると速度が分かる。これを計測し続けることにより物体の「瞬間の変化率」が求められる。微分係数、導関数がこれにあたる。これをさらに極小の単位にまで微分する。これを高階微分という。
 すると無限小と言われるグループに入ってしまう。すなわち 1 の量に分解することと関連づけられてしまう。やはりここでも結果 1 に到達する。この事例は制止した野球ボールの球面、落下する雨粒の球面、移動する車の屋根面、様々な事例で検証されたがいずれも無限小に到達。
 ここまでに12年が経過していた。残りは最終三期。本田教授はユークリッド幾何学を離れた。数学史に関心を向ける。エジプト、メソポタミアと文明と呼ばれる地域には数学は存在する。
 彼はnの値を数学史の中から求めようとする。人類で始めて 0 を数記法に取り入れたインド数学には特段の関心が注がれる。二進法を編み出し、フィボナッチ数列も考え出されていた。フィボナッチ数列とは「兎の問題」とも言われる。
 ひとツガイの兎は産まれて2か月後から毎月ひとツガイずつ兎を産む。兎は死ね事はない前提。この条件下で1年間に何ツガイの兎になるかを表した。どの月のツガイの合計も、その前の2つの月の合計の和となる。
 インドの国立博物館まで訪ねて、隠された神の数字を見つけ出そうとした。同時に彼は、19世紀の英国で興った「黄金の夜明け団」の活動にも注目しだした。新約聖書に則りながらも盲随することなく、科学的に神、天使、悪魔の所業を観察しようとした。
 そして、取り組み出してから14年と9か月。教授は新約聖書の最後の聖典と呼ばれる「ヨハネの黙示録」第13章の中から悪魔の数字を見つけた。それは、
 6 6 6
 彼(か)の数字には下記のような注釈が付されている。
 また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しき者にも、自由な身分な者にも奴隷にも、すべての者にその右手が額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここは知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるのかを考えるがよい。数字とは人間を指している。そして、数字は666である。

 これは意味深な表記である。どのようにもとれる。
 「黄金の夜明け団」ではゲマトリアに着目した。これは、ヘブライ文字の数秘術(数字に基づく占術)。それは数字が持つ魔力。悪魔を表す666を(667-1)vと表記した。Vとは悪魔デビルの意味。悪魔の厄災を封じたのだ。
 つまり3n+1 問題のnの値に(667-1)vを当てはめると、
 当初の値が666の場合は偶数だから2で割って333 になるところ、666を嫌うため、
 奇数(667 ×3 - 3) +1 で 1999 になる。これは「コラッツ配列」のステップを踏まないことになる。さらに、これはステップ中に、666の数字が出るだびに(667 - 1)が無限に繰り返される。
但し、この算法には必ず v の文字が記されねばならないとされる。



 雄介は震える指でファイルを閉じた。「コラッツ予想」は解決した。nには途方もない数字が当てはめられることになった。どこまでも続く数字666(667 - 1)v 。 つまり予想はある特殊な数字に対しては無効となり、「コラッツ予想」は定理、公理ではないとされた。
予想外の結末を迎えた。たぶん「コラッツ予想」は解決されているとは予測してはいたが、望外の帰結に悦びを押さえられない。これは本田教授が偶然に発見した数字で長年の研究結果ではない。自分も偶々見つけたと主張すれば良いのではないか?
 等式、不等式のような類のものであったら盗用と訴えられる。けれど、これはただの発見。いつ誰にでも発表が可能なものだ。でも逆に、どうして教授は発表しないのか? 栄誉と賞金が得られるのに。
 そこは何とも答えが出せない。ギフテッドの雄介でも。
 そうこうしてうるうちに、スポンサーの大手企業よりスマホがあった。実は、今朝がた研究室に出入りする社員に、世紀の大発見をしたかもと伝えておいた。
「なんだ?『コラッツ予想』が解けたとか?」
 これはスパコン開発部長。雄介が「コラッツ予想」に関心を持ち始めたことを知っているひとり。もし雄介が「ミレニアム懸賞問題」を解いたら、企業のスパコンは世界中で売れまくることになる。
「本当か? 間違いないんだな??」
 雄介はもはや後には引けない。そこからことは急展開する。夕方のwebニュースには小さいながらも早くも速報が流された。研究室はマスコミの対応に追われる。担当教授は明日早朝に記者会見すると発表した。
 ただ世紀の難問が正式に解かれたとするには、英文での論文提出後に、フィールズ賞を擁するアメリカのクレイ数学研究所の認定を得なければならない。検証には多くの名だたる数学者が関与し全ての了承を得る必要がある。たぶん1年近くかかるだろう。
 ところが企業側はいち早く唾を付けときたい。だって、どこかに先を越されるかもしれない。正式認定を受けるまでの期間とは、すなわち企業の宣伝期間のことを指す。
 記者会見では、「コラッツ予想」いわゆる3n+1 問題を平易に解説し、等式の=1 に至らないnの数値を長年の研究の結果、このたび発見したと説明した。
 世紀のミレニアム懸賞問題、いよいよ解決か?
 マスコミは一斉に騒ぎ立てた。多賀谷雄介の名前は一夜にして全国を駆け巡った。もちろん悪い気などする筈がない。竹馬の友柄から同じ研究者仲間、日本中の数学・物理学者から賛辞を受ける。
 ただ、ひとつ気に掛かるのは本田教授の動向。今にも、あれは私の研究成果、との盗用発言がいつあってもおかしくはない。ただ二日経っても何もなかった。盗まれたことに気付いていないのか? それにしてもニュース報道ぐらいは見るだろう。
 雄介は反論を用意している。私も偶然にそれを発見した、と。これにまさる回答はないし反論の余地もない。ひょっとすると、本田教授はこう言われた時のことを考えているのではなかろうか?
 いずれにしても同じ結論。つまり先に声をあげた者の勝となる。
 雄介は学内、何処歩いても衆目を集める処となる。ある婦人誌からは特別な取材を申し込まれている。
 特集 「イケメン数学者の素顔」
 懸賞金の100万ドルに日本数学会からの報奨金、マスコミ出演、各種公演のギャラ、著作物の印税などで軽く3億円にはなる。吉岡灯を愛人に抱えての暮らしも俄然、現実味を帯びる。
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