第47話 「バイバイ」

文字数 1,014文字

 別の日の、雨上がりの放課後。
 
「そこ、危ないよ」

 水たまりの横を通りかかったとき、南川が、紗代の手を握って強く引き寄せた。勢い余って、肩と肩がぶつかる。
 
「あっ」

 思わず振り返ると、すぐそばに彼女の顔がある。一瞬、見つめ合った後、南川はにっこり笑って言った。
 
「大丈夫?」

「うん……」

「よかった。行こう」

 南川は、紗代の手を握ったまま歩き出した。
 
  
 そして、さらに別の日の昼休み。
 
 昼食の後、紗代は部室の壁際の棚の前に立ち、並んだ古い美術雑誌の一冊を手に取って、パラパラと眺めていた。南川もやって来て、紗代の手元を覗く。
 
「先生が学生の頃に、定期購読していたんだってさ」

「へぇ、そうなんだ」

 なおも雑誌に目を落としていると、南川の手が伸びて来て、紗代の頬にかかる髪をかき上げながら言った。
 
「肌、きれいだね」

 はっとして顔を上げると、南川の顔が近づいて来て、頬に唇が触れ、すぐに離れた。南川は、驚く紗代を見てにっこり笑い、別の雑誌に手を伸ばす。
 
 ……今の、何? 驚きと動揺で、紗代は、しばらくの間、身動きができなかった。 
 
 
 その日の放課後、紗代は気まずい思いに黙り込んだまま、南川と肩を並べて駅へ向かう道を歩く。
 
「さっきのこと、怒ってるの?」

 紗代は、曖昧に首を横に振る。怒ってはいないが、なんと答えればいいのかわからない。
 
 うつむいたまま、ただ足を前に運んでいると、南川が言った。
 
「私、女の子が好きなんだよね」

「……え?」


 思わず顔を見ると、彼女は、ちらりとこちらを見た後、再び前を向いて話す。
 
「つまり、君のことが好きなんだけど。そういうの、君はいや?」

「私は……」

 少し前から、多分そうなのではないかと、うすうす感じてはいた。だが、あえて気づかないふりをしていたのだ。
 
 
 口ごもったまま答えられずにいると、さらに彼女は言った。
 
「誰か好きな人、いるの? たとえば根本くんとか」

「うぅん、誰もいない」

 それに、今は恋愛したいとも思っていない。
 
「私じゃダメ?」

「それは……」  

 いつまでも答えられずにいると、南川は寂しげに微笑んだ。
 
 「……そっか、わかった。今のは忘れて」
 
 
 
 電車に乗って、紗代が降りる駅に着くまで、二人とも黙ったままだった。
 
 電車が速度をゆるめ、紗代は出口に向かう。降り際、いつものように、そばまでついてきた南川が言った。
 
「また明日。バイバイ」

「……バイバイ」

     ◆
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