第5話 本棚

文字数 1,065文字

 だが、真名人の顔を見た涼平は、内心の動揺を悟られまいと、表情を取り繕うのに苦労した。しばらく入院していたという彼は、想像以上に痩せてやつれていて、頬はこけ、目の下には、うっすらと隈が出来ている。
 
 しかも。
 
「いらっしゃい。ええと、一人で来たの?」

 涼平は、てっきり姉の佐羽が付き添って来るのだとばかり思っていたのだが、彼の背後に人影はない。真名人はうなずく。
 
「うん。駅からタクシーで来た」

「ああ、そうなんだ」

 病み上がりの真名人を、初めての場所に一人で来させるなんて、いったいどういう神経をしているんだ。こんなことなら、自分が姉のマンションまで車で迎えに行けばよかった。
 
 言ってくれればそうしたのに……。そう思いつつ、涼平は真名人に笑顔を向ける。
 
「さあ上がって。疲れたんじゃない? とりあえず、お茶にしよう。ああ、その前に、これから使ってもらう部屋を見てもらったほうがいいかな」

「あっ」

 真名人が声を上げたので、何事かと振り向くと、彼は手にしていた紙袋を差し出して言った。
 
「忘れてた。これ、お母さんから。クッキーだって」

「ああ、ありがとう」

 クッキー一つで済ませるのか? 反射的に受け取りながら、なおも涼平は、腹が立って仕方がない。
 
 別に、礼が足りないと言っているわけではない。病み上がりの自分の息子が、今日から新しい場所で暮らすというのに、姉は心配ではないのだろうか。
 
 いくら小さな玲於奈の世話が大変だからと言って、付き添いもなしに、クッキー一つ持たせて送り出して、それでお終いなのか。
 
 そもそも、自分の息子を、よくも平気で人に預けられるものだ。それも、自分で言うのも癪に障るが、こんな頼りない弟に預けるなんて……。
 
 
 もやもやしながらクッキーの包みに目を落としていると、真名人が改まって言った。
 
「今日からお世話になります。迷惑かけないように、ちゃんとするから」

 殊勝なことを言って、ぺこりと頭を下げる真名人を見て、なんだか切ない気持ちになる。
 
「そんな、真名人なら、いつでも大歓迎だよ。これから楽しくやろう。

 むさくるしいところだけど、ほら、上がって」
 
 
 
 部屋に案内すると、真名人は、壁一面の本棚に目を見張った。
 
「わあ、すごいね……」

「へへっ、いつの間にか、たまりにたまっちゃってさ」

 ちょっとおどけて、ぽりぽりと頭を掻いて見せると、真名人が言った。
 
「これ、読んでもいい?」

「ああ、うん」

 曖昧にうなずくと、涼平が渋っていると思ったのか、真名人はさらに言う。
 
「本を傷めないように丁寧に扱うから」
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