第68話 寿司の出前

文字数 1,049文字

「そうかな……」

 そう言う真名人こそ、今まで誰にも言えず、どれほど辛かったことだろう。自分がそうであるように、真名人も涼平に話したことで、ほんの少しでも心が軽くなったのならばいいが。
 
「ともかく、僕は真名人と一緒に暮らし始めてから、すごく楽しいし、お互いいろいろあったけど、これからも、あせらずのんびりやって行こう」

 こくりとうなずきながら、真名人は新しいティッシュに手を伸ばす。
 
 
 
 涼平は、もう一杯紅茶を淹れてくれ、今度は彼も一緒に飲んだ。紅茶を飲みながら、涼平は、今日の夕食は何がいいかと聞いた。
 
 簡単なものならば買い置きの食材で作れるし、スーパーかコンビニに買い物に行ってもいいと言う。やっぱり彼は優しい。
 
 真名人は謝った。
 
「今日のお昼はごめん。せっかくの予定を台無しにして」

 涼平は微笑む。
 
「いいよ。真名人は何が食べたかったの?」

 あのときは、考えがまとまる前に、野崎たちに遭遇したのだった。だが。
 
「僕は、リョウくんのお勧めのものが食べたかった。リョウくんの料理はいつもおいしいし、食べ歩きもしているって聞いたから、きっとおいしいものをたくさん知っていると思って」

「そうか」

「僕もリョウくんと一緒に食べるのは楽しいし、僕のためにおいしいものを作ろうと思ってくれているなんて……」

 そんなことを言われたのは初めてで、たまらなくうれしい。とても感激した。
 
「じゃあ、僕が、今一番真名人に食べさせたいものにすればいいの?」

 真名人がうなずくと、涼平は楽しそうに笑った。そして、少し考えるような表情になった後、ポンと手を打つ。
 
「よし、決まった。今日は、お寿司の出前を取ることにしよう。真名人も好きだよね」

「うん」



 やっぱり涼平に話してよかった。長い間、あんなに辛くて苦しくて、どうにもならなかった気持ちが、ずいぶん軽くなった気がする。
 
 ずっと涼平のことは大好きだったけれど、だからこそ、嫌われるのが怖かった。自分の気持ちを和ませてくれる人は涼平しかいないし、涼平に嫌われたら、自分の居場所はどこにもなくなってしまうと思っていたのだ。
 
 だが、それは杞憂だったことがわかった。涼平も、誰にも言えない辛い思いを抱えていて、真名人と暮らすことに喜びを感じていてくれたのだ。
 
 芽久美が涼平の気持ちを踏みにじったことは許せないし、彼のよさがわからないなんて、なんと馬鹿な人なのかと思う。だが、もしも二人の仲がうまく行っていて、今も結婚生活を送っていたならば、自分はどうなっていたのだろう。
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