§１２　「ニューロトランスミッター」

　私たちの母親は――双子だから当たり前だと言われるかもしれませんが――私たちに同じように同じだけ――と本人が言ったそうです――愛情と母乳を与えてくれました。もちろん、真帆と瑞穂を抱き締める時間が一分一秒たりとも違わなかったはずだとか、真帆と瑞穂が飲んだ母乳の量が一ミリリットルまで同じだったはずだとか、そういう馬鹿げた話ではありません。これは要するに、母は私たちふたりを違うように扱おうとする意図など微塵も持っていなかったということだけを――そんな回りくどい言い方をするまでもなく――母は私たちふたりを同じように愛してくれたということだけを――意味するものです。
　多くの研究が明らかにしている事実は、母親がどのように扱おうと意図したかが問題なのではなく、子供がどのように扱われるかをどのように求めたかが問題なのだ、ということだそうです。つまり、母親は子供の要求に反応するのであって、その逆ではないのです。そして、一卵性の双子であっても、母親への要求は異なるという結果が出ているそうです。
　二卵性の私たちがサンプルとして重要なのは、家庭環境が同じであること――すなわち母の愛情と母乳の量と質が同じであること――言い直せば、真帆と瑞穂が同じ要求をすれば同じ量と質の愛情と母乳を享受できること――さらに言い直せば、真帆と瑞穂がどれくらい違う要求をするのか、その結果として真帆と瑞穂がどれくらい違う子に育つのかを観察できること――そうした状況下において一卵性とどれだけ違う結果が――違いの違いが――得られるかという点でした。
　もしかすると先生は、私たちのどちらかがいじめられたり、成績に大きな差が出てきたり、もっと言えばどちらかが不登校になったり引きこもりになったりすることを、無意識ながら少しは期待していたのではないかと思います。真帆はそれを信じませんでしたが、瑞穂はそういうことをよく口にしました。瑞穂がそう言うと、真帆は酷く不安になり、次に研究室を訪ねた際、瑞穂には内緒で先生に会い、直接それを尋ねたりもしました。言うまでもなく先生はそれを否定しましたし、否定してもらうことで真帆は喜び、あとからそれ聞いた瑞穂は鼻で笑いました。
　そうです――そのように、私たちは違いました。違っていきました。
　環境――広い意味での外部要因――には、ふたつの種類があります。共通の経験と個別の経験です。たとえば私たちは母と父、家、食事、学校など、たくさんの共通の経験を持っています。他方で、友達、担任の先生、怪我、病気、読んだ本、観た映画など、やはりたくさんの個別の経験を持っています。共通の経験は私たちに同じ刺激を与え、個別の経験は私たちに異なる刺激を与えます。それはたとえば、ドーパミンやセロトニンやオキシトシンなど、いわゆる「ニューロトランスミッター」のコントロールに影響することを通じて、私たちに違う反応を引き起こし、私たちを違う人間にしていきます。――違います。そうではありません。そもそも私たちはそれぞれに――つまり真帆と瑞穂がそれぞれ独立に――そうした「ニューロトランスミッター」の働きの違いを招く個別の振る舞い方をするのです。
　私たちは二卵性ですが双子ですので、普通の兄弟姉妹よりも多くの共通の経験を持つことになります。しかし性別が違うので、同性の二卵性よりも多くの個別の経験を持つことにもなります。そういうサンプルが、私たちです。
　私たちの日記は、つまり、この個別の経験を共有し、共有することで、私たちのあいだに生じる差異を、消滅させようとする試みだったと言えるかもしれません。
　たとえば、もし瑞穂のある経験が瑞穂のオキシトシンを増やしたのであれば、真帆もそれを増やさなければいけません。もし真帆のある経験が真帆のセロトニンを減らしたのであれば、瑞穂もそれを減らさなければなりません。「ニューロトランスミッター」に置き換えて言えば、要するにそういうことです。私たちはそのようなレベルでの経験の共有を求めたのです。オキシトシンとセロトニンを挙げたのは、ただ「一例として」ではありません。実際に、オキシトシンは瑞穂において増える経験が多くあり、セロトニンは真帆において減る経験が多くありました。従ってその分泌量をお互いに調整し合わないと、いつか相手が「化け物」になってしまうと怖れたのです。
　そうですね。オキシトシンとセロトニンの話は、やはり「一例として」と断るのが妥当なように思います。不確かな知識でこのような話をすべきではありませんでした。すみません。河合先生に叱られます。いえ、先生は叱るような人ではありませんが、困ったような顔をするのは間違いありません。私たちなんかより全然ずっと頭のいい学者さんですから。