§01 「日記=nikki≠diary」

文字数 6,287文字

〈午後九時三十七分から〉
 ――真帆(まほ)、日記を触った?(37分)
 ――書こうと思ったけど やっぱりやめたの(41分)
 ――ああ、そうだったんだね(41分)

〈午後十一時五分から〉
 ――また日記を触ったね。今日も書けなかったの?(05分)
 ――うん ごめんなさい(17分)
 ――いいよ。謝るようなことじゃない(18分)

〈午後十時二十八分から〉
 ――真帆、どうしたの? なにかあったの?(28分)
 ――ねえ 瑞穂(みずほ) ルールを破ってもいい?(29分)
 ――ルールって?(29分)
 ――やっぱりいい なんでもない おやすみ(55分)
 ――うん、おやすみ(59分)

〈午後十時十一分から〉
 ――真帆、ほんとうにどうしたの? なにがあったの?(11分)
 ――私 あんなこと書いてない(25分)
 ――どういうこと?(26分)
 ――あれは私が書いたことじゃない(37分)
 ――真帆、いまどこにいる?(39分)

 これは、私たちがこの夏の初めに、スマホのアプリ上で交わした会話です。私たちの会話、あるいはもっと広い意味でのコミュニケーションは、これを最後に断たれてしまいました。私たちは相手を見失ったのです。だから探し出さなければいけません。それは私たちがもうすぐ二十三歳になる夏のことで、東京に暮らしはじめてから四カ月目に起きました。四ヶ月目という時間にたぶん意味はありません。それは四年前に起きていたかもしれないし、七年前にだって起きていたかもしれないからです。七年前ならすぐに見つけられたでしょうし、四年前なら少し時間がかかったと思いますが、やはり見つけられないことはなかったはずです。でも、この夏はわかりません。私たちはもう出会えないかもしれません。私たちはいま、ちょっとそんな気がしています。

     *

 最初に、私たちの日記について説明しなければいけません。私たちが「書こうと思った」とか「書けなかった」とか「書いてない」とか言っているのは、その日記のことだからです。うまく説明できるかわかりません。それはかなり特異な日記で、もしかすると多くの人にとって、それは日記とは呼べない代物かもしれません。ただ、私たちはそれをずっと「日記」と呼んできたので、ここでも「日記」と呼ぶことにします。それを「日記」と呼ばないことには、私たちはうまく私たちを語ることができません。それは「日記=diary」ではなく「日記=nikki」です。つまり、私たちの「日記」は固有名詞であって、一般名詞ではありません。私たちが「日記」と言うとき、それは色褪せた数冊のB6版ノートと、クラウド上に置いてあるふたつのファイルを――それのみを――意味します。

 私たちが日記をつけはじめたのは、十二歳になる夏のことでした。男の子としてはほぼ平均的であり、女の子としてはやや遅いタイミングです。なにが平均的でなにが遅いのか?――いわゆる第二性徴のことです。私たちは同時にそれを確認――というか発見――し合ったので、やはりふたりの間には性差を超える

があるのだと、そのときも再認識しました。とはいえ、これは今後は性差を伴って顕著になって行くことを、当然、私たちも予備知識として共有し警戒していたところでしたから、そこで、日記をつけることにしたのです。
 それぞれの体や心に生じた出来事を、相手の日記に書く――相手の日記、というのは恐らくかなりわかりにくいでしょう。ふつう日記というものは将来の自分を「読み手」に想定します。でも私たちの日記は、自分に起きたことを相手に伝えるために書くのであり、「読み手」は現在の相手でした。性別が異なり、その性別の違いが心身に顕現されてくる様を、相手に伝えるのです。それが「相手の日記に書く」という行為の意味です。
 十二歳になる夏とは、小学校六年生の夏のことで、私たちはまだ携帯電話など持たせてもらえませんでした。東京ではどうなのかわかりませんけれど、私たちの生まれ育った街では、高校生になってからというのが常識的な考え方でした。だから私たちはノートを二冊用意しました。B6版の小さなノートです。八十枚のノートを買い、一日一頁とすれば、一冊で三百二十日分になるという計算をしました。百六十ではなく三百二十になるのは、「書く日」と「読む日」が交互にやってくるからです。
 物理的にノートをやり取りしなければなりませんので、私たちは朝起きるとノートを交換するという方式を採用しました。そうすると、一日おきに「書く日」と「読む日」が交互にやってきます。相手のノートが手元にある日は「書く日」であり「書き手」になります。自分のノートが手元にある日は「読む日」であり「読み手」になるわけです。なにも書くことがなければ空白のまま渡します。それでもこれは「日記」なのだからという理由で、日付だけは律儀に記していました。
 しかし、いま思えば無駄なことをしていたと思います。テーマが第二性徴に縛られているのですから、ほとんどのページが空白になることは予想できたはずです。伝えるべき変化が毎日のように起こるわけがありません。毎朝ほぼ空白のページを開いては、ガッカリしたりホッとしたりを繰り返し、稀に書き込みがあるとドキッとして一度ノートを閉じてしまい、それこそ居住まいを正し唾を呑み込んでから、改めてノートを開いたりしていたのです。
 一冊目の表紙には「真帆A」と「瑞穂A」と記しました。Aは序数を表す…つもりでした。つまり二冊目はBになり、最後はZです。Zまで行くと八千三百二十日になり、二十三年にも達してしまうわけで、さすがに三十五歳までそんなことをつづける必要がないことくらい、私たちにもわかっていました。ただ、アルファベットは有限であり、数字は無限なので、アルファベットにしたのです。そういう計算を、企図という意味での計算を、私たちは十二歳のときにしたのです。
 表紙の「真帆」と「瑞穂」というのは、私たちに付けられた名前です。どちらが先でも構わないのですが、ここでは産まれた順序を尊重して、常に真帆→瑞穂の順で記すことにします。
 私たちは性別の異なる双子として同じ日のほぼ同じ時刻(数十分の間)に生まれました。真帆が女の子で、瑞穂が男の子です。慣例に従えば、真帆がお姉さんで瑞穂が弟です。しかし、家族をはじめ誰一人としてこれまで私たちを「姉と弟」の関係で見る者はいませんでした。「きょうだい」という音に敢えて漢字をあてれば「姉弟」となるわけですが、そのような認識は――繰り返しになりますが――家族も親族も友人も教師も私たち自身も持ちませんでした。私たちにとって真帆は真帆であり、瑞穂は瑞穂であって、姉でも弟でもありません。
 A冊目の一頁目には、ふたりで示し合わせ、「陰毛が生えてきた」と書きました。第二性徴とか言いながら一行目に性差のない事柄を書いたのは、その夏に同時にそれをお風呂場で発見したからです。ついに始まったことに気づいたのです。真帆が、女の子としてはやや遅かったことがこのような事態を招いたことは、最初にお話しした通りです。モノの本によって、女の子の第二性徴はまず乳房の発達から始まるらしいことを私たちは知っていましたが、真帆のそれは「発達」という言葉からイメージされるそれとは随分と離れた状態にありました。そう言われてみれば…なんとなくそんな気も…まあしないではない…といった程度です。
 瑞穂は笑い転げました。失礼な奴だ、と真帆は怒りました。が、すぐに私たちは我に返ったのです。これは放置しておくと、いずれ取り返しのつかない事態に発展するパターンだと直感しました。モノの本の順序通りには進まないことが判明したからです。放置しておけばお互いに相手が訳の分からない「化け物」になって行くことは間違いありません。それは回避したかったのです。気がついたときにはもう手遅れで、相互理解など期待すべくもないという状況には陥りたくなかったのです。それで私たちは考えに考え抜いた末に、そのような日記をつけようと決めたわけです。
 浅はかだったとしか言いようがありません。考えに考え抜いたとはとても思えません。それは実にお粗末な解決策でした。もちろん初めはおもしろかったのです。空白ばかりであったとはいえ、ノートを開くのは楽しみでした。が、間もなく立ち行かなくなりました。相手の書いている内容が、伝えようとしている内容が、やがて理解できなくなったのです。
 私たちは性別の違う双子としては思いがけないほどに似ていました。ほとんどの人が一卵性かと勘違いするくらい、とにかく私たちは

だったのです。自分たちもそのことをけっこう小さな頃から意識していました。御揃いの服を着て写真を撮ったりすると、自分たちでも後から混乱したくらいです。それもあって、私たちは私たちの性差というものを、譬えるなら東と西とか、夜と昼とか、空と海とか、そうした対称性の寄せ集めみたいなものだと漠然と考えていました。裏返して考えてみればわかるだろうと思っていました。しかし、それは誤りでした。誤りであることを私たちは知りました。裏返して考えてみればわかるなんてことはありませんでした。確かにたとえば交接器だけに着目すれば上手いこと凸と凹になっているように思えるかもしれませんが、だからと言って凹は凸の裏返しだとか、凸は凹の裏返しだとか、そういう話では全然ないのです。
 それでも私たちはなんとか「B」の途中までは、当初の目的から逸脱することなく頑張ってみました。が、「C」までは持ち堪えられませんでした。私たちの悪足掻きは、一年余りで幕を下ろしました。理由は、真帆のそれが遅かった分、真帆の上にだけ、矢継ぎ早に変化がやってきたからです。ですから正確に言えば、相手の書いている内容が理解できなくなったのは瑞穂のほうであり、真帆のほうは、だからいっそうのこと、代わり映えのしない瑞穂の日記に苛立ちました。
 しかし私たちは、日記の習慣という形式だけは、テーマを絞らずに残すことにしました。そうするべきだと思ったのです。その時点で私たちになにか先の見通しがあったわけではありません。相手の書いたことが理解できないからと言って、まったくないよりはマシだと感じていたということかもしれません。そこは覚えていません。
 そうして私たちの日記は、このときから質的な変化――もっと言えば低下・劣化――を被ったことになります。私たちの日記は、

が知りたい、から始まったのに、ここで、

が知りたい、に呑み込まれてしまいました。たぶんそれは、失敗を取り戻そうとする、無意識の企て=「悪足搔き」だったのでしょう。
 最初に隠すことなくあれこれと書き始めたものですから、その空気もなんとなく生き続けました。学校のことや家族のことや、読んだ本、観た映画、行った場所、友達のことや恋愛のことなどを、つらつらとそこに書き込みました。言うまでもなく、空白のページは激減しました。空白は、疲労か怠惰を表すものに変わりました。質の低下・劣化とは、そういう意味です。
 それにしても、私たちはとてもよく似ている双子でした。恋人ができたのも、性的な初体験を迎えたのも、どちらかが圧倒的に早いとか遅いとかいうことはありませんでした。多くの出来事は瑞穂が先行し、真帆が追いかけることが多かったのですが、半年以上の開きはありませんでした。そして幸いなことに――これはもう確実にそう言っていいと思うのですが――私たちはお互いに「まったく理解不能な化け物」に変わり果てることなく大人になることができました。
 いや、訂正しましょう。「理解不能」であることには変わりなかったのですが、「化け物」になってしまうことからは逃れられました。中学、高校、大学と、私たちは計ったように同じ学校に通ったのですが、それは言うまでもなく

のです。それはそうしておかないとどこかで断絶が現れて、相互理解が立ち行かなくなると考えたからでした。たぶん正しい判断だったと思います。
 もちろん私たちはいつもふたりで一緒にいたわけではありません。友達も違うし、当たり前ですが恋人と過ごす時間は別々です。ダブルデートみたいなこともしませんでした。試験勉強はよく一緒にしましたが、それも高校までです。大学では学部が違ったので――真帆が情報工学で瑞穂が経営工学です――一緒に勉強する機会はなくなりました。それでも相手が「化け物」にならなかったのは、やはりこの日記があったからだと思います。
 高校生になってノートはスマホに替わりました。同じ日記アプリをインストールして「書くアカウント」と「読むアカウント」を切り替えてみたり、いわゆるカップルが使うようなアプリなども試してみたのですが、最終的にはクラウド上に「真帆」「瑞穂」というノートファイルを置くだけの、至ってシンプルな――紙のノートと変わらない――方法に落ち着きました。新しい書き込みは必ず先頭に追加します。ノートファイルを開くと日付の降順になっているわけです。こうしておかないと、ファイルを開くたびに最終行まで飛んで行かなければなりません。そして、電子ファイルが物理的な受け渡しの制約を取り除いた結果、「書く日」と「読む日」の――「書き手」と「読み手」の――交替がなくなりました。
 私たちはファイルのタイムスタンプを見て、日記に書き込みがあったことを知ります。しかしご存知のように、タイムスタンプはなにかが増えたことだけを示すわけではありません。なにかが減ったときにもタイムスタンプは更新されます。つまり、これまで「書き手」と「読み手」の二種類だった性格に、「消し手」という厄介なものが登場してくることになったのです。
 私たちには新しいルールが必要になりました。「書いたものは消さない」というルールです。紙のノートでは必要のなかったルールです。紙のノートでは、痕跡をまったく残さずに書いたものを消すことはできません。仮に微かな痕跡も見分けられないほどに消すことができたとしても、そもそも空白であっても日付を書いていたわけですから、物理的な空白が不自然に現れることからは逃れられないのです。
 この春になって、そのルールが初めて破られました。真帆がルールを破り、瑞穂がそれを見つけたのです。それが最初の会話が示唆する出来事です。

 随分と前置きが長くなってしまいました。なんだか言い訳めいたことをつらつらと思いつくままにしゃべってきたような気がします。でもこれは、私たちの〈いま〉を語るにはとても大事なことです。私たちの〈いま〉が、いわゆる「洗練された解決」に至るためには。
 私たちの〈いま〉とは、大学を卒業し、就職して、東京に暮らすことになってから、四カ月目になるこの夏のことです。もうすぐ私たちは同時に二十三歳になります。私たちは双子ですから、「おめでとう」と「ありがとう」とを、同時に交換するのです。
 でもまず、私たちのコミュニケーションが、まだエラーを起こす前からお話しを始めないといけません。私たちのコミュニケーションエラーは、おそらく私たち以外の人にはわかりにくく、どこにエラーが起きているのか判別が難しいものです。ですから、エラーのない状態を初めに知っておいて頂く必要があります。もしかすると、それも役には立たないかもしれませんが。
 たとえばそれは、こんな一日でした。
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