§17 土曜日の夜@真帆と瑞穂

文字数 1,097文字

 瑞穂を乗せた電車は横浜から東横線に入っていた。
 ――真帆、いま部屋にいる?
 ――うん 部屋にいるよ
 ――今日は出かけた?
 ――ずっと家にいた だってすごい暑そうだったから
 ――そうだよね。いまから帰るんだけど、いま東横線の中なんだけど、真帆、もう晩御飯食べちゃった?
 ――うゝん まだ食べてない なかなかお腹が空かなくて どうしようかなあ とか思ってた
 ――じゃあさ、駅の向こうの焼肉屋さんに行かない?
 ――いいよ でもあそこ高いよ
 ――今月余ってないとか?
 ――毎月ぜんぜん余ってるけど
 ――話したいことがあるんだ
 ――私にもある
 ――どんなこと?
 ――たぶん 瑞穂と同じこと
 ――ああ、そうだね。きっと同じだ
 瑞穂を乗せた電車は菊名を出て日吉に近づいていた。
 ――私 瑞穂に謝らなくちゃ
 ――どうして?
 ――だって私 ずっと嘘ついてきた
 ――知ってるよ。だから謝らなくていい
 ――いつわかったの?
 ――ずっとわかってた。だから謝らなくていいんだよ
 ――でも 謝りたい
 ――わかった。真帆がそうしたいなら、そうして
 ――いまでもいい?
 ――いま?
 ――瑞穂の顔見たら 言えなくなりそうだから
 ――ああ、うん。じゃあ、どうぞ
 ――瑞穂 ごめんなさい
 ――うん、わかった
 ――約束したのに ごめんね
 ――うん、もういいよ
 ――ああ やっと言えた
 ――もっと早くにこうしていればよかったね
 ――そうかな? わからない
 瑞穂を乗せた電車は多摩川を渡り自由が丘に着いた。
 ――ねえ 瑞穂
 ――なに?
 ――ちょっと いい?
 ――いいよ
 ――あのね 私 フラれちゃったよ
 ――え、だれに?
 ――だから 広瀬さん
 ――あ、そうなんだ。残念だったね
 ――それでね ずっと泣いてたの ほんとうは
 ――どこで?
 ――多摩川の堤防の草の上
 ――そうなんだ
 ――なんかいっぱい涙が出て なかなか止まらなくて
 ――そうだろうね
 ――暑くて 汗もかいてて だから しょっぱかった
 ――じゃあ、ちゃんと顔洗って
 ――うん そうする
 ――お化粧も直して
 ――うん そうする
 ――でもオシャレはしなくていいよ
 ――え どうして?
 ――だって焼肉だから。臭くなっちゃう
 ――ああ そうだね
 ――そうだよ
 瑞穂を乗せた電車は代官山から地下に潜ろうとしていた。
 ――瑞穂
 ――なに?
 ――まだ行かないよね
 ――行かないよ
 ――まだ行かないでね
 ――うん、まだ行かない
 ――もうちょっとだけ いてほしい
 ――わかってる。まだ行かないから、大丈夫だ
 ――なら よかった
 瑞穂を乗せた電車は渋谷で大勢の人を下ろし、大勢の人を乗せた。(了)
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