悲愴

文字数 2,045文字

さっくりとしてふんわりとして。
香ばしい。
温かなワッフルの上に冷んやりとしたアイス。一緒に口に含むと合わさったふたつの甘味が広がっていく。
わたしは満たされている。

プレーンの大きなワッフルが三枚。
ぽってりとした濃厚なソフトクリーム。
ほんのり苦味のある宇治抹茶アイス。
上品な甘さの粒あん。
抹茶パウダーがたっぷり。
「少し頭痛治ったみたい」
「それはよかった」
ママはわたしと同じ、ワッフル一枚のものを食べながらそう言った。
店内は静かで、小さなボリュームでラジオが流れている。この店はワッフルがメイン。様々なトッピングのものがある。季節のフルーツとか、ティラミス風とか、モンブランとか。他にはスコーンとチーズケーキが少し。カウンターのショーケースに入っているのが見える。
ママが学生の頃からある喫茶店。わたしはここをとても気に入っている。

ママの運転でスーパーに向かう。
ママの愛車は水色で、内装にも少し水色が施されている。天井が少し低めで落ち着く。
今はもう自分の車を持っていない。
運転もできなくなってしまった。
運転中に、何度か神経が高ぶって、息苦しくなったことがあったから。中古で買った、初めての丸くて小さな車は手放した。
今日のスーパーは規模が小さく、品揃えも程よくあるようで、ママはわたしと一緒の時、よくここを選んでくれる。
メモを見ながら次々に籠に入れていく。わたしはその後ろを、カートを押しながら着いて行く。
「パパのベーコンあったかしら」
「どうだったかな。分からない」
「そう。パパのベーコン、、なんか腹立つ。まあ買っておこ」
パパのことになると、こんなふうに冷たい言い方をママは時々する。けれど毎朝ハグをしてから見送っているし、会えるのを生き甲斐にしていたくらい好きで結婚したようだし。
夫婦のことはわたしにはまだよく分からない。

家に着いた頃には日が暮れていた。
今夜パパは飲みに出掛けてから帰ってくるよう。ママとふたり。
わたしは帰ってすぐにお湯をためた。シャワーで済ませることもあったけれど、入浴することを病院の先生に勧められてからは毎日入ることにしている。
お風呂上がりはもう少しお腹が空くと思ったのに。たっぷりワッフルを食べたわたしはもう何も食べたくなかった。
「ママ。ごめんなさい。今日も夜はご飯いらない」
ママは赤ワインを冷蔵庫から取り出した。
「そう。ホットミルク、入れようか?」
「うん。お願い」
わたしは、厚ぼったいマグカップに入ったホットミルクを少しずつ飲む。あまり見たことのない人達が出ているバラエティ番組をソファで見ている。調子が悪くなり出してから、あまりテレビも見たくなかった。けれど最近は、明るくて笑えるような雰囲気のものなら見ようと思える。どれを見てもあまりうまく笑えないのだけれど。
「パパ。今日、大丈夫かな?」
ママはダイニングテーブルで、赤ワインと冷凍のイカ墨パスタを食べながら本を読んでいる。
「大丈夫よ。ママがいるから」
パパはお酒を飲み過ぎると気性が荒くなる。
普段は穏やかなのに。
お酒を飲んだパパは大嫌い。
小さな頃からある記憶。
酔ったパパが、ママに何か言っている大きな声。
最近は飲みに行く頻度が減っていたのに。不安の渦が広がっていく。
ホットミルクはもう生温(なまぬる)くなってしまった。
「古都。明日調子が良ければ、コーヒー豆を買ってきてもらえない?歩いて十分くらいのところに、dolce四番地(ドルチェよんばんち)の焙煎所があるらしくて。そこでもコーヒー豆が買えるようになったそうなの。もちろん、古都の気が向けば。仕事帰りにケーキを買って帰ってくるわ」
ママは二杯目の赤ワインをグラスに注ぎながらにっこりそう言った。ママはお酒を飲むとよく喋っていつも楽しそう。
「わかった。ブレンド?」
「ブレンドはもちろん美味しいけれど。気になるものがあれば任せる。豆で二百グラムね」

夜眠る前、わたしは習慣になっているヨガの準備をする。間接照明とアロマキャンドルに火をつける。部屋中が、柔らかく温かい光に包まれる。
ヨガはママに勧められた。ゆったりした内容のものを十分程度。体が安らいで、眠気がやってくる。気に入りの静かな音楽をかけて布団に入る。
やっと今日が終わった。
目を閉じると、また鼓動が聞こえる。
こんなにも聞こえるものなんだろうか。
大きくて耳障りで。
眠らなくてよければいいのに。
毎日毎日。目を閉じなければならない。


声が遠くから聞こえる。
胸騒ぎがするような声。

扉の開く音。

「起きてるか古都。いつまでそうしているつもりなんだ」
体全体が目を覚ます。
パパの(とげ)のある大きな声。
わたしは寝たふりをする。
パパの気配が少しずつ近づいてくる。
「もっと苦しい人はたくさんいるんだ。それくらいで塞ぎ込んでどうする」
自分の鼓動が大きくなるのが聞こえる。体が震えていることに、気づかれてはいないだろうか。

でも。パパの言う通り。

何も言い返せなくて悔しくて動けなくて。


じゃあこの感覚は何て言えばいいの?
わたしには苦しくてどうしようもないのに。



このまま、消えてしまいたい。





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