時空

文字数 3,020文字

ビーツ、ラディッシュ、カリフラワー、サニーレタス、リーフレタス、カラフルなトマトたち。みずみずしくてしゃきっとして、それぞれの味がはっきりと分かる。
ハム工房の大きなソーセージ。皮付きのフライドポテトが少し。天然酵母のパンのスライスが三種類。その横にはバターと自家製トマトジャムが添えられている。ジャムは甘さが強くて美味しい。
野菜にはこっくりとしたシーザードレッシングを少しかけた。一緒に食べるパンの風味。ソーセージのジューシーな味わいに時々マスタードをつける。
奏くんの隣で、わたしはたっぷりとしたプレートを食べている。幸せな味がする。とても。



あまり眠れなかった。何か予定があると思うと落ち着かない。それは、誰に会うとか、何処に行くとか、何をするとか。いつもと違うことをすること。それはわたしをとても疲労させる。
午後五時に奏くんは迎えに来てくれる。家の近くにあるアパートの駐車場に来るように頼んでおいた。眠気は少しましになった。薬に体が少しずつ慣れていく。
ストライプのワンピースを選んだ。袖がふっくらとしているところが特に気に入っているもの。
奏くんは知っている人。けれど、知らない男の人。わたしと会う為に時間を作って会いに来る。なぜ、わたしに会いにくるのだろう。わたしは奏くんに会えることが嬉しいと思う。それに信用している。あの頃の思い出の中の奏くんを。

アパートの駐車場。午後五時四分。奏くんの車は止まっていた。わたしを乗せてくれる車。なんて魅力的なんだろう。乗ればわたしは守られる。大きな黒い塊に。優しい気配に。
車の扉を開けて高い段差に足を掛ける。
「おつかれさま。お願いします」
ふかっとしたシートに座ると鼓動が早く打ち始めた。わたしはやっぱり緊張している。
「おつかれ。とりあえず飯食べよう」
わたしは横目で奏くんを見る。変わらない髪質。少し癖のある太い黒髪は、彼の輪郭に馴染んでいてあの頃の面影を感じさせる。大きくて切長の目。首筋までふんわりと伸びた髪。わたしの知っている奏くん。首、肩、腕はとてもしっかりとしていて、身長は見上げる程伸びていた。わたしの知らない奏くん。
わたしはコーヒー豆の紙袋を膝に乗せている。
「これ。最近よく行く店のコーヒーなの。dolce四番地ってとこの。ブレンドと、最近飲んで、気に入っているマンデリン馬づら」
「馬づら。美味(うま)そうな名前。その店知ってるよ。昔からあるコーヒーの有名な店だろ?」
わたしは気づけば焙煎所での出来事を話していた。時子さんと飲むコーヒーのことや蛍さんが焙煎していること。店の雰囲気がとても良くて落ち着くとこ。ふたりが親切なこと。
「時子さんはジャムを作るのが好きみたいで、この前は苺ジャムを食べたの。ブルーベリーも作る予定みたいでまた食べさせてくれるって。夏は桃とか梨とかも使って作るみたいで。それに焙煎所は、優しい森の中にいるような気持ちになるの。ほっとするような、安心するような」
奏くんは時々短い相槌を打ちながら、ずっと聞いてくれていた。わたしは自分が喋りすぎていることに気づく。
「ごめんなさい。ずっと喋ってた」
信号で止まった車。奏くんはわたしの顔を見ている。
「変わってないな。喋り出すと止まらないとこ。その焙煎所、古都にとって特別な場所なんだ」
奏くんは楽しそうに、小さく笑ってそう言った。それから視線を前方に戻した。わたしは何も喋れなくなってしまう。けれど気まずくなってしまったわけではなくて、ただ喋りすぎた自分に少し驚いて言葉が出てこなくなった。
わたしは確かにあの頃、奏くんと歩くんにいろんな話を聞いてもらっていた。
それでね。
先生がね。
藍子(あいこ)ちゃんがね。
そんなふうに。

迎えに来てもらってからしばらく走った車。海岸線や広い公園、観光地が多くある地域の小さなカフェに停まった。駐車場は店の前には三台、少し離れたところに五台程あった。離れたところに停めて奏くんの後ろを歩いて行く。
こじんまりとした可愛らしい外観。茶色を基調とした懐かしい雰囲気。薄暗い夜空にぴったりの柔らかな店の灯り。中に入ったわたし達は、入ってすぐ左側の窓に面したカウンター席に座った。そこから川が見渡せる。手前には草木が広がっていて、所々に暖かい照明が優しい光を作っている。
わたしは奏くんの左側に座った。車と同じ。
「ここの唐揚げ、食べ応えあって好きなんだ。一緒にサッカーしてるやつに連れてこられて。それから時々そいつと来てる」
唐揚げプレート、パスタプレート、カレープレート、パンプレート。ドリンクがついているのはその四種類。あとは単品メニューがいろいろとある。夜はアルコールも出しているようで、品数が多い。
奏くんは唐揚げプレート、わたしはパンプレートにした。
カウンター席は落ち着く。今日はまだ、向かい合うよりきっとよかった。
「奏くん。整備工場で働いているの?その、帰ってきたって言ってたから」
「うん。専門学校卒業して運送会社で整備の仕事してたんだ。二年くらい前に、父さんが狭心症で入院したって聞いて。回復して今、まあ元気なんだけどね。その時、帰ってきてもいいかもしれないと思って。そう言うと、帰って来いみたいなことよく言うようになって。去年こっち戻ってきて、働くことになった」
拓海さんの姿を奏くんはよく見ていたことを思い出す。わたしが覚えている限り車が好きなようだった。それに比べて、歩くんは全く興味がないようだったことも覚えている。
「そうだったんだ。拓海さん元気になってよかった。工場見たよ。すごく大きくなっててびっくりした」
「確かに。あんなボロだったのに。まあ人が多くていいよ。父さんとそんな話さなくていいし」
奏くんは拓海さんのとこに戻ってきた。それは、離れてしまったけれど、ずっと繋がっていたと言う事。わたしはその事が嬉しかった。
プレートがテーブルに運ばれてくる。
想像以上の野菜の量。
それから、唐揚げの大きさに驚いた。一つがわたしの手のひらくらいある。
「これ、すごいよな。味も美味いんだ」
そう言って奏くんは、大きな一口で美味しそうに食べた。ジューシーでほんとに美味しそう。
プレート半分程に野菜が美しく盛られている。その横にソーセージ、マーガリン、パン、ジャム、バター。どれも魅力的。
全て綺麗に食べ終えた。
わたしも。奏くんも。
誘ったの俺だから。そう言って会計を済ませてくれた。

外に出るとぬるい空気。
初夏。夜空には満月があった。
「疲れてない?もう少し車走らせていい?」
駐車場から出る前に、奏くんはわたしの目を見てそう聞いてくれた。
「うん。大丈夫だよ」
海岸沿いを走って行く。道なりに真っ直ぐ。
少し走ると、左手に大きくて豪奢(ごうしゃ)な看板。
緩やかな傾斜を登って行く。綺麗に舗装された道。立派な木々。看板を過ぎた辺りからあるその木々全てが、桜の木のようだ。高台に大きな建物が見える。そこはリゾートホテルで、結婚式場、ゴルフ場が広い敷地内にあるという。
高台に着くと見えてきた輝かしい電飾と花々。
西洋建築を思わせる建物達。
美しいというのにぴったりな景色は、わたしの目に眩しく、胸に温かく広がった。
「来てみたかったんだ。夜の、この場所に」
奏くんは真っ直ぐ遠くを見ている。
「満開の桜も見てみたいな」



わたしは幸せを感じた。
触れたことのない感情が胸の奥に広がる。
隣に奏くんがいること。




今。この時空に閉じ込められてしまいたい。

わたしはそんなことを願った。





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