結付

文字数 2,626文字

シナモンと甘ったるい香り。
たっぷりのクリームチーズフロスティング。アルミホイルで包んで少しだけ温めた。
ママが昨日買ってきてくれたもの。
ママとわたしの気に入りのパン屋で。
わたしはパンの中でシナモンロールがいちばん好き。それは、ずっと前から変わらないこと。
シナモンロールとブラックコーヒーはぴったり。
深いコクと少し複雑な味わい。けれど透き通るような苦味と香りの余韻。蛍さんの言う通り。
わたしは馬づらがとても気に入った。


早朝。
ぼんやりした頭に、心地良い酸素がたっぷり取り込まれる。
夢の残像がまだ残っていた。
夢は厄介だ。決して選ばないものも、途切れるまで見てしまわなくてはならない。
好きな音楽が、鼓膜から胸の奥まで響く。
忘れよう。忘れたい。
何も思い出したいことなんてない。

いつも通りに歩けたわたしは、水をコップ一杯飲んでから顔を洗って朝食を食べようと思えた。
シナモンロールと馬づらを二杯飲んで、お腹いっぱい。好きなものを摂り入れると、体内が正常に動き出したような気になる。
けれど、眠気が酷い。
新しい薬のせいだろうか。
ソファに横たわると眠っていた。
深い眠りに(いざな)われる。

目を覚ますと正午前。
タオルケットが掛けられている。
携帯に連絡が届いていた。
高校三年の時に作ったグループからのメッセージ。そこにはわたしを含めて八人のメンバー。しばらく会ってない子達。またみんなで集まるようで、日程を決める過程に入っている。
何度か断り続けていることがわたしを悩ませた。特別行きたいと思ったことのない集まり。わたしはその中で話したいと思える子は一人しかいないから。
元々、人数が多いのは好きじゃない。気を使うし口数の少ないわたしは、最後には疲れていることがほとんどだから。それでも、楽しい時間を過ごした思い出のある居場所に変わりないのだけれど。だから簡単には切り離せない。
和葉(かずは)からも個人的に連絡がきていた。和葉はそのグループの話したいと思える一人の子。
久しぶり。体調はどう?今回の集まり行ってみない?みんな古都に会いたがってたから

日が暮れてきた。今日は眠気が酷くて、ほとんど横になって過ごした。時々本を読んだりしながら。ママの本棚から気になる小説を選んで。わたしは小説を読むことなんてなかった。字を読むのは、難しい事だと思っていた。
こんな生活になるまでは。
今日は夕飯を作ってみよう。と言っても、ママに頼まれた簡単な副菜。調子が良ければ作るよう頼まれている。
ふっくらした油揚げ。地元の豆腐屋さんのもので、この辺りのスーパーで買うことができる。必ずママはこの油揚げを選ぶ。マヨネーズ、しらす、ネギ、醤油で和えたものを焼き色をつけた油揚げの上に乗せる。後は食べる前にチーズを乗せてオーブンでこんがりするまで焼けばいい。
それから、タコをぶつ切りにして、フルーツトマトを半分に切ったものをマリネ液に漬け込む。砂糖、酢、塩、ブラックペッパー、オリーブオイルのシンプルなもの。
ママはそれに合わせて、鶏肉をカレー粉で味付けしたものを作ってくれる予定だ。

夕食前にお風呂に入った。
眠たい体がさっぱりして心落ち着く。

奏くんから連絡がきていた。
今週の土曜日、予定空いてない?一緒に飯行こう
わたしはぼんやりしていた頭がやっと目覚めた気がした。
奏くんとご飯が食べたい。
グループの集まりにも行ってみようか。

奏くんに会えるなら。

明日はコーヒー豆を買いに行こう。


ぐっすりと眠れて目覚めが良い。
薬のおかげかもしれないし違うのかもしれない。
部屋の窓から見えるすっきりとした空。今日の空色はとても綺麗でずっと見ていられそう。

セットアップのゆっりとしたものを選ぶ。奏くんに渡すコーヒー豆を買いに行く。
眠気は昨日よりなくて体が軽い。調子が良い。

dolce四番地焙煎所。
この建物の前に来ると違った空気が流れているのを感じる。吸い込まれていきそうな木々の呼吸。
重たい扉を開けて中に入った。
ひんやりとしているのに温かく優しい気配。
静かな森の中に居る心地。
「いらっしゃいませ。あ、古都ちゃん」
時子さんはカウンター奥の事務所から顔を出す。
「今急いでる?もし時間あれば、こっちで少し待っててもらえないかな?」
「はいっ」
わたしは事務所の方へ向かう。
事務所で時子さんは何か作業をしていたよう。たくさんの袋にコーヒー豆が入っている。銀色の大きな袋や、dolce四番地と書かれたわたしも受け取ったことのある袋。ダンボール箱に仕分けられていて、時子さんはダンボールにメモ用紙を貼り付けている。
「いろんなお店に持って行くものなの。カフェとか飲食店とか。あと少しで終わるから、また一緒にコーヒー飲みましょう」
事務所を見回すと真っ白な壁と床。黒い木目のダイニングテーブル。パソコンが置かれた簡易デスク。壁にはいくつか絵画が飾られている。それから様々な書類が入ってるラック。その上に写真立てがいくつか。
三人の女の人が写った写真が一番手前に置かれている。
「終わったわ。今日は何を飲もうか」
「あの、この方達は?」
わたしは写真のことを聞いてみた。なんとなく時子さんに似ている人達。特別な写真に思えたから。
「それは。私の娘達よ。髪の短いのが次女で背が高いのが三女。二人は県外にいるの。次女は結婚して子供もいて、三女は仕事頑張ってるみたい。それからあなたに似てる真ん中のが長女」
確かに丸い輪郭と笑った時の八重歯が似ているような気がした。
「長女は近くに住んでいるんだけど。ここ数年、ゆっくり話してなくて。孫に会う時、顔を合わせるけれど。以前みたいには話してくれなくなった」
写真を見ながら時子さんは、微笑んではいるけれど寂しそうな目をしてそう言った。
鈴の音が聞こえた。扉を開く重たい音。
「時子さーん?」
女の人の声。
「お客さん来たみたいね。ごめんね。もう少し待っててね」
わたしは写真を改めて眺める。時子さんと長女の娘さんと二人の写真もある。それはテーブルに向かい合ってケーキを食べている。美味しいはずのコーヒーと一緒に。
楽しそうで仲の良い親子の写真。



人はいろんな糸で結ばれているという。
真っ直ぐに。
導かれるように。
繋がった糸。

けれど、時に絡まってしまうことがある。
絡まって(ほど)けず、しばらく目を逸らす。

絡まったものはいずれ解ける。
時の流れの変化や何かのきっかけで。

それは、果てしなく続いていく。

けれどいつまでも、解けないこともある。



ずっと真っ直ぐ、繋がっていられるといいのに。






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