第29話 狩り、解体、遭遇

文字数 2,411文字

 予定を大幅に遅れて、アヌス士官学校の生徒たちはブール学院を発った。それを見送るなり、学院内の雰囲気ががらりと変わる。
 既に生徒全員は教官から指示を受けていた。リンク=リンセントに従うようにと。
 しかし、現実はどうだ。
 それぞれが、好き勝手に動いていた。理由は簡単、リンクが開口一番好きにしろと命令したからである。
 彼はいったい、なにを考えているのやら? 
 リアルガは問い質そうとするも、弟の姿は見当たらなかった。
 
 それもそのはず、リンクは森に狩りへと出ていた。
 弓と矢筒に加え、槍を二本と投擲を補助する投げ槍器(アトラトル)。他にも、調味料に野営具と満喫する気満々の装備。
 大物狙いなのか、リンクは度々地面に耳を当てていた。小型の獣ではありえない振動を確かめ、周囲を警戒する。
 狩りの基本として、先に獲物を補足しなければならない。少なくとも、至近距離で大型獣に出くわすのだけは避けたかった。
 慎重に慎重に、されど迷いなく進んでいく。繰り返し地面に耳を当てるだけでなく、残されている僅かな痕跡すら見逃さないように足を進める。
 
 そうして、目当ての獲物を見つけた。
 雄々しい角の生えたエルクだ。弓矢一発では仕留められないと、投げ槍の準備をする。邪魔な荷物を下ろし、槍の柄にアトラトルを引っ掛けて走る。
 充分な勢いを手に入れるなり一投――大きく、前へと振りかぶった。
 アトラトルは腕の延長として働き、長くなったぶんだけ梃の力を発生させる。
 そのようにして、素手で投げる倍の飛距離と威力を生み出した投擲は見事、獲物に突き刺さった。
 
 それでも、当たったのが腿のほうだったのでエルクは生きていた。茂みへと逃げ込むも、血の跡が居場所を教えてくれる。
 満足のいく結果にリンクは油断していた。彼の頭の中では、既にどう料理するかでいっぱいだったのだ。
 だから、辿った先にいた巨体に気づくのが遅れた。
 茶色い毛むくじゃらと目が合い、リンクはゆっくりと後退する。いくら大物狙いといえ、グリズリーは標的ではない。
 幸い、目の前には瀕死のエルクがいる。それにグリズリーは木の実を齧っていた。冬眠前はなんでも食べると言われているが、この状況で人間に手出しはしないだろう。
 リンクは刺激しないように距離を取る。恐る恐る、それでいて確実に視界から消え――そこで安堵の息を漏らす。

「あー、せっかくの肉が」
 
 あとで見に行ってもいいが、食い散らかされているのがオチであろう。
 それでも、リンクは再びその場所に戻っていた。あれから動き回ったが、なに一つ獲物を捕れなかったからである。
 どうせ無残な死肉が横たわっているだけかと思いきや、エルクは原型を留めていた。それも槍が刺さったまま、手を付けられた様子すら見当たらない。
 不審に思い、リンクは周囲を観察する。と、人工的な車輪の跡があるのに気づいた。
 誰かがなにかを運んだ。その前にグリズリーを追い払っている。いや、もしかするとそのグリズリーを運んだのかもしれない。
 エルクを置き去りにしたのは面倒だったからか、それとも……。
 
 リンクは底意地の悪い笑みを浮かべ、まだ明るいがここを野営地と定めた。というより、エルクの大きさからして解体しないと動きようがなかった。
 なので真っ先に角を折り、後ろ足に一本ずつ縄を結んでやる。
 その縄を丈夫な木の枝の上に通し、梃の力で吊し上げて固定。血溜め用の穴を掘ってから頸動脈を切り、放血させておく。
 それが済むと、血の匂いに釣られた獣を避ける為の火を起こす。
 とりあえずの分だけ薪を拾い、鉄片と火打ち石を合わせ、充分な火勢を手に入れると本格的な薪拾い。
 同時に小川から充分な水も用意して、解体作業へと移る。

 道具は厨房奴隷から借りてきた包丁一本。
 まず腿に刺さったままの槍を抜いてから、吊るした状態で捌いていく。槍で空いた穴を起点に包丁を入れ、前足から後ろ足まで一直線。左右共に切り裂いてから、腹と背に分けて引きずり下ろすように皮を剥ぐ。
 お次は内臓。ちょうど中心部分、肛門から喉に至るまでの皮膚を切って開くと、重量の大部分を占める臓物が丸見え状態。
 あとは簡単、身体との繋がりを断つだけで勝手に零れ落ちてくれる。それらの匂いは強烈なので、すべて血溜め用に掘った穴に埋めて土をかけておく。
 そうして、空っぽになったお腹を水で洗ってからがお楽しみ。
 
 リンクは手慣れた様子で骨と肉をバラシていく。塩を振り、食べるぶんは串に刺して火にくべて、食べないぶんは糸で縛って木に吊るす。
 途中からは、食べ応えある肉塊を口に運びながらリンクは作業を続けていた。
 そのすべてが終わる頃には、日は完全に落ちていた。

「ずいぶんと手慣れている」
 
 闇の中から、突然の声。
 なのに、リンクは驚きもしなかった。

「良かった。何日も野宿をする羽目にならなくて」
 
 振り返ると、壮年の男が怪訝な顔をしていた。刈り上げた金髪に褐色の肌。胴着も脚衣も使い古されたなめし革で、山岳民を思わせる様相。

「お礼をしたかったんです。グリズリーから、こいつを守ってくれた」
「必要ない。他人の獲物を横取りする趣味がないだけだ」
「他人の金品は奪うのに、ですか?」
 
 火の爆ぜる音が沈黙を埋める。

「あなた方ですよね? この周辺に出没するという盗賊は」
 表情が読めなかったのでリンクは先を進める。
「いや、義賊と言うべきでしょうか?」
 返事はないが、気にせず言いたいことを口にする。
「まぁ、どちらでもいいんですけどね。あなたが誰であれ、お礼は言いますしお願いもします」
 
 ここで初めて、男が笑った。

「図々しいガキだな」
「夢を見るのに必死なものですから。形振りなど構っていられません」
「夢……か」
「えぇ。その為にも、あなた方のご助力が必要なのです。聞いていただけますか?」
 
 男は首を振らなかった。縦にも横にも。
 ただ一言、付いて来いと口にした。
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登場人物紹介

 リンク・アン・リンセント(14歳)

 一代騎士の嫡男だが、その振る舞いは成り上がりとは思えないほどきちんとしている。それでいて不真面目な態度を取ることも多い為、友人からは怠惰の騎士様と呼ばれている。

 基本的な能力は高い上に多芸。また幅広い見識を備えており、労働奴隷とも交友を持っている。

 本人に目立つつもりはないものの、皇女に懐かれたことにより注目を浴びる羽目となる。

 帝国では珍しい夜のような黒髪と瞳を有している。

 スーリヤ・ユンヌ・ストレンジャイト(12歳)

 北方正帝の愛娘で皇女だが、その振る舞いから姫剣士様の愛称で親しまれている。

 政争には向かない性格な為、中央ではなく辺境のブール学院に入学。

 長い金髪に青い瞳。全体的に控えめな身体つきはしているものの、性格は苛烈そのもので喧しい。

 それでいて、気を許した相手には全面の信頼を寄せる。 

 コート・オブ・アームズ《紋章の上着》は武具に埋もれた竜。

 グノワ・グロコーフェン(14歳)

 体格に恵まれている為、農民の出でありながらも武芸に秀でている。

 気性は真っすぐで軍学校に入る前はガキ大将だった模様。

 ブール学院において、数少ないリンクの友人のひとり。

 アーサー・アナドレイ(13歳)

 グノワとは同郷で幼馴染。

 リンクのことを騎士様と呼び、阿るような態度を取る。

 それでいて軽口を叩くことから、身分とは別の親しみも持っている様子。

 

 フィリス(12歳)

 スーリヤの奴隷。ただ帝国において奴隷は財産――他人に自慢できるモノである為、身なりは整っている。

 更に武芸や知識も備わっており、あらゆる能力が王侯貴族にも負けず劣らずといった仕上がり。

 銀色の髪に灰色の瞳を有し、年齢の割に発育は良好。

 奴隷として生まれたのではなく奴隷に堕とされた存在ゆえに、今の恵まれた立場がスーリヤのおかげであると強く認識し、心からの忠誠を誓っている。

 リアルガ=リンセント(15歳)

 リンクの姉だが、その性格は真面目で普通。能力も優秀ではあるが常識の範囲。

 何故か弟に対して、敵意すら感じられる振る舞いをしている。

 リンクとは違い、北方帝国ではありふれた栗色の髪と瞳を有する。 

  

 メルディーナ・ブルジェオン・ドゥ・シャルオレーネ(12歳)

 北方帝国と敵対しているシャルレオーネ王国の王女。見事な黒白(こくびゃく)――夜の髪と雪のような肌を持つ。

 革命によりその命を脅かされるも、指導者としての才を発覚させることで生き延びる。

 その結果、王女自らが前線に立つ無謀な進軍を強いられる。

 ラルフ=ホークブレード(34歳)

 シャルレオーネ王国の近衛騎士。

 多くの戦を経験し功を立てて来たものの、国力の無さゆえに未だ一騎士の立場に甘んじている。

 メルディーナ王女の信頼が最も厚い人物。

 ディルド・トロア・ディオアヌス(18歳)

 東方帝国の皇子で既に大人顔負けの体躯を有している。

 性格は横柄で悪いものの、驕りはなく相応の実力と器を持ち合わせている。

 コート・オブ・アームズは武具に埋もれたヒト型の怪物。

 

 

 イラマ(19歳)

 ディルドの奴隷で帝国では珍しい濡れ烏の髪を持つ。

 容姿や服装は娼婦といった感じだが、皇子の奴隷――財産だけあって、非凡なる能力を有している。

 また主に対して棘を刺す程度の嫌味を言ったり、中々の食わせ者。

 コリンズ・サンク・コンスタンツ(16歳)

 褐色の肌に灰色の髪を有する南方帝国の皇子。

 奴隷王の異名に違わず、自らの周囲を有能な奴隷で固めている。もっとも、単に忠実で優秀な部下が欲しいだけなので相手の身分や年齢、国籍すらも問わない様子。

 事実リンクのことも奴隷として欲し、断られるや否や今度は軍師として勧誘する。

 コート・オブ・アームズは武具に埋もれた翼獣。

 

 シリアナ(17歳)

 コリンズの奴隷。亡国の王家筋だが、生まれた時から奴隷だったので本人にその自覚はない。

 かつては愛玩奴隷として悠々自適に生きていたものの、主がコリンズに代わるや否やその生活は破綻。彼の無茶ぶりに応える形で、血筋に見合った才覚を発揮していくことになる。

 もっとも、生まれながらの奴隷にありがちな「物言う道具」の自覚が強い為、彼女はそのことに対して微塵も感謝していない。むしろ、やるべき仕事が増えたと文句を言っている。

 帝国では珍しい赤毛と緑の瞳を有する。

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