第26話 有能な奴隷、無能な貴族
文字数 3,422文字
シリアナに案内されたのはスーリヤの部屋だった。
「そうか、入れ」
何故か部屋の主ではなく、コリンズが入室の許可を出す。
そうしてシリアナとリンクは礼儀正しく入るも、室内は不作法に溢れていた。
「勝手に応じるな、馬鹿者が! ここは私の部屋だぞ?」
「まったく、飽きもせずよく吠える。女としては最悪だな」
「あいにくだが、私は修道女じゃないんだ」
六人ほどが座れる円卓には大声で喚くスーリヤと片耳に指を突っ込んで聞き流すコリンズ。
フィリスは困惑入り混じった表情で給仕をしている。
「いつまでも突っ立ってないで二人とも座れ」
コリンズが無茶を言う。
シリアナとリンクは互いに顔を見合わせ、溜息一つ。
「軍師殿はスーリヤの隣にいてくれ。どうやら躾が行き届いてないようだから、誰かが手綱を握ってやらねばな」
「人を犬扱いするなっ!」
またしてもスーリヤが吠え、コリンズは聞き流す。
リンクは言われたとおりに腰を下ろして、フォローする。
「落ちつけ、スーリヤ。コリンズ様は退屈しのぎに遊んでいるだけだ」
「違うぞ軍師殿。俺が遊んでやっていたのだ」
三度目はなかった。
慣れているのか、両者の奴隷が同時に主人を窘める。
「スーリヤ様。これ以上、お茶を零さぬようお願いします」
「コリンズ様。そろそろ本題に入っては?」
この流れに乗っからないわけにはいかず、
「それで、どういったご用向きでしょうか?」
無礼ではあるがリンクも口を挟んだ。
「そうだな。まずは礼を言おう。軍師殿のおかげで文句なしの勝利を掴めた」
軽く頭を下げ、リンクは賛辞に応じる。
「問題はその後のことだ。何故、教官たちは本来の予定を大きく違えたのだと思う?」
「城塞都市アトラスが攻められたか、落とされたのでしょう」
周囲の反応は顕著であった。コリンズは心底楽しそうに笑い、スーリヤは驚愕に目を見張っている。
「なんで、わかるんだ?」
スーリヤが問う。
「模擬戦の終了とほぼ同時に北方から軍鳩がやってきた。その数からして、要件が危急なのは明らかだ。そして現状、北で起こり得る騒動はシャルオレーネ王国に限られている」
もしそれ以外なら、本当の不測の事態として帝位継承権を持つ者だけでも逃がしていたはず。
「だとしても、アトラスとは限らないだろう?」
「正規軍でも落とせなかった砦を革命軍に落とせるとは思えない。それに商人から聞いた話では、ケイオンとイオスの軍備は増強されている」
「それならアトラスだって!」
「アトラスは平時のままだ。バビエーカ山さえ越えることができれば、そう難しくない」
「リンク、それは矛盾しているぞ? 冬のバビエーカ山を越えるなんて、それこそ正規軍でもできない」
スーリヤの反論を受けるなり、リンクはお茶を口に含んだ。この件に関しては、自分から口にする気はなかったからだ。
「……スーリヤ様、それは違います」
そのことにフィリスだけが気づき――強く詫びてから、口を挟む。
「冬のバビエーカ山だからこそ、越えられる可能性があるんです。シャルオレーネ王国には氷や雪を使った、冬にだけ可能な技術があります」
彼女はリンクの奇行を憶えていた。
「それらを用いれば、橋や道だけでなく吹雪を避ける家まで作れるそうです。だとすれば、私たちが思っているよりも容易くバビエーカ山を越えられるかもしれません」
「フィリスの言う通りだ」
真偽を伺う空気になる前にリンクが同意を示す。
「なるほど。フィリスとやら、おまえも座れ。ただ給仕をさせておくには惜しい」
フィリスは断るも、コリンズはスーリヤを味方に付けて座らせる。
「俺はつくづく思うのだが、貴族などよりも奴隷のほうがよっぽど有能ではないか?」
それはすべてを奴隷に任せてきた代償でもあった。
誰一人コリンズの発言には肯定も否定もせず、お茶をすする音だけが沈黙を埋める。
「軍師殿、土地勘のない俺に教えて貰いたいことがあるのだが?」
「なんでしょうか?」
「俺はアトラスの概要を知らない。しかし、仮にも前線の城塞都市であろう? いくら奇襲が成功したといえ、
「単純な武力では無理です」
商人をはじめ、人の出入りが激しいだけあって守備兵の数は多い。
またバビエーカ山を越えたとしても無力化できる城壁は一枚だけで、残る二枚は自力で攻略しなければならなかった。
「ただ、商人たちは王女の山越えを予測していました。軍の人たちはあり得ないと一蹴したようですが、儲かる可能性があるのなら商人は動くはずです」
「商人を買収か。まぁ、当然だな」
商隊ともなると、たいていは門番に賄賂を握らせている。品数が多いとどちらも面倒という、両者の利害が一致するからだ。
「えぇ。そして、
「そうなると、購入者は軍の上層部か貴族に限られるな」
「女の兵はそう多くはないでしょうが、希少というほどでもないですからね」
「対して、鼻の下を伸ばし切った男は腐るほどいるな。王侯貴族はおろか聖職者に問わず」
ここでスーリヤの我慢に限界がきた。
「貴様らは我が国の兵たちを愚弄する気か?」
だが、男二人は涼しい顔で言い返す。
「アトラスは前線、つまり辺境だ。そういった兵の中には、中央では使えない素行の人間も多くいる」
「部下の欲望を理解できない上官の末路は悲惨なものだと聞く。貴様はその典型だな。学生の内で軍人など止めておくことをお勧めする」
スーリヤは言い返せなかった。助けを求めることもできない。
フィリスもまた助けない。彼女はそういった兵の存在をよく知っていた為、口先だけでも否定することができなかった。
「しかし、そうなると厄介だな。頭がすげ変わっただけで、城塞都市は健在ということになるではないか」
「まさしく、その通りです」
王女が率いる軍。
それもたいはんが近衛騎士となれば、無暗な略奪に走るとは思えない。下手をすれば、帝国よりも上手く城塞都市を機能させる可能性すらあり得る。
「あの辺りには元シャルオレーネ王国民も多いですからね。それに比べて、帝国は戦の度に重い税を徴収していたとなると」
「最悪だな」
一先ず、お手上げであった。
民は自分たちに危害を加えないとわかれば、敵国だろうと平気で受け入れる図太さを持っている。
「こうなっては意地でもケイオスとイオンは守り通さねばなりません」
「なら、近辺の領主やアルニースから兵を送ればいいだけだ」
そんなスーリヤの発言に、
「……」
「……」
男二人は黙ってフィリスを見た。
「スーリヤ様、それはできません」
なので、彼女が説明する。
「いま北方帝国内で軍勢を集めては誤解されてしまいます」
指摘され、スーリヤは呻いた。自分の父親の発言を思い出したのだろう。
北方正帝は北の侵攻がここまで及ぶことはないと断言している。この発言を撤回し、謝罪しない限りは軍勢を集めることは許されない。
現状、ここには帝位継承者が複数人いるのだ。
「貴様らがさっさと帰ればいい」
「北方正帝の顔に泥を塗っていいのなら、すぐにでも帰るさ」
おそらく、教官たちもそのことで揉めているはず。
アトラスが落とされたのは予想外ではあるものの、結局シャルオレーネ王国の侵攻がここまで及ぶことはない。
それに北方帝国からすれば、ケイオンとイオスが落とされない限り戦局に大きな問題もなかった。補給路が断たれたとはいえ、両砦には冬を越せるだけの兵糧が充分整っている。
だとすれば、わざわざ余計な金のかかる冬に兵を起こす必要もない。
「王女の軍がここからどう動くか……」
リンクの独り言に、
「革命軍とは協力しないのですか?」
これまで黙っていたシリアナが反応を示す。
「通常、挟撃されてしまえば砦といえど無事では済まないでしょう?」
「帝国としては最悪の可能性だが、その心配はないだろう。今本気で戦えば勝つのが帝国であると王女はわかっている。だからこそ、ここで革命軍の手綱を握っておきたいはずだ」
「つまり、自分たちだけで手柄を立てようと?」
「そんな方法はさっぱり思いつかないけどな」
リンクの発言を聞いてコリンズやスーリヤも頭を悩ませるも、答えは一向にでてこなかった。
「メルディーナ王女とやらのお手並み拝見だな」
諦めて、コリンズは吐き捨てる。
リンクも同じ気持ちだった。