第28話 学生兵
文字数 3,060文字
太陽が昇りきった頃には移動を開始する予定のようだが、とうてい間に合いそうにない。
傍目から見ても彼らの動きは緩慢だった。それもわざとそうしているように見える。
その意外な理由をリンクは学院長直々に聞かされた。
昼食が終わった頃である。リンクは教官から呼び出しを受けた。人目を忍ぶ態度に最悪な展開を考慮するも、どうやら違うようだ。
リンク=リンセントは教官に対しては従順なので、呼び出しには黙って従っていた。それが一番、目立たぬ方法だと思っていたからだ。
彼は可能な限り教官の記憶に留まらず、ブール学院を去りたかった。もっとも、やんごとない方々のせいでその苦労は水泡に帰してしまっている。
案内されたのは学院長の部屋。
「リンク=リンセント。これはクーニ=クリソコラ皇子からの要請だ」
まったくもって想定していなかった名前に、身構えていたリンクは気が抜けてしまう。
「ブール学院の生徒たちを率いて、ここでシャルオレーネ軍を食い止めて欲しい」
「どういう、意味でしょうか?」
リンクは当然の質問をする。
学院長は終始困っていた。
無茶苦茶な要請を切り出す前も切り出した後も。こんなことは口にしたくないと言わんばかりである。
「朝方、北方の領主から伝令が届いた。アトラスから、シャルオレーネ軍の小部隊が南下している報告だ。数はおおよそ百五十。一見して、全機が完全武装した急襲部隊とのこと。その目的は不明だが、クーニ皇子は自分たち帝位継承者を捕らえる腹づもりだと酷く気に病んでいる」
問い質すまでもなく嘘だとわかった。
実戦経験がないとはいえ、こちらは千を超える軍勢だ。血迷わない限り、向こうから襲い掛かってくるとは思えない。
貴族の世界は面子でできているとはいえ、さすがにこれはふざけきっている。どう考えても、模擬戦の意趣返しに違いなかった。
「そこで我々にも随伴して欲しいと要請してきた。ただし生徒たちは別だ。彼らにはここに残って、シャルオレーネ軍の足止めをして貰いたいそうだ」
だがそれよりも、リンクはシャルオレーネ軍の動きの速さに驚いた。
軍鳩が届くのに一日はかかるとしても早すぎる。それ以前に目的が掴めない。たった百五十といえど、王女の軍勢に余裕はないはず。
「クーニ皇子はリンク=リンセントが指揮するブール学院の生徒たちが後方にいてくれるなら、安心していられると言っておられるのだ」
「学院長はその要請に従わざるを得ないんですよね?」
「あぁ」
「なら、命令してください。ブール学院の生徒全員に。私に従うよう、学院長から命令してください」
選択肢はなかった。ただでさえ北方正帝には負い目がある。これ以上、他の正帝に付け入られる隙は与えられない。
「ご安心ください。なにも、シャルオレーネ軍の目的がここにあると決まったわけではないでしょう?」
学院長は頷き、
「だが、取り締まる者がいない集団はそれだけで恐ろしい。特にここには武器がある」
自分が命令したとして他の生徒たちが従うわけではない、と暗に言い含めた。
それにはリンクも同感だった。
最上級生の貴族や騎士は家柄を盾に、指揮権を譲るべきだと主張するに決まっている。
「それとスーリヤ=ストレンジャイトは我々と共にアヌス士官学校に随伴する」
「当然でしょう」
もとより、リンクに頼る気はない。むしろ、スーリヤがいないほうが好都合であった。
果たして、その本人はというと不貞腐れていた。
スーリヤの性格上、こんなふざけた命令に納得できるはずもなく……。
しかし、我儘を言っていられる状況でもないと理解できるほどの頭は持っている。
学院長から話を聞いたリンクが様子を見に行ってみると、彼女は今にも噛みつきそうな顔で荷物を纏めていた。
「揉め事は起こすなよ?」
「それはクーニ皇子次第だな」
場合によっては歓迎する物言いである。
「あいつは自分の立場だけでなく、親の権威まで使いだした。馬鹿な奴だ。スペアですらない者が正帝の名を持ち出すとは」
「それだけ心に余裕がないんだろう」
コリンズに一泡吹かせてやろうと策を弄したにもかかわらず、自分が痛い目にあった。それも格下の一代騎士の嫡男にしてやられたのだ。
「かような振る舞いを許すほど、西方正帝は甘くない。自分の名を傷つけられたと知れば、子供であろうと容赦はしない性格だ」
「だからって、スーリヤが手をだしていいわけじゃない」
「いや、案外許してくれるかもしれない。あの方は剣を持つ女性が好きらしく、私にも優しい言葉をかけてくださった」
「物騒な好みだこと」
リンクは説得を諦めて、フィリスに目線で頼む。いざという時は止めてくれと。
フィリスは言われるまでもないと、そっぽを向いた。
「それで貴様のほうはどうなんだ?」
「どう、とは?」
「シャルオレーネ軍がなにを考えているのか、わかったのか?」
リンクは素直に両手を上げる。
「案外、本気でここを目指しているんじゃないかと思わなくもないが……さすがにな」
「まったく、領主たちはなにをしているんだ?」
スーリヤが吐き捨てる。自分たちの領土を侵されていながらも、静観しているのが気に食わないようだ。
「具体的な被害もなければ、帝国街道を使っているわけでもない。それに王女もいないんじゃ、こちらから吹っ掛ける利点はないな」
シャルオレーネ軍の中で政治的価値がある人物は王女と革命軍を率いる将軍グスターブのみ。
近衛騎士団は無視できない戦力だが帝国まで名の通った人物はおらず、捕虜としての価値は低かった。
「現状、放っておいても害のない部隊だ。鬱陶しくはあっても、わざわざ追い払うほどでもない。それに今に至ってなお、シャルオレーネ王国から宣戦布告を受けた話は聞いていない」
城を一つ落としておいて布告もなにもあったものではないが、これは重要なことであった。
形式上は王女自らの出兵とされているものの、実情が民に追いやられたことを帝国は知っている。
この場合、北方正帝はまず抗議文を送るだろう。
王女の返答次第では即開戦となるが、今回に限ってはそうはならないとリンクは読んでいた。
おそらく、王女は素直に詫びる。
帝国としても革命軍よりは王女と仲良くしたい。王女が了承するならば、兵を貸すことも辞さないはずだ。
もっとも、その申し出の裏を読めない王女ではないので、交渉が成立することはないだろうが。
「察するに父上も争いを望んでいない。それはもっと先のように話していた」
「外交で片が付くなら、越したことはないからな」
とはいえ、帝国はかの国の王子を悉く打ち取っている。
その時にメルディーナ王女が生まれていれば賠償として求めることができたのだが、今となっては難しかった。
「戦も立派な外交手段だ。こちらに有利な条件で和睦を結ばせるにも、武力は欠かせない」
「さすが、姫剣士様。勇ましいことだ」
茶化すな、とスーリヤは笑う。
「なぁ、リンク。もし、シャルオレーネ軍と戦うことになったら勝てるか?」
「無理だ。教官がいれば別だけどな」
「こちらのほうが、圧倒的に有利なのにか?」
数の上では六倍に近く、地の利もある。
「死ねと命令できる指揮官もその命令に従える兵もいない。これでどうやって勝てって言うんだ? それ以前に勝っても負けても意味のない戦だ。もしそうなったら、俺は逃げるぞ」
堂々とリンクは言い切った。
「とても騎士の発言とは思えんな」
「まったくだ」