第35話 「彼の帰還」
文字数 2,352文字
私はその時、自室に居た。誰かが部屋のドアをノックして、「どなた?」と返事をしたけど、何も言われず、更にもう一度ノックが続いたから、ドアを開けようとした途端、ドアは開いて、立っていたのはマルメラードフさんだった。
「マルメラードフさん、どうしたの?」
彼は緊迫した表情で、声を低く、こう言った。
「お嬢様、大変ですぞ。ターカスがついに捕らえられました」
「ええっ!?」
私は大声を出してしまったけど、マルメラードフさんはそれを両手で制するように手を動かしたので、私は慌てて口を両手で覆う。でもそっとそれを下ろして、改めてこう聞いた。
「それは、どういう事なの…?」
すると、マルメラードフさんは人差し指を立てて、小声でこう話しだす。それは、訴えかけるような口調だった。
「ターカスは、エリックに捕らえられてから洗脳され、エリックが戦争を起こそうとしている思想に染まって、ついにポリスによって捕らえられたようです。私がシップを出しますから、お嬢様は捕らえられたターカスに会いに行ってやって下さい。拘束はされていますが、面会は可能ですぞ」
私はそれで、怖いのか驚いているのか分からないけど、とにかくターカスは見つかったのだし、「そうなのね、すぐにお願いするわ!」と、マルメラードフさんについていった。
廊下に歩行器を走らせている時、私はマルメラードフさんに「アームストロングさん達は行かないのかしら?」と聞いたけど、「彼らは捜査の後片付けで忙しいんです」と言われた。
マルメラードフさんが扱うシップは、運転席と座席の間に境目がなく、彼が操縦桿を握っている姿が見えた。それに、マルメラードフさんはたまに「ご心配には及びません。もうすぐ着きます」など話しかけてくれたから、私もあまり不安にはならなかった。
“でも…ターカスが本当に戦争を…いいえ、彼は洗脳されただけなんだから、きっと許しが…きっとそうなるわ…!”
私は、ぐるぐると思い悩みそうになる度に、腕の中のコーネリアを抱いていた。
コーネリアを家に連れ帰った時、「野兎を家の中に置くわけには参りません」とマリセルには断られてしまったけど、ターカスはコーネリアと遊んでくれたから、囚われの身になって元気を失くしているかもしれないターカスを勇気づけるため、私が連れてきた。マルメラードフさんも、コーネリアを撫でてくれた。
“私が心配しちゃダメよ…きっと大丈夫と思うのよ…”
やがて世界連暴力犯対抗室の専用艇というシップが地面に降りると、タラップが下ろされた。それは斜めになっていたけど、ターカスの作ってくれた歩行器にとっては、そんなのはなんでもない。私は、それに気づいた時も、早くターカスに会いたいと思った。
でも、下に降りて辺りを見回した時、私は「えっ?」と声を上げてしまった。
だって、その辺りには石や岩しかなくて、ポリスの建物なんかどこにも見えなかったから。私は、専用艇から降りてくるマルメラードフさんに、こう聞いた。
「マルメラードフさん、目的地は地下なの?」
すると彼はちょっと笑って、片手を顔の前で払う。
「いえいえお嬢さん。こんな所にターカスは居ませんよ」
「えっ?だってターカスの所へ行くんでしょう?」
マルメラードフさんは尚も面白そうに笑っている。私は、前に彼が庭にある薔薇の影で、誰かと通信をしていたのを思い出した。そしてそこから離れようと思って歩行器を動かそうとした時、マルメラードフさんは私から歩行器を引ったくり、私を地面へと突き飛ばした。
岩盤の上を転がって、私は体のあちこちを打った。
「痛い…何をするのよ!」
起き上がって彼を詰ると、彼はまだ笑っていて、自分の後ろにあった崖の下へと、私の歩行器を放り投げた。
「ちょっと!いい加減にしなさい!何を企んでいるの!?わたくし、許さなくってよ!」
そう言っても怖気づくこともなく、マルメラードフはこちらへ近寄ってきて、さも可笑しそうに笑った。私はそれを睨みつける。
事態はもう最悪の方向へ進んでいて、自分はこれから殺されるか、何かの取引に使われるだけかもしれないと分かっていたから、私は決して彼から目を離さなかった。思った通り、彼は私の手を引っ張って体を引きずり、崖の際まで歩いていこうとした。私はなんとか抵抗したけど、通じるはずがない。
「何をするのよ!卑怯者!ふざけないでちょうだい!」
「至って真剣です、ヘラ嬢」
「なお悪いわ!」
「おや、この状態で口答えを?」
彼はそう言った時、手を引っ張ったまま、私の体を崖の向こう側へと押し出そうとした。
「やめて!やめなさい!ええい!」
私は、何度か崖の際で揺らされて脅かされ、死ぬかもしれないと思った時、彼が憎くて憎くて堪らなくなった。だから、自分が見た事を言ってしまおうと思って、こう叫ぶ。
「あなた、わたくしの家の庭で通信をしていたでしょう!“エリック”の始末を“連中”に委ねるとかなんとか!自分の手は汚さずにやろうって魂胆なのね!卑怯で薄汚い人だわ!」
「いいえ。今まさに、自分の手を汚そうとしているじゃありませんか」
「その口を閉じなさい!よくもそんな事を!」
私達が言い争っていた時、急にその辺りに“ドシン!”という衝撃が走って、気が付いた時には、私は崖の際から零れ落ちて、真っ逆さまに下へと落ちていた。
“死ぬわ!”
それは確かにわたしくしの胸に響き、心がパキパキと割れて砕け、絶望に涙を流す間もなく、私は地面に激突すると思っていた。
“悔しい!悔しい!こんな!こんな事って!”
すると、私の体は何かに支えられてふわりと浮き、また気が付いた時には、私を呼ぶ声がした。
「お嬢様、お待たせ致しました」
ガラガラと低く割れた、機械音声。私を包む、硬い体。私は大きく息を吸い、待ち侘びた彼に抱き着いた。
「ターカス…!」
つづく