第1話「私を連れて逃げなさい!」

文字数 3,989文字





ここはアステカ高原。古代史によれば、そこにはかつて「アステカ帝国」が建っていたと推測され、元は湖の上の島だった場所は、何万年も変化し続けた地球の動きにより、隆起して大きな丘になっていた。

その丘の一番高いところに、白い小さな屋敷が建っている。屋敷に向かって伸びている道には馬車の轍のような溝が掘られているように見えたが、朝日にきらりと光ったところを見ると、何やら金属でできたレールらしい。

レールに沿って丘の上の屋敷に近づいていくと、その屋敷は二階建てで、玄関はあるが、ポーチはなかった。屋敷前には誰も居なかったが、庭の中にも段差はなく、奇妙なほどに平坦な家だ。だが、二階があるのだから、そういぶかしむことでもないと思えた。

とにかく私はここに、「お嬢様探し」に呼ばれたのだから、仕事をしなければ。

そう思って、「気難しく、気分屋な金持ちの娘を探すだけの仕事」と思って、少し怠い腕を持ち上げ、玄関にあっセンサーの前に、私は立った。








「ターカス!遊びましょうよ!ターカス!どこにいるの?」

私は自分の屋敷の中で、一番のお気に入りのメイドロボットのところまで歩いていくために、頑張って歩行器を使って進んでいた。私は生まれつき少し足が不自由だったから、半自動車輪付きの歩行器を使って、屋敷の中を歩き回っている。今の屋敷も、亡き父が私のために建てた、段差のほとんどない建物で、もちろん二階へはエレベーターを使って上がる。これはどの家でも大差ないけど。

でも私はターカスを見つけられなくて困っていたので、他のメイドロボットに聞いて回った。

「お嬢様、お部屋にお戻りになってください。そのままではお疲れになってしまいます。ターカスなら、わたくしが連れてまいりましょう」

最後に声を掛けたメイド長はそう言って、ワイシャツにベスト、スラックスの姿で、きっちり腰を曲げておじぎをする。でも、この間まではターカスがメイド長だったのに。

私は、メイド長に会った庭にあつらえられたベンチに座り込み、物思いに沈んだ。

“もう旧式だからと、以前に買われてきたロボットたちはみんな雑用係に回してしまって、新しい型のを急にメイドにするなんて…”

私は、薔薇の咲き誇る庭の中で、歩行器は隣に置き、部屋には戻りたくなかったので、そのままターカスを待っていた。

今は午後の稽古事の時間だったけど、私は部屋に戻る気分じゃなかった。

“どこかに行きたい”

ずっとそんな気がしている。屋敷での毎日は単調だし、この屋敷には私以外にはロボットしか居ない。それでつまらないなんていうことはなかったけど、それはターカスが私の部屋を去ってしまう前までだった。

お父様はつい先日亡くなって、葬儀にはたくさんの公人も来たけど、私はそれにはろくに応じることも出来ずに、後見人である叔母さんに頼ってばかりだった。

お母様は、もうずいぶん前に亡くなっている。お父様は元々、ロボット設計と製造の仕事でほとんど家に居なかった。足が上手く動かなかった私は、いつも家で誰かを待っているばかり。


お父様は、亡くなられる前に、「せめて私が娘を愛していたということを残せるように」とお言いになり、お屋敷を、私の好きなこの世で一番綺麗な白色の“ホラス”という鉱物でお建てになり、そして新しいメイドロボットまで買い揃えておしまいになった。

“私が「ターカスは今まで通り部屋に居てほしい」と言ったら、お父様は「新式のマリセルの方がお前の頼りになるよ」と言って、それからすぐに危篤になってしまったのだわ…”


私は亡き父との最後の会話を思い出し、今でも父に伝えられなかったこと、父が自分の望みをすぐには理解してくれなかったことを、悔やみ、何より、父がもう居ないことを悲しんでいた。

「お嬢様」

なじみ深い、少し割れた低い金属音のような声に顔を上げると、彼は樹脂に包まれた空洞の目の奥で、微笑みの形にランプを灯していた。彼はいつも通りに体を黒のカマーベストと黒のスラックスで包み、旧式ロボットらしい少し無骨な体をして、丸い頭を私のところまで下げて、私を覗き込んでいた。

「ターカス!探したのよ!どこに居たの?ねえ、私の部屋で遊びましょうよ」

「それよりお嬢様、今はお稽古のお時間ではございませんか。わたくしとお遊びになるのはまた夕になってからにして、わたくしは倉庫に戻ってはいけませんでしょうか?」

“倉庫…?”

「ターカス、どうして倉庫なんかに行くの…?」


私は、嫌な予感がした。倉庫は屋敷の裏庭の端にあり、そこには、壊れたロボットたちも入れられている。

「わたくしは今はあそこで休ませていただいております。亡きお父上も、わたくしのために特別にベッドを設えてくださいまして」

私はその時初めてターカスの今の処遇を聞いた。確かにターカスがメイド長の自室に帰って行くところは見ていなかったけど、父の死や、残された自分がこれからの身の振り方をどうするのか、後見人の叔母から教わって覚えるので、精一杯だった。

“お父様は、そんなことまでして、どうして急に新式ロボットを迎え入れたのかしら?ターカスが居てくれなくちゃ、私はとても悲しくて仕方ないのに…”

「ねえ、ターカス」

「はいお嬢様」

にこにこと大きな丸い目の形をした透明な樹脂の向こうでターカスは笑っている。

「あなたは…この間まで、メイド長だった…」

“そうよ、そうだわ。この間までは、わたくしに一番力添えをしてくれたターカスが、それに相応しいメイド長だったわ…それが急に家の隅に追いやられて…こんなのってないわ”

「そうですね」

ガラガラとしたターカスの声は、それでも温かい。

「急に仕事をしなくなって、誰とも遊ばなくなって…退屈じゃないの?」

するとターカスはまたにこにことしたまま、こう言う。

「お嬢様、わたくしたちロボットに「退屈」という状態はございません」

“変だわ、そんなの”

私はこんな風にターカスの心配をしているのに、彼がわかってくれないから、ちょっと自棄になって、こんなことを言ってしまった。

「そう…ターカスって、馬鹿なのね」

するとターカスは一度首をひねり、彼の頭脳のあたりにある動力炉が、一瞬「ヴヴン…」と唸るのが聴こえた。

ややあって、ターカスはこう言う。

「お嬢様、わたくしたちには、あなたがたから教えられた途方もないほどの情報がありますし、自在にそれを操ることもできます。「馬鹿」というのは、「記憶力や理解力の劣る者」という意味ですから、わたくしは決して“馬鹿”ではございません。充分にお嬢様のお役に立てます。もちろん、今は雑用係を仰せつかっておりますから、お嬢様のお近くにいられる時間は限られてはおりますが」

“そういうことを言ってるんじゃないわ…”

「いいえ、馬鹿よ。ターカスは馬鹿だわ!」

私はその時、ちょっとだけ屋敷を振り返り、それからターカスの手を取った。

“この家には、もう私の血族は誰も居ない。私は独りだわ…そして、私がひとりぼっちだった時になぐさめてくれたターカスがこのまま倉庫に押し込められてしまったら、私は本当に独りぼっちになってしまう…!”

“子どもである私の話なんか誰も聞いてくれない…でも、ターカスは違うわ。だから、彼といつでも一緒に居られて、誰も邪魔をしないところへ…!”

私はもしかしたら、父を亡くしてとうとう血筋の者が家から居なくなったことで、さびしかったのかもしれない。でも、それだけではなくて、ターカスと一緒に居られなくなるということの方に、より強いさびしさを感じていたと思う。もしかしたら私にとってターカスは、両親以上の存在だったのかもしれない。

自分がこれから言おうとしていることで、私は喉と手が震えた。でもこれは、ターカスが私の部屋を去ってから、もうずっと考え続けていたこと。時折屋敷の隅で花瓶を磨いていたりする姿を見て、少しの間話をしていたら、新しいメイド長のマリセルに見とがめられたりするようになってから…。


「ターカス、この家を出るのよ」


私は、その時の自分の声に驚いた。自分の言葉の確かさ、“最良の選択をしている”と強く感じたこと。私はじっとターカスを見つめる。

「出る、と、おっしゃいますと、どのような意味でしょうか。外出なさる前に、お稽古にお戻りください」

「いいえ!ターカス!私を連れて、どこか二人で住める場所を探すのよ!」


私は、ずいぶん前から、この家に嫌気が差していた。お父様は私をわかってくれないことの方が多かったし、お仕事で倒れてしまうまでは、私はいつもターカスとおしゃべりをしたり、チェスをしたりした。もちろん、ターカスに勝てたことはなかったけど。

そんなターカスが急に倉庫に押し込められてしまうなんて、やっぱりおかしい。だから、ターカスがいつまでも私のそばで世話をしてくれる場所に行きたい。ずっと望んでいたことを口にできたことで、私は一種の興奮を感じて、体が熱くなった。


でも、ターカスは慌てて両手を振り、私を引き止めた。

「お嬢様、それはなりません。あなたはこのお屋敷の現当主でございます。まだ後見人に叔母様がいらっしゃるとは言え、このお屋敷を離れてどこかへ行くなら、お散歩はいかがですか?」

「そういうことを言っているんじゃないわ!ターカス!ホーミュリア一族本家当主の名を持って命じます、私を連れて、この家から離れなさい!」

私がそう言うと、すぐにターカスはまたにこにこ顔に戻り、「承知しました。では、わたくしの背におつかまり下さい」と、後ろを向いて、背中を差し出してくれた。私はそこに圧し掛かり、「それでは、まいりましょうか」とにこにこ顔で振り返ったターカスに、「うん!行こう!」と返した。


「ところでお嬢様、どこにおゆきになるのでございましょうか」

「どこでもいいわ!私たち、二人で住みましょうよ!その方がきっと楽しいわ!」









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