第36話 「ついに始まった」
文字数 2,399文字
「エリック…」
私は彼に声を掛ける。でも、彼にはもう聴こえないだろう。私は彼を破壊したのだから。でも、彼を不名誉な殺人犯になどさせる訳にはゆかなかった。
目の前に、頭部と腹部をバラバラに破壊された彼の体が横たわっている。腹部のパワー供給機は、まだ発電をしようとしているのか、バチバチと火花が散っていた。それを私は、片手の小さな爆発によって、完全に止める。
彼を止めるには、こうするしかなかった。でも、彼に殺しをさせない為に彼を殺すなんて、どこの誰が許すのだろう。私は深い後悔を抱え、アメリカの裏路地を去った。
ホーミュリア家の屋敷へと飛んでいる間に、誰かが私のスケプシ回路へ、通信を寄越した。
“君はターカスだな?”
それだけ聞かれた。恐らく私はずっと探されていただろうと思い、“そうです”と音声通信を返すと、相手は矢継ぎ早にこう述べた。
“今見つかって良かった。私はポリスの次長、ジャック・アームストロングという者だ。ホーミュリア家で君を探す捜査をしていた。だが、令嬢が行方不明になった。恐らく、ミハイル・マルメラードフという人物に連れ去られたのだと思う。屋敷に停めてあったマルメラードフのシップと、令嬢が同時に消えたんだ”
「なんですって!?マルメラードフですって!?」
“知っているのか?”
相手に聞かれた事に私は答えなかった。
「お嬢様はどこへ連れられて行ったんです!」
そう聞くと、相手が慌てて何かをしている音がした。
“レーダーでは、ロシアクリミア部の、海岸に停まっているようだ。我々も追いかける。君はすぐ向かった方がいい”
「分かりました、すぐに」
そして私は、マルメラードフによって崖から突き落とされそうになっているお嬢様をお助けし、崖の上で動けなくなっている兎のコーネリアを見つけて、お嬢様を家に連れ帰った。
お嬢様は私の背に捕まって家に帰り、マリセルが用意した歩行器で廊下を通って、居間へと入った。お嬢様は嬉しそうで、でも、それを堪えて平静を装っているように見えた。
私は、お嬢様が椅子に座ってから、「ヘラお嬢様、お茶をお淹れ致しましょうか」と聞く。
「ええ、お願いするわ」
「どのお茶がよろしいですか?」
「今日はジャポネがいいわ。明るい方がいいから、お湯は多めにしてね」
「かしこまりました」
私達がそう話しているのを、アームストロング氏と銭形氏は黙って見詰めていた。一度見た事のあるメルバは、気に入らなさそうに私達を見ていた。白い髪の少年がメルバの隣に座っていたが、彼はこちらに疑わしげな視線を向けていた。
私は和紅茶をお淹れして、お嬢様の所まで運ぶ。お嬢様は切なそうに微笑んで、私に手を伸ばした。お嬢様の手は私の頬を撫でて、お嬢様は涙を流した。
「…不安だったのよ、ターカス。あなたが…あなたが、戦争に関わっているだの、地下でその準備をしているって、聞かされていたの…」
私は、すぐにその事を話さなければいけないと分かっていた。お嬢様にではなく、居間に居た、ポリスと、世界連の職員に。
「ねえ、ターカス。あなた、今までどこで何をしていたの…?」
お嬢様がそう言うと、アームストロング氏が、後ろから私の肩を叩いた。
「我々も、君に聞きたい事がある。すぐにだ」
私は戸惑った。事の詳細を、お嬢様にも聴かせていいものだろうか。お嬢様は心配しないだろうか。でも、これはメキシコ自治区の全員が知っていなければいけない事だ。私はこう言った。
「わたくしの話す事を、信じて頂けるのでしたら」
「メキシコ自治区に進軍だって!?」
メルバが、頓狂な声で叫ぶ。アームストロング氏は「続けて」と先を促した。
私は、「合衆自治区がメキシコ自治区へ、開戦を宣言しようとしています」と話し始めた所だった。
「私をさらったのは、“エリック”というロボットでした。エリックの主人は、ポリスで個人データを管理する職員でした」
「そこまでは調べがついています。その先は?」そう言ったのは、白い髪の少年だった。彼は“シルバ”と名乗った。
「偶然にデータの改ざんを発見し、そしてその内に、ポリスが合衆自治区へ、兵器を売り渡している事を突き止めました」
「“エリック”が消えたのは、それを止めるためか?」
「ええ、そうです。ですが彼は、合衆自治区大統領を殺害する事でそれを防ごうとしました」
「おい、そんな事…!」
メルバはソファから腰を浮かせてまで、驚いていた。
「させませんでした。わたくしはエリックを破壊し、彼は全壊しました」
その場は沈黙したが、アームストロング氏がこう言う。
「安心しなさい。君のその行いを罪に数える事は、我々はしない」
私は、それを聞いても、ちっとも満足に思えなかった。
「エリックが明らかにしたのは、それだけではありません。私は実際に潜入して確かめましたが、ポリスのグスタフ氏が、合衆自治区とコンタクトを取っていて、兵器を融通し、それから、世界連からもキャッシュを受け取っていたのです」
そこで銭形氏が、片手を顔の前に浮かせ、慎重にこう聞いた。
「それは…もしかして、マルメラードフからか?」
私が頷くと、彼らは全員身を引き、大いに驚いたようだった。その時だ。
ウー!ウー!という警報音が屋敷中に鳴り響いた。続いて、機械音声のアナウンスがこう告げる。それは、公共情報をいち早く受け取るシステムからだった。
“合衆自治区が、メキシコ自治区へ開戦を宣言しました。住民はただちに指定された場所へ避難して下さい。合衆自治区が、メキシコ自治区へ開戦を宣言しました。住民はただちに指定された場所へ避難して下さい”
「ちくしょう!」アームストロング氏は叫んで自分の膝を殴る。そして彼は立ち上がった。私はお嬢様の元へ駆け寄る。
「ターカス…」
話を聞いて混乱していた様子だったお嬢様は、精一杯不安そうにこちらを見詰める。私はお嬢様に笑って見せた。
「大丈夫でございます、お嬢様。きっとお守り致します」
つづく